10:Steven




 最後にもう一度、労いの言葉をかけてから通話を終える。途端に静寂が、痛いほど耳についてきた。誰かとの会話から独りきりの執務室へ、急に放り出されてしまったせいだろう。孤独や静謐さを厭うわけではないが、ことライブラ執務室において、沈黙が身に沁みるのは、平時の騒々しさに僕の身体が順応しきっているせいかもしれない。

 しかしそれと同時に、「独りきりだ」という妙な解放感も湧き上がってくるのだから、ヒトというのは不思議なものだ。

 その解放感に応援された僕は、行儀悪く、机の上に足を投げ出すことにした。まるで反抗期真っ盛りの学生のようだ。こんな所、とてもではないがクラウスにだけは見せられないな、と僕は小さく苦笑するが、心配には及ばない。彼はまだ「密会」の最中で、もうしばらくは戻らないからだ。

 だからこの案件にどう対処するかは僕次第というわけだ。

 伏せたスマートフォンにチラリと眼を向けてから、僕はラップトップを引き寄せた。

 今しがた受けたチェインからの報告通り、ライトは帰路についているようだった。僕のいるライブラ本部まで、ライトは真っ直ぐに移動してきている。

 彼女の名前の付いた点。無論点はひとつだけではない。点たちはまるで羽虫の如く湧き上がっている。移動する点、留まる点、自宅にいる点。表示されているHLの地図一杯に、点たちは群がっており、そしてこの一点一点が、我がライブラの構成員を示している。

 有り体に言えばGPSだ。

 僕は仕事の片手間に、ライトのGPSを監視していた。いや監視という言葉は不適切だろう。チェインの言葉を借りるならば、「見守って」いた。

 予め断っておくが、チェインのことは信用している。信用しているからこそ、ライトのことを任せたのだ。チェインは僕にとっての「保険」だ。チェインを現場に派遣した以上、ライトの安全は守られたと言っていい。

 そのうえでGPSを使い、ライトの動向を監視する僕は……まぁ性根が腐っているのだろう。チェインのことも、ライトのことも、信用している。そうしながらGPSシステムを起動させるこの行為が、矛盾を孕むことは重々承知だ。承知のうえで素知らぬ顔ができるのだから、僕の神経は我ながら素晴らしい構造をしているのだろう。

 さて、僕の性根の是非についてはともかく、目下の懸案事項は、ライトの隣にいる点についてだ。

 ザップ、と表示されたその点の存在は、無論現れた時から認識していた。突如として現れ、彼女とどこかの店に入り、その後HLの各ポイントを共に回っているようだということも。委細については先程の電話で、チェインから聞くことができた。

 チェインは心優しい女性だ。そしてライトとも仲が良い。しかし彼女は人狼局所属の、プロの諜報員である。ライトの事情を慮る気持ちはあれど、虚偽の報告をするとは思えない。だからあれは鵜呑みにしても構わないだろう。

 しかし疑問は残る。どうしてザップが、そこまでライトに構うのか。

 チェインの見解としては、基本的には面倒見の良い男だから、新入りで後輩のライトのピンチを見過ごせなかったのだろう、とのことだったが(無論この台詞の隙間には、散々ザップへの罵倒が含まれていたが)、僕は首を傾げたくなる。

 一理はあるのだろう。度し難い人間のクズであるザップ・レンフロが、意外に人情味に溢れていることは、彼とレオの関係を見ていてもよくわかる。それがライトにも適用されただけだと考えればいい。

 しかし僕の思考はそれを拒む。思えば、先日のBB戦の後、あの凄惨な現場からライトを見つけ出し、救出したのも彼なのだ。無論あの時はそういった命令を出していたし、僕たちも砂埃まみれになりながら現場を駆けずり回っていた。そんな中で、彼がライトを見つけたのは偶然の産物だったのかもしれない。しかしその後、すぐに病院に彼女を預けなかった理由の方は、偶然で賄えるものではないだろう。一度きりのことだったので、敢えて追求はしなかったのだが……。

 画面上の点が二手に分かれた。ライトと示された点はもう、ライブラの建物へ入ってきている。一方ザップの点は本部から離れていく。

 僕はラップトップの画面を閉じた。

 ――その血の特殊性から敬遠されているとはいえ、ライトもラインヘルツに連なる者だ。そして本家の三男坊であるクラウスが、彼女を目にかけていることは周知の事実でもある。「牙狩り」も、そしてラインヘルツ本家も、それを踏まえたうえで、彼女への対応を心がけている。

 つまり彼女は、少々厄介で面倒な立場にいるのだ。だから彼女を預かったこちらライブラとしても、彼女とトラブルは出来るだけ引き離しておきたい。

 例えば、そう、ザップ・レンフロのような、軟派な人間とは、特に。

≪生体確認終了。ライト・V・エルジュ様がお戻りになられました≫

 手を打っておく必要があるかもしれないな。不良学生のようだった両脚を下ろし、意識的な微笑を浮かべて、僕はドアが開くのを待った。





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