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幸せになれない




「へし切り、挨拶をしろ」

「はっ」

客間に呼び出したへし切りを客の前へ座らせ、私は命じた。へし切りは部屋の真ん中に正座をすると、まっすぐと客の男を見つめる。男はへし切りを眺め、ほう、と息を吐いた。

「へし切り長谷部です。以後お見知りおきを」

「どうです」

「ええ、素晴らしいですなぁ」

男が感嘆の目を巡らす。私はへし切りの背中を見据えて、扇をぱちんと閉じた。その合図でへし切りが顔を上げる。私を背にして、堂々と背中を伸ばした。

「へし切り、このお方がお前の新しい主となるお方だ」

「は、!……なに、を言って」

「いやしかし、どうしたことか、これは、本当にあのへし切り長谷部なのですな」

「いかにも」

言葉を漏らしかけたへし切りの声を押しのけて、男が静かに興奮した声を出す。いかにも、ここにへし切り長谷部。腰を浮かせた男は、私の声で腰を下ろした。

「御目通りは終わりです。へし切りもういい、下がれ」

「主、どういうことで……」

「下がりなさいと言っています」

へし切りはしぶしぶと私の後ろに下がると、襖の前で一礼して姿を消した。男はもう一度へし切りと私を見比べると、無言で息を巻く。

「噂は本当だったのですな」

「引き渡しは明日の晩で宜しいですか」

「ええ、報酬は弾みますぞ」

どの顔に貼り付けられても、その下賤な笑みは慣れないものだな、と思った。


***


「どういうことですか!主!」

「うるさいぞ、そこへ座れ」

男が帰った途端、へし切りがなだれ込むようにして私を問い詰める。私の目線に射抜かれて、へし切りは仕方なしにそこへ倣う。

「あの男は一体……本当にあのへし切り長谷部、とはどういうことですか」

「お前が間違いなくへし切り長谷部だということだ」

「あの、とはどういうことですか。あの男は、以前もこの刀身を見たということですか」

「面倒だ。お前に話さなくてはならないことでは……いいや、その姿もどうせ明日限り。話してやっても罰は当たらんか」

「意味がわからない。なにを隠しているんです?」

「まぁ…………お前の出生について、な。安心しろ、ヒトはいつも、出生の秘密知り驚くものだ……」

神とは何か、ということを考えたことがあるだろうか。九十九の神は、長きに渡り存在しヒトの念を受けたモノに神が宿ると謂れている。モノを依代にして、ヒトの念が神を作る。しかし偶像崇拝が禁じられた世界にも、神は存在する。ヒトの念が神を形作るのに、依代の有無は大した問題ではない。神とはヒトの念だ。神という概念がヒトの念を集め、そこに神が生まれる。

「へし切り長谷部という神が概念として存在した。それを降ろし、依代に結ぶ。それが審神者の力だ。その依代がへし切り長谷部でなくても、それはへし切り長谷部になる。ーー力のない審神者はヒトの身体に結ぶこともある。神気が足りずヒトの形を保っていられない九十九の神は戦えないからな。神に形はない、その形は神気と依代に依る。幸い私は神気には恵まれていてな。私の力の及ぶ限りは、刀に結ばれた神はヒトの形をとる。及ばぬ限りは刀。わかるか」

「…………つまり、俺は、本当の俺は、ただの鈍刀だってことですか」

「鈍ではない。名工の作だ」

「へし切り長谷部は、俺の他にも、いるのですか」

「愚問だな。お前も知ってるだろう、他の審神者のへし切り長谷部がへし切り長谷部でないと言いたいのか」

俄かに信じがたいと目を瞬かせ、自分の依代を疑わしげな目に写し、自分の身体を、そして手を、膝を、恐ろしいほどに見回す。へし切りは何かを失ったような顔で呆然とそこに在った。

「このような主だが、主命とあっても、他の主に上げ渡されるのは屈辱か?」

「……あ、あ……」

「いや、いい、お前が私の魂に忠誠を誓っているのではなく、ヒトの身体を得た恩義で従っているのは知っている。ただの皮肉だ」

「……ああ…………」

揺れる揺れるへし切りの瞳。可哀想な程狼狽した頬には、汗が一筋伝った。ヒトの身体を得たことにこの上ない喜びを得ていたへし切りには、無慈悲な話だったことだろう。私は皮肉をほんの少し顔にも浮かべながら口を動かす。

「あの男は見た通り坊主でな、へし切り長谷部という刀をご所望だ。それでお前は刀に結ばれ、へし切り長谷部となった」

「俺は、そのために、……も、う、ヒトの形では、いられないのですか、俺は」

「私の力が及ばぬ所ではお前は刀。刀として生きるのがお前の本分であろう」

お前がヒトの身を受けたことをどんなに喜んでいるか知っている私は、しかし辛辣に言葉を並べた。やり切れないへし切りの顔が何よりもその心を表している。それを望んでいないのは火を見るよりも明らかだった。

「しかしな……私もお前を九十九の神として降ろした責任があると思っている。私の提案を聞いてくれないか」

恒例行事のように、私はその言葉を口にする。へし切りは相変わらずうな垂れたまま私の目を眺め、小さく頷いた。

「お前の望みを一つ、叶えさせてくれ。明日の夜までに叶えられることならなんでも聞こう。私のことなら気にするな」

「…………主……」

へし切りは泣きそうな顔で、しかし男として一線を踏みとどまっていた。ヒトとして喜びを得たならば、その身を捨てることがどれだけつらいことか。私には想像もつかない。へし切りはまだ震える身体で、けれど何かを覚悟したように話し出した。

「俺は、ヒトとして形を得られて幸せでした。ヒトには欲望がある。それを叶えたときには、言いもつかない幸せを感じました。食事を摂れば味を感じ、満腹感に満たされ、美味いものは感動を、不味いものは驚きをくれました。睡眠と摂れば、この世のものとは思えぬ不思議な体験と、充足感を得ました。ヒトの身体は、欲望は、なんと素晴らしいものでしょうか」

「うむ」

「願いを聞きましたね、俺は欲望を満たしたいのです。ヒトの欲は蜜よりも甘い、ヒトには欲望が3つあると、蔵の書物で読みました。食欲、睡眠欲、これは、俺も満たしたことがあります。あとひとつは……」

「……性欲だな。よし、わかった、好みを言ってみろ。お前好みの男でも女でも用意しよう」

「…………」

幾分落ち着いたへし切りは先程までの狼狽が嘘のように私を見据える。緊張しているのか、こくりと喉を鳴らし、ゆったりと瞬きをした。両手をつき頭を下げ、少し震えた声で囁く。

「貴女を……主、貴女を抱かせてください」

「……いいだろう」

顔を上げたへし切りの顔が、頭の底にこびりついた。

***

花魁のように着飾るか、異国のヒラヒラした下着でも身につけようか、という私の提案をへし切りは全て断った。仕方なしに私は普段の着物のまま自室の布団に腰を下ろしていた。何もかも普段のままで、私の自室で。それがへし切りの希望だった。こんな醜女が最後の女ではへし切りも浮かばれまいと思い、せめて一等お気に入りの青い小花の浴衣を選び、下着も上下それに合わせた。部屋の隅の行灯の火がゆらりと揺れ、襖が開いた。

「遅くなりました」

「いい、お前のタイミングで始めてくれ。不安なら手解きも……」

「いいえ、結構です。その代わり……」

「なんだ?」

へし切りは私の前へ進み出ると、腰を下ろして私の目を見つめた。酷く落ち着いたその目が、先程の頼りなさを消していく。彼のキャソックが尾のように広がり、布団に彩りを添えていた。

「俺のことを、長谷部、と、そう呼んでいただけませんか」

「わかった、……始めよう」

私の唇に、唇が押し当てられる。間から舌が潜り込み、私はそれに応えた。ぬらり、ぬらりと揺らめく舌に、必死でへし切りは食らいつく。彼の上着の隙間から手を差し入れて、その身体を指でなぞる。

「……っ、ん」

長い口付けを済ませて、今度は手袋を外した手で着物の合わせを両手で割り開かれる。些か強引なその手つきに、彼は言葉通り欲を感じているのか、と勘繰った。だとしたら随分気の急いだ男だ。私はへし切りが哀れになって、少し勿体をつけてその手をとり、指先に唇を寄せた。それを見たへし切りが眉根を寄せる。

「やめて、くださいますか」

「……冷めたか?」

「いいえ、そういうような、俺を焚き付けるようなことはやめてください。本当、貴女らしくない。俺に同情はいらない。いつもの貴女、本当の貴女を抱きたいんです」

「……善処しよう」

何故そんなことを言うのかわからない。情けをかけるなと言うならば、こんな行為に意味はないだろう。目の前の瞳に愛があるかどうかくらい、私にもわかる。へし切りの目は冷酷で、この試みすら試みの域を出ていないようである。満たされるには、必ず空の器が無ければならない。器も持たぬまま満たそうとしても、それは虚しいだけだ。

「嫌がるならば、ご随意に」

「お前こそ、色事の手解きが必要になったら、泣きつくといいぞ」

「……それでこそ、貴女です」

にやりと笑ったへし切りに、帯を取り上げられる。そのままこてんと後ろに倒されて、ぱらりと開いた浴衣の合わせ目に、へし切りは息を飲む。そのまま下着をずらすようにして引き離し、柔らかな胸をその手が掴んだ。

「はぁ……」

脈打つ掌から、へし切りの興奮が伝わってくる。目の色が先程と変わってしまった。生娘でも阿婆擦でもない私は、平然とした声のまま彼をおちょくる。

「色事のいろはは何で得た?」

「……セキレイから」

「……お前は勉強熱心だな」

ジョークに笑みを漏らした私を追い詰めるように、彼は唇で私を攻め立てた。身体の至る所を撫でまわされ、顔を逸らしてもすぐにその唇は襲ってくる。唇から、お互いの境界線がわからなくなる気がして、頭の奥が痺れた。

「主……あるじ、」

「……ん、なん、だ……」

「これを、脱がせても?」

これ、と示された下着に手をかけると、やんわりと遮られ、代わりに彼に下げられ脚から抜き取られる。無意識にすり合わせた内腿を、まるで請うように彼の手が撫で上げた。

「胸だけかと思ったら、ここも、柔らかいのですね」

「初めて触るような口振りだな」

「……こ、は」

「嗚呼、初めて触るのか。はは、これは失……」

「ここはもっと柔らかいのでしょう」

私の嘲笑を遮って、へし切りは私の脚を無理矢理開いた。股座に寄るその瞳はギラギラと輝いていて、そんな目は出陣の時……いや、もっと凄まじい光を放っていた。私は蛇に睨まれた蛙のように、身動ぎ一つできずその瞳に射抜かれる。いきなり恥部に何かが触れる感触がして、私はやっと身体を震わせた。

「んっ、」

「柔らかくて、熱ぅい、ですね」

まるで嘲るような、歌を歌うような発音。煌めく瞳に怯えた私の身体は、小さな刺激も拾ってしまうのだ。その熱さを確かめるように、彼の指が何度も何度もそこを往復する。焚付けられた身体に否が応でも従ってしまいそうになる。余裕のあるふりをしたくて、口が、頭が、言葉を探す。

「そ、そんな、夢中になるほど私は魅力的だったか?」

「貴女でも、そんな顔をするのですね」

「…………どういう意味だ」

「ああ、いや……なんて申し上げたら」

へし切りは相変わらずギラついた目で私を見下しながら、ぴた、ぴた、と濡れた恥部を指でなぞる。ふいに何かを思いついたようにクッと目を細めると、私の耳許に唇を寄せた。同時に裂け目に少しだけ指が割り込ってくる。

「…………今の貴女の顔、いつだったか貴女のことを、高慢ちきのヒトモドキと笑った政府の人間に見せてやりたい」

「……なにをっ、」

「貴女は神じゃない、」

「あ、んんっ」

割り込った指が中を弄って、私は思わず声を上げた。へし切りは本当に嬉しそうに笑って、また唇を合わせる。ちゅくちゅくと中を探る音がして、背筋を刺激が昇る。

「あっ、あー、」

へし切りは私の中を探りながら、片手で装備を外した。時折唇を至る所に押し付けて私を煽ってみせる。なんとも言えない顔で私を見下し、一度指を抜いた。

「見てください、こんなに濡れていますよ」

「……っ、生理現象だ」

「ん、なんだか……塩っぱくて、青臭いですね……」

濡れた指を見せつけてから、煽情的に舌で汁を掬う。今度は私が彼を睨みつけるが、彼は怯えもせず私を見下すだけだった。私の目を悠々と眺めながら、何かもぞもぞと動くいたへし切りは、深く息を吐きスラックスの前を寛げていた。

「主、貴女にこれを埋めたいです……。これが、性欲なのですか?」

「……それが、」

「だとしたら、なんて甘美なんでしょうか。これが、満たされたら……」

私の話も聞かず、恍惚と目を細め、正面からぴたりと恥部と恥部をくっつけた。手解きは要らぬと言ったが、そんなに気を急いで私が未通女だったら如何するつもりだったのだろうか。しかしその目は恐ろしい。睨みつけている訳でないのに、私を射殺さんとしていることが一目でわかるのだ。

「ん……んん、うっ、アァッ……」

「……ーーっん」

へし切りは声を上げながら腰を進め、私は口を真一文字に結んだ。へし切りの地を這うような唸り声と、私の堪えた唸り声が重なる。そうして私達は、身体を重ねた。

「んーーっ、ん、ああ、あーーっ、きもち、い……」

「……っ、あぁ、」

「ハァッ……あるじ、あるじ……嗚呼……主……」

長谷部は私の身体を抱き込んで、圧し潰されるように密着する。そうして、セキレイに教わった通りなのか、腰を動かし始める。

「あるじ、あるじ、あるじ……っ、あぁ、」

「ん、くっ、あっ、あんっ」

幾分も慣らされていない中が長谷部を締め付ける。奥を捏ね回すように抉られて、閉じた口から思わず艶っぽい声が漏れた。

「アッ、こえ、こえ出して……っください……。あるじ、あるじっ、んぁっ!」

「あっ、あん、ああっん」

「俺を、おれを見てください!この目を、俺を!」

「……っあ、ンァァッ、あんっ」

キラリと、閃光のような目だった。合わせたが最後、反らせなくなる。不思議な目だ。私は余裕の無くなっていく頭の片隅で、彼が彼に成った時の事を思い出していた。名工の打った真新しい刀は、刀鍛冶の念を払い切り、空の器となっていた。そこへ、彼が降りたその時、刀は確かにこんな閃光を放っていた。そんなことを浮かべていたら、口が独りでに、そっと呟いた。

「は、ぁ、長谷部……っ」

「、……やっと、呼ん、……あっ、くっ、う」

「ん、んっ、んぁあ……っ!」

一層責められて身体が戦慄く。私の感覚も、中のものも膨らんで弾ける。私は持っていかれそうな意識の中で、ただその目を道標にしていた。

「は、はぁ……っ、は……」

息を整えながら私の横に寝転がる彼を眺めて、私も深く息を落ち着かせる。願いはしっかりと叶えられ、彼の最初で最後の女はこの醜女になった。うっとりと見つめられ寄せられた唇を、掌で遮る。

「主、どうしたのですか、この手は……」

「は、……へし切り、部屋に戻れ。身支度を整える時間はやる」

「……、主」

「お終いだ」

起き上がり、背を向け身支度を整える。へし切りはしばらくぼんやりと佇んでいたが、少しすると動き出し、身支度を整えているようだった。

「屑篭は……」

「そこだ。そちらを向いていいか」

「ええ……ご随意に」

振り向くと俯いたへし切りがいた。その目が私に向けられていないことを少し安心しながら、長く息を吐く。沈黙のまま、へし切りはずっと顔を俯けていた。

「さぁ……おやすみ、へし切り」

「主、おやすみなさい」

私の声を聞き、顔を見ないまま立ち上がり去っていくへし切りを眺めながら、私はもう一度息を吐いた。


***

「旅立ちはもう直ぐにだ。そろそろ来る頃だが、依頼者の男がお前の依代を持ち、お前は一緒にここを出る。そうだな……200メートルも行けば、お前に注がれることの無くなった私の神気は届かなくなるだろう」

「…………」

「わかったな、へし切り」

客間の下座に座らせたへし切りは、あれから一度も私の目を見なかった。最後の日だ、きっと思う所があるのだろう。静寂に響いた、私の扇をぱちんと閉じる音に、へし切りはふいに顔を上げる。

「…………主」

「なんだ」

「俺を主の刀として、その手中に納めることはできませんか」

今更、何を言うのだろう。私は厳しい顔をして、その顔を見つめた。答えるまでもなく、馬鹿馬鹿しい質問だった。

「それは……」

「どうか俺を手放すことを、考え直してくれませんか」

「往生際が悪いぞ」

「俺の身体は、もうどうでもよいのです。貴女の神気を絶たれてもいい、だから、せめて……」

「……何が言いたい?」

「せめて、せめて貴女の側へ、置いてください」

「……へし切り」

「離れたくない、いつまでもお側へ……」

「へし切り」

「貴女の手に触れていたい、貴女が側にいてくれるなら、俺はなんだって、」

「やめないか!」

私の声に怯むことなく、へし切りは私に詰め寄り手を握った。そしてあの、キラリとした目で私の目を見つめる。彼の刀身に似た、あの瞳で。

「後生です……諱を、俺にください」

「なにを……お前に魂を握られて堪るか!」

「違うのです、貴女の名を呼びたいのです!俺に呼ばせてください、貴女の名を!俺を、呼んでください!長谷部と、長谷部と呼んでください!」

「いい加減にしろ!」

私に突き飛ばされたへし切りが、尻餅をつく。それでもへし切りは引き下がらなかった。私を見つめながら、必死の形相をしていた。

「なんだ、なんだ……怖気付いたのか?」

「貴女が……欲しいのです……食欲よりも、睡眠欲よりも、性欲よりも強い欲望なのです。これが満たされるなら、俺はこの身を奪われてもいい」

「……っ、」

「これは、なんなのですか、俺はあと数時間でこの身体を捨てるのに、何もわからない。ただ、ただ、貴女の全てが、未来永劫の貴女が欲しいのです。昨日は俺は無欲で、最後の願いを聞かれて、無い欲望を満たしてみたいなどと宣ったのに。今は、今はこんなに、強欲なのです」

「へし切り、落ち着け……」

「叶わない、満たされない、俺はもう、他の男の所に上げ渡されてしまうのに。俺はもう貴女に会えない。こんなに悲しいのは、何故ですか、貴女が欲しいのは、何故ですか」

その問いに答えることがどれだけ残酷なことか。私はその腕を取れない、その身体を包むことはできない。ただ私は、この男を突き放すことしかできない。それが、私にとってどれだけ残酷なことか、私はやっと今気がついたのだ。

「…………よく、聞いてくれ」

「主……」

「……あの坊主はな、経典の為に各地に旅に出るそうで、そのお供にお前を欲したそうだ。……前にお前に話したな、神はヒトの念でできていると。それは信仰だけではない。恨み辛み、怨念と呼ばれるものでも、そこに力は宿る。お前という刀自身に怨念が宿った時、お前は再び神の力を得る」

「……それは、」

「長旅だ。山賊も出るだろう。お前の身が血で濡れる程に、怨念は募る。お前が刀として使命を全うしていれば……お前は、いつか……」

「わかりました…………必ず、必ずお迎えに行きます。その時は、貴女の名前を呼ばせてくださいませんか」

「……考えておこう」

嬉しそうに微笑んだへし切りの、その顔はしばらく忘れられそうにない。私がその時どんな顔をしていたのか、私にはわからない。ただ、客間には、来客を伝える声が届いた。

***

「よろしかったのですか」

その夜、寝付けない私は縁側で独り酒をあおっていた。近侍の平野が来て、私の後ろに腰を下ろす。私は目もくれず、ゆったりとお猪口をあけた。

「何がだ」

「嘘などおつきになられて、です」

「嘘、な」

「へし切り長谷部はあの男の寺の宝物殿に結納され、展示の目玉となるという話でした。それなのに、何故」

気がついたら口から出ていた、なんて言ってしまいそうになる。この審神者という仕事、ひいては私がどういう仕事をするのか気がついた時から、私は非情でいようと心に決めた。神を産み稚児から育て、そして騙すような仕事をせねばならないのだ。非情であるべきだと、常に自分に言い聞かせてきた。なのに、一体何故だろうか。

「騙して、嘘までついて。私はきっと死んでも神に怨まれて、地獄にすら行けないな」

「……その時は、僕がお供致します」

「……私は幸せ者だな」

平野がお酌をする。庭は静まり返り、沈黙が耳に心地よい。頭の底に蘇るのは、キラリという煌めきだった。

「ご覧よ、平野」

「はい」

「今宵はこんなに、月が揺らいで……長谷部も、見ているだろうか?」

平野は無言で、小さな私の背中をそっと撫でた。


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