濡れ場なし
青白い水
最初に彼女に対する気持ちが何であったかは説明が難しい。それは好奇心であったか、懐疑心であったか、しかしそのどれもで僕と姉様は彼女をこの秘密の仲間に入れる事を企てた。そして事が済んでしまった今は、最初に彼女をこの秘密に招待した頃の気持ちとは彼女への想いは違う毛色をしていることは確かである。例えば僕と姉様が睦み合っていた時、扉が開いていたことは、最初の企ての時はただの失敗でしか無かった。しかし彼女と(正確には姉様を加えた三人で)事に及ぶうちに、扉が開いていたことは幸運の神様の思し召しでは無かったのだろうかと僕は思い込まずにいられなかった。端的に言ってしまえば、あんなに楽しいセックスは知らなかった。だから僕は彼女を激しく抱いた。何度も抱いた。飽きなかった。後ろ髪を引かれる思いで気を失った彼女の介抱をして、そのまま添い寝でもしたい気持ちを臥せて姉様と部屋を後にした。
翌朝、僕はいつも通り彼女より早く教室につき、けれど何か音楽など聞く気にはなれなくてイヤホンを耳に入れたまま教室の喧騒を聞いていた。そして喧騒の中で聞こえない彼女の嬌声に想いを馳せていた。あんなに可愛らしい声で鳴くなんて。鳥籠に詰めてしまいたいくらいだった。日差しはうらうら。窓の外は風が強く吹いている。隣で鞄を置く音が聞こえて、僕は密かに胸を高鳴らせた。彼女は遅刻することなくいつも通り登校し、そしてなんの迷いもなく、僕に声をかけた。
「何を聴いてるの?」
この時の僕の心情は、落胆と歓喜に分類される。落胆の方が先に来た。僕のこの落胆を生まなかったであろう彼女の反応は、昨日のことは許さないと僕を詰ることだった。けれど彼女はそれをしなかった。それが歓喜に繋がった。彼女も普通の、僕と同じ女の子なのだ。あんなに淫らに乱れておいて、相変わらずの日常を過ごそうと考えている。姉様の言った通り僕より淫らなのに、僕と同じなのだ。そして最も嬉しかったのが、彼女が僕を無視しなかったことだ。彼女の真意はわからないけれど、その一言が昨日のことをなんでもないことに、なかったことにしたくないという彼女の気持ちの現れのように思われて、僕は心の中で満面の笑みを浮かべた。そしてそれを彼女に悟られないように、いつもの通りに涼やかに微笑んで嘘をついた。
「今日もピンクフロイドです」
本当は貴女の嬌声を想っていました、なんて言わないところが、僕と彼女を同じにしているみたいでただ嬉しかった。彼女は少し頬を強張らせて、そう、と呟いた。一瞬の静寂、そして彼女が不器用に笑って、何かを言いかけた時、始業のチャイムが鳴った。彼女はあっ、と短く呟いて席に座った。また今日が始まる。彼女も僕も望む、いつも通りの今日。ただし僕が彼女の身体に蒔いた種は必ず芽吹くのだ。それは僕が体現していることで、また彼女は淫らに僕を欲しがる時が来る。必ず来る。その時を僕は待ちきれなくて、彼女に見えないようにほくそ笑んだ。
それから僕はいつも通り授業を聞き流しながら、彼女の種がどうしたら早く芽吹くかを考えていた。こちらから仕掛けて掘り起こしてしまっては、芽が出るものも出なくなってしまう。僕を意識させながら、僕が意識させていると気付かせてはいけない。僕が彼女を求めていることは微塵も感じさせずに、彼女から僕を求めさせる。いつも通りを装うことが一番だが、それにしては僕と彼女は関わりが無さ過ぎる。僕と彼女の関わりは、席が隣で、彼女が授業中僕をよく見ている、これだけだった。そもそも彼女と学校で言葉を交わしたのだって、今朝で二回目なのだ。横目でチラリと彼女を窺うと、彼女は数学の授業を聞かずに眠っていた。その寝顔に、むらむらと欲が擡げてくる。こんな、淫らなことなんて一切知りませんなんて顔をしてるのに、肉豆を押し潰してやれば、肉筒を指で掻いてやればこの顔は猥りがわしく歪むのだ。耳の奥で嬌声が聞こえる。指に熱い感覚が戻ってくる。ああ、なんだか。なんだか我慢をしているのが阿呆らしい。なぜ授業などあるのでしょうか。一日中貴女を啼かせてその蕩け切った泣き顔が見たい。いやだいやだと泣くのでしょう、でも、身体が熱くてやめて欲しくないと泣くのでしょう、どっちの涙でもきっと甘くて僕は…………そこまで夢想した所で、先生が僕を当てた。
***
4時間目は体育の授業だった。僕はあまり体育が得意ではない。というか、陽の光がかなり苦手で、しょっちゅう気分が悪くなって保健室に行っていた。サッカーなんかやっているクラスの子達を、ボールの来ない敵陣のコートでぼんやりと眺めている。そんな僕の隣には、敵チームのなまえが同じようにボールを眺めていた。バレないようにこっそり窺うと、彼女はうーんと大きく伸びをしたり、ストレッチをしたりしていた。そんなことしても、ボールが来る気配は無いんだけどな。ふと僕は良いことを思いついて、彼女のことなんて全く気にしてないふりをしてその場にしゃがみ込んだ。顔を伏せて、うう、なんて唸ってみせる。隣にいるのは、貴女だ。
「宗三ちゃん、ねぇ、大丈夫?」
なまえの声が聞こえる。僕は内心小躍りをしながら、その声に唸り声を返した。背中に添えられる手と、感じる温もり。はやく、はやく、うまくいけ。
「う、日光が……保健室……」
「え、と、わかった。一緒に行こう?」
僕の腕を彼女の手が掴む。体育の長谷部先生は、また僕が気分が悪いと聞くと虫ケラを見るような顔をして早く保健室行ってしまえと吐き捨てた。僕となまえ、保健室。僕は次はどうしてやろうかと、頭の中で考えを巡らせながら保健室までの道のりを歩いた。
「宗三ちゃん、大丈夫?ベット開いてるよ」
「すこし、横になります」
「うん、先生、いないみたいだから……何か欲しいものある?」
「氷を」
これ幸い、先生が居なかった。僕は勿体を付けるように、ベットへ大人しく上がって氷を欲した。彼女がカーテンを閉め、その向こうから戸棚と冷凍庫を漁る音がする。暫くして巾着が無かったのか、ビニール袋に氷を入れたものとタオルを持った彼女がカーテンの中に入ってきて、僕に渡す。
「とりあえず、氷ね、じゃあ私授業戻るから」
「待ってください、なまえ」
去り際に僕がその腕を取ると、彼女はビクッと身体を震わせた。そのまま俯いて、僕と顔を合わせようとしない。さっきは貴女から僕の手を取ったのに、触るのはよくて、触られるのは怖いなんて、昨日のことを思い出してしまっているに違いなかった。僕はいい気になって、その腕を引く。
「……どうしました?」
「………っ、なんでも、ない……」
そのまま、僕にとっては心地よい沈黙が広がる。無言の時間が彼女を詰る。どきどき、彼女の心音が聞こえてきそうだ。そろりそろりと彼女は顔を上げて、目が合った瞬間、はたと逸らした。その恥ずかしそうな顔は可愛らしい。
「……あの後、」
「はい」
「…………なんでもない……」
意外にも先に話し始めたのは彼女だった。彼女は僕の顔を見ようとしたけれど、言葉は尻すぼみになって消えていった。力なく立ち尽くす彼女が少し可哀想に思えて、僕は腕に力を込めた。
「ちゃんと眠れましたか?」
「えっ?」
「顔色がいいから」
「えっと……寝れた、よ」
僕の言葉でやっと彼女は顔を上げた。僕は少しどきどきしながら彼女と見つめあう。恥じらいを秘めたその顔は、先程見た寝顔と違って酷く妖艶だった。僕はにっこりと笑って、両手で彼女の手を取る。その指先を口許に、そして柔らかく口付けた。彼女の肩がビクッと震える。
「なにもしないので、安心してください」
「……っ、」
「貴女から望めば、別ですけど」
「そんなの、ない……っ」
「僕は貴女を待ってますから」
いつでもね、僕がそういい終わる前に、彼女はカーテンの中から出て行ってしまった。ぞくぞくとした満足感が湧き上がる。ベットに寝転がって僕は目を瞑った。なまえは僕を欲してくれるだろうか。いや欲するだろう。必ず。そうして眠りの淵に心を追いやった。夢の中でまだ消えない嬌声が響いていた。