02:Leonardo
「おはようございまーす」
なんて声を張り上げながら入室しなくても、執務室内には訪問者の氏名と目的があらかじめ告げられているはずだ。それでも僕は何となく入室がてら挨拶をしてしまう。変わったばかりの仕組みに慣れていないのが半分、ライブラのドアを開ける時には「戻りました」だの「こんばんは」だの、無意識の挨拶が習慣付けられているせいが半分。
そんな便利な仕組みになったのはつい先日のことだ。
なんでも、建物の敷居を跨いだ瞬間に、防護壁だの幻術だの妖術だののセキュリティがフルコースでお出迎えしてくれて、それをパスできた訪問者のみがライブラメンバーの集う執務室に入室することができる――ようになったらしいのだけど、当人の知覚外のうちに調べ尽くしてしまうことが長所であるセキュリティくんなので、詳しいところは僕にもよくわからないのだ。“義眼”を使えば片鱗ぐらいは拝めるのかもしれないけど、そもそも魔術や魔道は僕の範疇外なので、見たところでわからないことにはきっと変わりがないと思う。
ので。今日も知覚外のうちにまさぐられた挙句、入室オッケーを出されたと思しき僕は、無事ライブラの執務室のドアに手をかけることができたのだ。
両開き式のドアのうち、片方だけを開けて中に入る。ちょっとしたパーティができちゃうくらいにだだっ広い執務室。に居るのは一人だけだった。
「おはようございます、レオくん」
二人掛け用のソファに座っていたライトさんが、円筒形の光の向こうから笑顔をくれる。
「アルバイトだったんですよね? お疲れさまでした」
「ああ、はい…」
せっかくの労りの言葉に生返事をしてしまったのは、ここのボスと副官であるクラウスさんやスティーブンさんの姿すら見当たらなかったからだ。何かあったわけでもないのに、こんなにも人がいないのは珍しい。
「あの、みなさんは?」
ライトさんは、天井から吊るされているテレビに目を向けた。
音は消されているのだろう、液晶の中を無言で動いている映像は、バイト上がりにチラリと耳にした小競り合いのニュースそのものだった。テロップには神性存在なんて恐ろしい文字まで踊っている。
僕は無音のライブ映像を見ながらぽりぽりと頬を掻いた。……僕が聞いた時はチンピラの喧嘩派手バージョンだったはずなんだけどな。いつの間に神性存在が出張ってきたんだろう。まあそれが日常的に生じるからこそのHLなわけだけど。
「みんなアレにかかりっきりで、総出で出て行っちゃったんです」
僕と同じくテレビに目を向けながら、ライトさんが解説してくれる。
「私は連絡役兼お留守番係。ちなみにコトがコトだからレオくんにはデフコン出さなかったみたいで、出勤次第待機でいいそうです」
「了解っす」
確かに対BBでもない限り、僕が駆けつけたところでお荷物になるだけだ。ならばお荷物はお荷物らしく油を売っておこう。と思った僕は、ライトさんの向かいの、一人用のソファに腰を下ろすことにした。
「そんで、ライトさんがさっきから弄ってるソレは何なんです?」
「これですか?」
と言って、ライトさんは手元でキラキラと瞬いている、円筒形の光を示してみせた。僕はこっくりと頷く。
「これ、アルバムなんですよ。こっちに来てから撮り溜めたものを整理しておこうと思って」
「はえ〜……アルバム……」
僕は身を乗り出して、まじまじとライトさんの手元を見つめた。確かに、テーブルの上には開かれた分厚い本が乗っている。けれどそのページにも、そこから垂直に伸びている光の中にも、写真らしきものは見当たらない。これの一体何を指して、写真でアルバムだというのだろうか。
返答に困った僕は、とりあえず尤もらしく唸っておいた。
「……それはまた……面妖な……」
僕の取り繕った受け答えなんてバレバレなのか、ライトさんは可笑しそうに「ふふ」と笑った。
「レオくんがそんな顔になるのも無理ないです。私もそう思います。――ビヨンドの最先端技術がどうのこうのって代物みたいですよ、これ。私もこの前買ったばかりなんで、実はまだあまり使いこなせてないんですけど、基本的には所有者であるマスターにしか画像が見えない仕組みになってるみたいです」
「へえ〜」
「ライブラの写真を保存するには最適かと思って」
「ああ! なるほど!」
腑に落ちた僕は、思わず膝を叩いていた。
超秘密結社ライブラ。その情報には億単位の金が付けられるという。つまりその本部である執務室内の写真なんて、超超機密事項ものなのだ。
「確かにライトさん、ここでもバシバシ写真撮ってますもんね〜」
「そうなんです。だから自衛にね、アルバム本来の仕組みに加えて、これ自体に幻術や呪術をかけておけばより万全かなって、実は今その術を練ってる最中なんですよ」
そう言われてみると確かに、ライトさんは円筒形の光に手を突っ込み、指先で何かを紡いでいるような、より合わせているような、そんな動作を繰り返している最中だった。
そういう幻術だの呪術だのといった魔術系も、最早HLではお伽話の類ではない。実際ライブラの建物にもセキュリティとして取り入れられている。
けれど僕は首を傾げた。
「あれ? でもライトさんって、クラウスさんやスティーブンさんと同じような対BB流の…」
手元の光から目を上げたライトさんが、「はい」と頷いてにこやかに笑う。
「本業はそっちです。これは言わば副業みたいなもので」
ただキラキラと瞬いていたばかりだった光に、一瞬だけ文様めいた文字が浮かび上がった。その内のひとつを指先で摘まんで、ライトさんは配列を入れ替える。
「私の使うリスタルク流血晶術って、ドンパチ向きではないんです。サポート向きな要素が強くて、正直単体ではイマイチな技なんですよ、ウチの流派って。――そこで本業強化のために遣い始めたのが、呪術を始めとした魔術的なものだったんです。血筋的にも運良く向いていたみたいで、それからは血晶術と共に副業の方も、脈々と受け継がれてきたんです」
僕は感心して頷いた。文様めいた文字はもう消えていたけれど、ライトさんが配列を入れ替える仕草をする度に、白く眩いばかりだった光が、どんどんと暗く濁っていく。
「本当は、クラウス兄さまやスティーブンさんみたいに、対BB流の素養があれば1番良かったんですけどね。私には血晶術しか向いてなかったんで、それならできることをできるだけやろうと思って、副業の方も頑張って覚えました。すごく大変でしたけどね」
のんびりとした声に、僕は顔を上げていた。できることを、できる分だけ。光の向こうのライトさんは、微笑んでいるようにすら見える。
何か声を掛けなければ、と焦った僕が口を開いた瞬間に、円筒形の光が目の前でパッと霧散した。同時に本が音を立てて閉じる。自動的に。
「はい、完成です」
両手を広げて笑うライトさんに、僕は目線を落として、光差さぬ置物と化した本を見つめた。タイトルも何もないそれは、アカガネ色の装丁をしたハードカバーにしか見えない。
「……ちなみに、僕みたいな素人が触ろうとすると?」
触る気なんて毛頭ないけれど、ちょっぴり好奇心が勝ってしまった。おそるおそる尋ねてみる。ライトさんは何でもないことのように明るく笑った。
「開かないだけですよ。ただ無理に開けようとすると……」
「すると?」
「死にます」
「え」
「オート攻撃とか何重にも施しておいたんで、私ですら指の1本ぐらい覚悟しないと開けられないかもしれないですあはは」
「トラップ仕掛けた本人がそれ言っちゃう!?」
動揺する僕を余所に、当のライトさんは「まあまあ」なんて適当な笑顔でお茶を濁しながら、アカガネ色の本をテーブルの端に寄せた。僕はおっかなびっくりその様子を見守る。本を動かしているライトさんの指がスパーンと飛んでいってしまう光景が、脳裏にちらついて離れない。
「レオくん」
「え? あ、はい」
出し抜けに改まった声で呼ばれたのでびっくりしてしまう。思わず居住まいを正す僕に、ライトさんも背筋を伸ばして座り直した。
「私もレオくんに1つ質問があるんですけど」
「何でしょう」
「ずっと気になってたんですけど、レオくんのそれって、“神々の義眼”を使用する際に必要なものなんですか?」
ソレってドレのことだろう。と沈黙した僕の意を汲んで、ライトさんは自分自身の首筋をちょいちょいと指してみせた。つられて自分の首に手を伸ばした僕の、爪の先が硬いものに当たる。
「……あ〜〜……」
合点がいった僕は、首から提げているゴーグルを手に取り慌てて首を振った。
「違います違います! そんな大層なもんじゃないっす! これはどこにでも売ってる、ただのゴーグルです!」
ビヨンドの最先端技術を駆使して製作されたアルバム(無理に開ければ死ぬ呪い付き)を見せられた後では、話に上げるのも気恥ずかしいくらいに平凡で凡庸なゴーグルだ。そりゃそのレンズで僕の眼をちょっとは守ってくれるだろうが、石が降ってくりゃレンズも割れる。
そうなんですか。とライトさんは頷く。
そうなんです。と僕も頷いた。
「それじゃあ、それはオシャレでつけてるんですか?」
「い、いやあ……」
返事に窮してしまう。僕はオシャレに気を遣うようなタマではない。かといって無目的に付けているわけでもないのだけど、その理由を言葉にして誰かに聞かせるには、ちょっとこそばゆいものがあったのだ。
「まぁ、運転する時とかに、使ったりしますけど……」
ライトさんは黙って僕の言葉の続きを待っている。
「あとは……うーん……なんつーか……義眼使う時にも……つけたりするんすけど……必須では……なくて……」
ライトさんは黙って僕の言葉の続きを待っている。
「なんか……ちょっと恥ずかしいんすけど……」
ライトさんは黙って僕の(略)。
ええい、ままよ! 僕は思い切って打ち明けた。
「なんか!! 気合入るんすよね!! これつけて義眼使うと!! やるぞって感じがするっつーか!! 戦闘スタイル的な!!」
「戦闘スタイル」
「ギャ――ッ!! やっぱなしなし!! 今のナシで!!」
僕はドタバタとそのへんの空気を両手で払った。
「すんません!! ガキみたいっすよね戦闘スタイルとか!!」
「ううん。いいと思います」
予想に反してあっさりと肯定されてしまった僕は、ドタバタさせていた両腕をピタリと止めた。
「い、今なんと」
「私にはそういうのないので、むしろ羨ましいです」
ぽつりと落とされた言葉には、揶揄も嘲笑も含まれていなかった。
とりあえず再びソファに落ち着いた僕の向かいで、ライトさんは自分の膝小僧を見つめている。
「チェインさんはスーツで、K・Kさんはコートで――レオくんはゴーグルで。オンとオフの切り替えをしているんですよね」
「いやあ、チェインさんやK・Kさんはともかく、俺のはそんな…」
「羨ましいです、戦闘スタイル」
いいなあ。
子供みたいなその声に、僕はどう反応すればいいのかわからなくなってしまう。
それでも女の子から相談を持ちかけられたのなら、格好つけて答えるのが男の仕事だ。なんてことを言うわけじゃないけれど、「なんとか」と焦ってしまうのも僕の性根だった。もしかすると、目を伏せているライトさんの姿に、妹の姿を重ねてしまったのかもしれない。
「うーん……」
頭をフル回転させまくって、無い知恵を絞り出そうとする。
「それじゃあ、形から入ってみるってのはどうでしょう?」
顔を上げるライトさんに向かって、僕は思わず身を乗り出した。
「チェインさんのスーツや、K・Kさんのコートみたいに。ライトさんも何か1つ、これぞ!と思う服とかアクセとかを決めちゃうんです」
「でも私、そういうのがあんまりなくて…」
むむ。早速暗礁に乗り上げてしまったか。
「うーん。お気に入りの服とかもありません?」
「それなら何着か…」
それだ! 僕は内心でガッツポーズをつくった。
「それじゃあそれを着てきちゃうんです! で、外出前に鏡で戦闘スタイル!て確認する。自分で作りあげちゃうんですよ。そしたら服の着脱でオンオフも図れるようになりますし…」
ライトさんは目をまんまるにして僕を見つめている。
僕はそこでハタと気がついた。服を着るだの脱ぐだの何だのと。
「あれ!? これってもしかしてセクハラに抵触します!?」
ぎょっとした僕が可笑しかったのか、そこでライトさんは声を立てて笑い始めた。唖然とする僕の前で、ライトさんはソファをバシバシと叩いて笑い転げている。笑いが更に笑いを誘うのか、「お腹痛い」と息も絶え絶えに訴えながら、ライトさんはようやく笑いを引っ込めた。
「大丈夫です。私は言われて嬉しかったので、今のはセクハラじゃないです。セーフです」
「じゃあ何でそんなに笑ったんすか」
僕はちょっと憮然とする。そりゃ笑われまくって喜ぶヤツなんていない。
「だってレオくん」
思い出してしまったのか、ライトさんはまたちょっと笑い始める。
「顔が、すごくて」
「…………」
僕は肩の力を抜いた。大いに不本意だが、まあ良しとしよう。お兄ちゃんは妹の笑顔に弱いのだ。
いつの間にか、テレビの向こうの騒動も決着が付いたようだった。結局何がどうなったのかは番組側も現場側もよくわかっていないようだが、事件が沈静化したことには違いがない。徐々に晴れていく土煙の中、露わになる瓦礫群の間を救急隊やHLPDが走り回っている。
その様子を中継しているのだろう、瓦礫を背にしたリポーター(ヒューマー)の顔色は、先の衝撃が覚めやらぬのか、少し青褪めている。
「レオくん!!」
僕の視線につられるようにして、同じくテレビを眺めていたライトさんがそこで急に立ち上がった。何事かと彼女の顔を見る。彼女は頬を薔薇色に染め、鼻の穴を膨らませていた。
「今!! 今テレビに映ってるリポーターの人!! 超かっこよくないですか!?」
「…………」
「写真! 写真撮らなきゃ!!」
「いやテレビに向かってシャッター切ってもあんま意味ないと思いますよ」
あたふたと荷物を引っ繰り返しているライトさんに向かって、冷静にツッコミを入れる。
(ほんと、コレさえなければなあ)
なんて思いながらも、テレビに対してデジカメを向けるライトさんの姿に、僕は笑ってしまっていたのだった。