蝶の呟き


彼女は強い。真っ直ぐで、誠実だ。別に私は彼女と寝たことだけで、気持ちが傾いていったのではない。楚々として健康的な良心は、非難される隙もない程純白でいるのに、いやだからこそ、純粋なその良心は、快楽という物差しを使って計られてしまうと酷く正直に戦慄くしか無くなってしまう。彼女は清純なのだ。その一見正反対にも見えるビビットなコントラストに、私はこの子を私だけのものにしてみたいと強く思った。その想いは時が経つたびに強くなる。彼女と恋人同士になりたいのだ。
彼女にどう想いを伝えるかというのは、正直とても迷った。あんなことがあった後であるし、簡単に身体を手に入れてしまえば、後から心もついて来ないとも限らない。けれど、私の中の彼女を想う気持ちはそれを望まなかった。彼女が楚々として有るべきならば、私も同じように清く彼女を迎えるべきである。しかし私は初恋などとうに終えてしまっているので、今更清い恋の仕方など忘れてしまっていた。まずは、そうだな……想いは会って伝えよう。あんなことをした仲とはいえ女の子同士であるし、彼女は驚くだろうから、ある程度時間を割いて貰わねばならない。放課後、彼女を呼び出す。私は彼女のメールアドレスも知らないわけだから、呼び出すのは会って、でいいだろうか。勿体をつけて話があります、なんていきなり話しかけるのは不自然だ。それか……自分の妹が彼女と同じクラスであったことを思い出す。呼び出してもらうのも……いや、彼女が私の恋人になると宗三が知ったら、また間違いが起きるかもしれない。そもそも宗三は自分の恋愛に関してはバイセクシュアルであるし、なまえが男でないからと言って油断は出来ないのだ。宗三を頼るのは却下である。では……手紙はどうだろう。下駄箱に忍ばせれば、なんとなく告白らしい雰囲気も匂わせられる。そうだ、それにしよう。私は急拵えで手紙を書くと、翌朝彼女の下駄箱に手紙を忍ばせた。

***

「よく、来てくれましたね」

現れた彼女は少し緊張した面持ちで、ベンチに座る私を眺めていた。私は腰を上げて、彼女に向き直る。私が立ち上がったのを確認すると、彼女はこくりと唾を飲み込んだ。

「どうしたんですか、手紙で……」

「貴女に話があります」

その不安そうな顔を見ると、彼女の頭の中に告白の文字はないことは明らかだった。私はどこから話せば驚かせてしまわないか素早く考えを巡らせる。ここで、好きですなんて漏らしてしまえば、彼女は懐疑心のままに断る言葉しか言わないだろう。少しずつ、小出しにしていこう。

「貴女のことが、ずっと気になってたんです。ずっと、です」

「はい?」

その驚いた顔は可愛らしい。考える暇など与えない、とでもいうように私は言葉を続けた。彼女には清くあろう、と心に決めた決意は、この時どこかに消えてしまう。それくらい私は彼女を目の前にして、これを手に入れたいと強く思ったのだ。はやる気持ちが、彼女を眩しく見せて思わず私は俯いた。

「ですから、その、お付き合いがしたいと思いまして」

こんな風に俯いたままこういうことを言うのは良くないと思い、私は彼女に向き直る。ストレートに、想いを。

「お付き合いをしましょう」

「……お付き合い、というのは」

彼女は戸惑ったまま、視線をふらふらと彷徨わせた後に小さく呟いた。私は駄目押しとばかりに言葉を変える。

「恋人同士になりましょう、ということです」

私の気持ちは、伝わった。そしてその瞬間、彼女の表情で、わかってしまう。彼女が探す言葉。私をなるべく傷付けない言葉。その言葉を聞きたくない、私は、この子を手に入れてみたい。清く、楚々として、そんな風に手に入れることが出来ないなら、狡をしたって手に入れたい。恋愛とは小狡いもので、その欲望の前で楚々たる決意は弱いものであった。

「……お、お気持ちは、その……」

「はい」

「う、嬉しい……ですけど……」

彼女の言葉を遮ぎれ。強引に手でも握ってしまえ。後から心もついて来ないとも限らないと言ったのは誰だ?そんな、私を唆す、いや、導く声に私は従う。

「では、決まりですね」

「へ?」

彼女の手を取って、まるで嬉しそうに、自信満々に微笑んで見せる。大丈夫、このまま押し切れる。私は携帯を取り出すと、握ったままの彼女の手に差し出した。

「メールアドレスを交換しましょう」

「や、その、恋人っていうのは……」

「恋人なら、メールアドレスくらい知っていて当然です」

「そうじゃなくて、その」

彼女は戸惑いながら、しぶしぶ私の携帯を受け取る。そして少し腑に落ちないような顔をして、メールアドレスを打ち込みだした。これで実は置いておいて、名としては彼女は私の恋人になった。実の方は、これから恋人にしていけばいいのだ。焦ることはない。

「ではまたメールで」

「……はい」

彼女からメールアドレスを貰うと、私はその場を後にした。切ないような、嬉しいような気持ちで、けれど何も後悔などはしていなかった。これから、これからなのだ。彼女と私は、恋人同士だ。

「小夜?」

体育館裏から少し出た所で、同じく体育館裏から逃げるように出て行く小夜に会った。小夜は私に声をかけられると、しまった、とでも言いたいような顔でこちらを見た。この様子だと、覗いていたのだろう。私は構わず近づくと、いつもするように屈んで目線を合わせてやる。

「……見てました?」

「…………うん」

気まずそうな顔で、私達が何をしていたかわかっているのでしょうか。でも、隠すことでは無い。むしろ見られていたなら好都合だ、と私は思った。私は得意げな顔をして、小夜に自慢をした。

「なまえ、です。私の、恋人」

「……恋人?」

「ええ、お付き合いすることになりました」

小夜は何か言いたげにすこし口籠ったが、何も言わず、そう、とだけ呟いた。

***

その夜、私は彼女にメールを送った。普段付けない絵文字まで付けて、恋人同士のメールだということを誇示するみたいなその内容に、私は独りでに笑顔になった。しかしその日、彼女から返事は来なかった。ああ、きっと忙しいのだ。きっと明日になれば照れた彼女から可愛らしいメールが返ってくるはず。気が早すぎます、とか、まだ二人だけの内緒にして欲しかったな、とか。可愛らしい彼女の可愛らしいメール。返事を待ち続けて、一日が経とうとしていた。
しかし、二日目の夜届いたメールは、私の予想していたものとは違っていた。絵文字も無かった。

メールのお返事が遅くなってごめんなさい。
本当はこんな形でお話することではないのかもしれません。けれど、メールでしか伝えることができないのをお許しください。
あの時はああ言ってしまいましたが、やっぱり私は江雪さんとお付き合いすることはできません。
もちろん江雪さんの気持ちが嬉しくない訳じゃないです。あの時言ったように、江雪さんの気持ちはとても嬉しいです。でも、私は江雪さんと同じくらい好きになることはできないと思います。こんな気持ちで、江雪さんと恋人同士になることはできないと思いました。
身勝手なことを言ってごめんなさい。江雪さんのことが嫌いな訳ではないんです。ただ、江雪さんが私を好きになってくれた気持ちと同じ気持ちにはなれません。だから、恋人のお話は辞退させてください。
メールのお返事が、こんなことになってしまって申し訳ないです。もしまた機会があったなら、おしゃべりして下さると嬉しいです。ありがとうございました。

失恋だった。舞い上がっていた自分が馬鹿らしくなった。けれど、これは、ある意味で当然、なのだろう。彼女はもともと私と恋人になる気などなかった。だからこれは、別に一度恋人になって振られたわけでは無いのだ。私に失望したわけではない、それが唯一救いだった。彼女が言うには、彼女は何も誰かと付き合っている訳ではないらしい。ならば、私にもまだチャンスはあるのでは無いだろうか。付き合えません、わかりましたはいさようなら、なんて言わなくていいのだ。私は、彼女を好きでいよう。そして、いつかちゃんと彼女を振り向かせよう。私はメールの返事を推敲した。私が貴女を好きになったのは何故なのかと、これからも貴女を好きでいると。勿論語り尽くすことは出来ないが、今度は小狡いことはしなかった。そう、今一度、あくまで私は、貴女に楚々として向き合いたいのだ。

***

翌朝、私は彼女と一緒に登校しようと思い立った。いつも一人で向かう寮からの通学路を変えて、彼女と宗三の生活する寮へ向かう。彼女がどれくらいの時間にここを出ているのかわからなかったので、かなり早い時間から寮の前で待つことになった。別に、待たされることは嫌いじゃない。待ち始めて少し経った位で、寮から出てくる生徒の中に宗三がいることに気がついた。

「おや、おはようございます、姉様」

「おはようございます。なまえはいつも、もっと遅いですか?」

「…………ああ、なまえと一緒に」

宗三はなるほど、といった雰囲気で頷くと、そうですね、いつももっと遅いですよ。と付け足した。そして少し値踏みするような顔で私を眺めてから、眉根を寄せて、吐き捨てるように呟いた。

「姉様が何か変えるつもりなら、僕が変えさせません」

「……何です?」

「ふふ、なんでもありませんよ」

宗三は冗談みたいに笑って、軽い足取りで通学路を歩いて行った。さらりとした風が、私たちの間の空気を吹き晒していった。





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