07:She




 何がなんだかわからないけれど、とにかくザップさんは怒っていた。怒っていたしキレていたし、あらゆるものにイライラしていた。「目が合った」という理由だけで喧嘩をふっかけに行こうとするぐらい、八つ当たりしてやろう感がすごかった。「肩がぶつかった」とか「睨まれた」とかならまだしも、ちょっと視線が合っただけでオラオラしに行くのは止めてくださいと、その度に私は間に入って、ザップさんを宥めなければならなかった。

 いつもの私なら「とんだ迷惑だ」と顔をしかめて、終いには「もう知るか」と見捨ててしまっていただろうけど、今回ばかりはそうもいかない。

 何故ならザップさんのイライラの原因が私にあるからだ。私のせいで、ザップさんはデートをふいにしてしまった。どう言い繕ったのかはわからないけれど、ブロンドの綺麗な女の人を、結局は置き去りにしてこなければならなかった。せっかくのデートで、せっかくの休日が、何もかもダメになってしまったのだ。腹に据えかねるというものだろう。

 ただわからないのは、その我慢ならない憤りを、何故か私には向けようとしないところだ。私のせいでダメになってしまったのだから、私で苛立ちを発散させればいいのに、ザップさんは罪もない通行人をボコにすることでイライラを解消しようとしている。それでも向かっていく相手は大抵ゴロツキばかりなので、ザップさんなりに人選を重ねた末のオラオラなのかもしれないけれど、相手に謂われがないことには変わりがない。ゴロツキになら鬱憤晴らしてもいいですなんて法律はHLにもないはずだ。

「もう、やめてくださいってば」

 これで一体何度目になるのか、ザップさんのジャケットを掴んで引き留める。葉巻を噛んでいるザップさんは、あからさまにイライラした様子で私をねめつけた。

「ざけんな。今のはあっちからガンつけてきやがったんだ」
「違うでしょ、ザップさんが全方位に向かってガン飛ばしてるから、拾う人が出てきちゃうんでしょ」

 ぐいぐい引っ張って広場の隅にまで移動する。口では何のかんの文句を言いながらも、ザップさんは大人しく私に引っ張られてくれた。見ると、ザップさんが喧嘩を売りかけていた相手の異界人も、連れの女性に頭を叩かれていた。これでとりあえず揉め事は回避だ。

 ザップさんはチンピラのように「ケッ」と舌打ちをしてから、咥えていた葉巻を捨てて新しいものに火を点けた。私は煉瓦敷きの地面に転がった、まだほとんど吸われていない葉巻を黙って見下ろす。

 さっきからザップさんはこんなことばかりしている。イライラしていて、落ち着きがない。

 私は心の中でため息を落とした。

「ガン飛ばさないでくださいね。注目集められたら、仕事ができないです」
「だァから飛ばしてねえっつってんだろ」
「それです、それ。その顔が既にアウトなんです。その顔で周りを見ないでください」
「じゃあどこ見てろっつうんじゃボケが」
「お空とか地面とかスマホとか」
「やだ」

 ぷかあ、と吐き出した煙を宙に流して、ザップさんはもう一度繰り返した。

「いーやーだ」
「…………」

 子供か。というツッコミは、心の中に留めておく。

「それじゃあ、私のことでも見ていてください」

 代わりにそう提案して、私は手の中に握り込んでいた血晶石をひとつ摘まみ上げた。この子のためのベストポイントを探してきょろきょろしていたら、ザップさんがまた喧嘩を売りに行きかけたので、一旦棚上げにしていたのだ。

 スティーブンさんが紙地図に付けた丸印のひとつが、この広場だった。地下鉄のすぐ傍にあり、独特のオブジェが配された広場は待ち合わせスポットとして賑わっている。だからこそスティーブンさんもここに注目したのだろう。

 ひとつめの石は背の高いオブジェの頭辺りに置いた。さて二つめのこの子はどうしよう、と三百六十度を観察していたら、不意にチョップが降ってきた。

「あいたッ」

 そこまで痛いわけじゃなかったけど、反射的に声が洩れていた。何するんですか、と抗議する前に、二度三度とチョップを食らう。

「あた、あたた――ちょっ、ちょっと! ザップさん!」
「お前が変なこと言うのが悪い」
「はああっ!?」

 ビシリ、と極めつけのチョップを最後に、私の脳天は解放された。一体何だったんだ、と頭の天辺をさすりながらザップさんを窺うけれど、しらっとした横顔で空を見上げている。

 本当に、今日のザップさんはわけがわからない。私のせいでフラストレーションが溜まっているのはわかるけれど、それにしても様子がおかしい。

 大体、私に腹が立つのなら、こんなところにまで付き合わなければいいのだ。一度は「仕事に戻れ」と追い払ったくせに、現在地を訊いた途端、今度は私のことを連れ回し始めた。丸印の場所を案内してくれているのはわかるし、有り難いとも思うけれど――。

(そんなにイライラするなら、無理に付き合ってくれなくてもいいのに)

 血晶石を握り締めて、上の方の位置を探す。眼についたのは、広場を見下ろすように取り付けられている化粧品広告の看板だった。あそこにしよう、と思って看板の真下にまで移動する。ちょっと横目で窺うと、ザップさんは大人しく私の後をついて来ていた。

 私は黙って眉を顰める。本当に、わけがわからない。

 もういいですよ、と私は何度も言ったのだ。ひとりでも大丈夫です、とザップさんに伝えた。あんなヘマはもう二度としない、十分気をつける、だからもう大丈夫です。なのにザップさんは、うんでもなければすんでもなかった。

 私ひとりに任せられないと思うなら、スティーブンさんに連絡入れて応援お願いしますから、とまで私は言った。するとようやくザップさんは「そうじゃねえ」と反応を返してくれたけど、結局はそれきりだった。ぶすっとした顔で私を連れ回して、通行人に喧嘩ばかり売った。

「今度は何のリサイクルショップだよ」

 手の中の血晶石に術をかけていると、隣からぼそりと声が落ちてきた。見ると、ザップさんがしかめっ面で、私の血晶石を眺めている。とてつもなくどうでもよさそうな顔をしているので、興味は微塵もないんだろうけど、とりあえず私がさっき挙げた提案には乗ることにしてくれたらしい。

 そうそう、始めからそうやって、私の仕事ぶりを眺めていてくれたらよかったのに、とは思うけれど、またへそを曲げられたら困るので口にはしない。ついでにボケなのか素なのかわからない「リサクルショップ」発言にも訂正は入れないことにした。

「音と映像を自動で拾う術をかけてるんです」
「ふうん」
「今回使う石は全部ニコイチで組んであって、これはこれとペアなんです。こっちで音と映像を拾って、こっちで拾ったものを見る。互いは互いにしか反応しないように作ってあるので、混線することはありませんし、私の血晶がベースにあるので、盗聴の心配もありません」
「へええ」
「牙狩りでは、BBの潜伏先の監視とかによく使われてました」
「ほーん」
「…………」

 自分から訊いておきながらこの態度というのはいかがなものだろうか。怒りがムクムクと湧き上がってくるのを感じたけれど、同じ土俵には上がらないよう、スルーに努める。そういえば以前、BB戦後の公園で、能力の説明をした時もこんな感じだった。あの時も今のようにぶん殴ってやろうかと思案したものだ。

 ザップさんの視線を感じながら、片割れの石を壁につける。術の発動を詠唱してから手を離すと、石は細い手脚を生やし、するすると壁を伝って行った。

 途端にザップさんが大声を上げる。

「すげえ!! 虫だ!!!」
「!? む、虫じゃないです!! そういう術で――」

 否定する私には構いもせず、急にテンションの上がったザップさんはお腹を抱えてゲラゲラと笑いだした。

「く、蜘蛛!! スパイダー!! リサイクルくるくるスパイダー!!」
「ちょっと! やめてくださいってば!」

 しかしそう言われてしまったらそう見えなくもない。私は手先で方向を操りながらも、壁を這い上がって行く小さな虫――じゃなくて石を、複雑な気持ちで見守った。私は虫が苦手なのだ。いや好きな人の方が珍しいと思うけど、退治するよりは退散する方を選ぶくらいには向き合いたくない。

 隣から不必要な囃し立てを受けつつ、とりあえず虫ならぬ石は目標の広告看板にまで辿り着くことができた。目立たない隅の方で立ち止まらせてから、術を変えて、看板にピタリと貼り付かせる。元々派手な色遣いの化粧品広告だったこともあり、隅にポツリと灯った赤い点は、遜色なく周囲に馴染んでくれた。手元に残った片割れで受信感度を確かめる。映像、音声、共に良好だ。

「監視カメラみてえ」

 散々笑い飛ばせてスッキリしたのかもしれない、看板を見上げるザップさんの横顔に不機嫌そうな色は見当たらなかった。そのことに少しホッとしながら、「ですね」と同意する。

「たぶんそれが狙いなんだと思いますよ」

 スティーブンさんが付けた印の場所は、この広場のように、人通りが多く賑やかなところばかりだった。

 ザップさんが首を傾げる。

「だったらもっと、いかにも密会とかありそうな裏通り攻めた方がよくねえか?」
「そういう場所はもうカバーしてるって言ってました」

 だから本当に、狙いは監視カメラであり、それ以上でも以下でもないのだと思う。

 異界と接触し変貌を遂げる前のNYにも、監視カメラは多かったと聞く。街頭や軒先やあらゆる所にさり気なくカメラが設置されており、住人は一日数百台のカメラに晒されながら生活を送っていたという。

 しかし、それも今は昔の話だ。

 一夜にして生じた崩落と再構成の際に、ほとんどのカメラは損傷して意味をなさなくなった。新たな設置を望む声もあるらしいが、変貌したHLでは崩落レベルの小競り合いが日常茶飯事で生じている。以前ならば掲げることのできた「犯罪抑止のためのカメラ設置」も、この街の治安の前では笑い飛ばされてしまうだろう。そうなると人間側の人権問題や異界人側のプライバシー意識が何やらかんやらで、結局揉めに揉めた結果、宙ぶらりんの状態で問題は放置されている。

 というのが、スティーブンさんから受けた説明だ。

 今はHLPDや各国諜報機関が、独自でカメラ網の構築に躍起になっている最中だという。しかし前述した通り、毎日どこかのビルが全壊するような街なので、カメラの維持だけでも大変な労力だ。

 その反面、私の血晶と術を組み合わせたカメラならばある程度の融通が利くので、とりあえずライブラ的監視カメラ網構築第一弾として、要所要所に血晶石を置いてみることにしたのだそうだ。ゆくゆくは以前のNYレベルを理想としているようだけれど、それの目的は「抑止」ではなく文字通りの「監視」だ。犯人が逃走した場合、未知の生命体が現れた場合。真っ先にカメラで確認できる、という状態がベストらしい。

「なぁ、バッテリーとかどうなってんの」
「ないです。強いて言えば、私の血が電池みたいなものです」

 加えて私の血晶は、本体である私から分離した状態で使用する。常に血を流していなければならない血闘術や血法とは違い、そういうところは省エネでエコなのだ。おかげで技自体は甚だしく貧弱だけれど(何しろ血を固めることしかできないのだから)、しかし、一度切り離した石の在処を意識できたりもするので、使い方によっては有用にもなる。

「ちなみにカメラになるようかけた術も、基本は半永久で持続します。術っていうのは、術者が死ぬか、術者自身が術を解くか、もしくは更に上級の術師に破られて壊されるかでしか、解けないようになってるんで」
「ふうん」

 その「ふうん」はさっきまでの「どうでもいい」という感じの呟きではなく、どちらかと言えば「なるほど」と納得したような感心したような、そんな響きのものだった。

 私は思わず口角を上げる。

「……なんだよ」

 にやついている私に気づいたザップさんが、薄気味悪そうにこちらを見てきた。慌てて首を振るが、「きもちわる」と言われてしまった。失礼な。

 ザップさんは看板を指差す。

「ここは? 今ので終わりか?」
「あ、そうです」
「じゃあ、あと1箇所回るだけか」
「それなんですけどザップさん」

 ザップさんはさっきと比べてだいぶ刺々しさがなくなっている。再提案するなら今がチャンスだ。

「何度か言ってますけど、あとはもう私1人で大丈夫ですよ」

 行きかけていたザップさんが、振り返って私を見る。

「ザップさん、せっかくの非番の日なんですから、あとは好きにしてください。ここまでありがとうございました。お礼のご飯はまた後日にでも――あいたっ」

 ありがとうございました、で頭を下げた隙を狙われた。脳天にチョップが食い込む。

 何でだ、と思いながら顔を上げると、ザップさんはさっきと同じ不機嫌モード全開で私を見下ろしていた。……何でだ。

「行くぞ」

 むんずと片手を掴まれる。それはもう本当に掴むという感じだった。繋ぐなんてものではなくて、飼い犬が逃げ出さないようしっかりリードしておく、というような強引な感じで、私はまたもや引っ張られるような有様になる。

「で、でも、ザップさん」
「い―――から黙ってついてこい。このスットコドッコイが」

 怒られた。何でだ。何でなんだ本当に。

 加減もなく引っ張られているせいで、前に進むたびにつんのめってしまう。自分のペースで歩けないから、足を取られるし転びそうになるし、周りの人にもぶつかってしまう。

 ぶつかるたびに謝りながら、それでも私は何故だか、ザップさんの手を振りほどけない。

(何でだ)

 何でなんだろう、本当に。

 強く言えば、さすがにザップさんも引き下がる気がする。やめてください、ついてこないでください、引っ張らないでください。それでも私はそれが言えない。またあの二人組のような人たちに出会うのが怖いのだろうか。それもある。ある気がする。でも全部ではない。全部ではなくて。

 こいつは俺の女だから。

 不意によみがえった言葉が私の心臓を圧迫する。ドキドキして、苦しくなる。あんなのただの方便なのに。そんなことわざわざ説明されなくてもわかってるのに。

(……何でだ)

 何でなんだろう。

 どうして、この手を離し難いと、そう思ってしまうのだろう。





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