05:She




「そうしたらポールの持ってきたやつが手錠じゃなくて足錠で」
「だけど酒入ってたせいもあっておれたち大盛り上がりでさ。代わる代わる付けたり外したりしてギャアギャア騒いでたんだけど、そのうち騒ぎ疲れて眠りこけちゃって」
「そんで朝になって起きてみたらびっくり仰天! おれの片足がこいつの片足とつながれてんの!」
「おいおいどんなプレイだよ! ってな!」
「したらポールがやけにニヤニヤした顔でこっち見てくるから、おれはピンときてね。問い詰めたんだよ。そしたらやっぱり犯人はポールで」
「こいつすぐ頭に血が上るからさあ、キレてポールに飛びかかろうとしたのはいいんだけど、おれたちの足つながっちゃってるわけだからさあ」
「悲惨だったな」
「ああ悲惨だった。おれテーブルの角で頭打ったんだぜ?」
「結局二人三脚でポールのこと追いかけたのはいいんだけど、あいつキャンパス中を逃げ回りやがって。おかげでしばらく変な噂立てられたんだよな…」
「そっち系の野郎に誘われたりな…」

 当時の悲惨さを思い出してしまったのか、がっくりと肩を落として項垂れる二人の様子がおかしくて、私は思わずくすくすと笑ってしまった。

 私を挟むようにして並んでいる二人の男性――ジョンとジャックは、笑っている私に気づいて顔を見合わせた。照れくさそうに頬を掻く。

「そんなに笑わないでくれよ」
「すみません。でも楽しそうでいいですね。HLの大学ってどんなところかと思ってたんですけど」

 二人はこの近くの大学に通う学生なのだと、そう自己紹介してくれたのだ。その流れで私の素性についても訊かれるかと内心身構えていたのだが、彼らは私のことについてはあまり触れず、自分たちのエピソードばかりを話してくれた。面白おかしい物語たちは、たぶんに脚色されているのだと思うけど、私を楽しませようとする気持ちが十分に伝わってくるものだった。

「まあHLにあるってだけで、ヒューマーの学校であることに変わりはないからね」

 そうそう、ともう片方の男性も同意する。

「大学側で雇ってる傭兵が警備してくれてるし、大学にいて危ない目に遭ったことはないぜ。むしろ外の方が危険だよ」
「うん。女子学生とかは大体敷地内の寮で生活してて、街には出ないし」
「でも異界に関する講義が行われてるのって世界で見てもここの大学くらいだし、数は少ないけど異界人の教授もいるし。リスクはあるけど、それに見合うものはあるよな」

 そう語る彼らの横顔を見上げて、私は素直に感心した。

 HLは特別な街だ。この街を押さえられた者は、今後千年の覇権を手に入れたと言っても過言ではない力を有するだろう。そのために街の裏側では、有象無象が跳梁跋扈している。でもその更に裏側では、異界の不可思議さに心を奪われた若者たちが、自らの研究と熱意のために橋を渡ってやって来るのだ。日々の事件に追われているとつい忘れてしまいそうになるけれど、ライブラはこうした未来ある若者たちの学びのためにも、世界の均衡を死守しているのだ。やれ怪物だの神性存在だのを、退けるためだけに存在しているのではない。

 基本的で当たり前で、だけれどとても大切なことに改めて気づかされた私は、心の中で握り拳をつくった。そのためにも、スティーブンさんから任されたこのミッションをきちんと遂行しなければならない。

 気持ちを新たにしたところで、二人が不意に方角を変えたことに気がついた。一泊遅れて後を追おうとした私は、思わずその場で立ち止まってしまう。数歩分先を行っていた二人が、示し合わせたようなタイミングで同時に私を振り返った。

 人の好さそうな笑顔で、にこりと笑いかけてくる。

「どうしたの? こっちだよ?」

 私のすぐ後ろを、通行人たちが大勢通り過ぎて行く。対して私の前方にいるのは、ジョンとジャックの二人だけだった。二人の背後にも、住民の姿は見当たらない。ただただ暗い裏路地が、口を開けて待っている。

 私の視線を追った二人が、裏路地を振り返って納得したように笑った。

「あ、もしかしてこんなに暗い通りは初めて?」
「でも平気だぜ。見た目はちょっと怖いけど、今歩いてたところと変わりねーから」
「リアル・タイムズに行くにはこっちの方が断然近道なんだよ」
「大丈夫。おれたちもよくここを通って近道してるんだ。安全だよ」

 ね、と笑って距離を詰めてくる。

 彼らの言葉をどう受け止めればいいのかわからなくて、私は二人の笑顔と裏路地の先を交互に眺めた。

 この辺りで毎日暮らしている彼らなのだ、信じていいのかもしれない。でもギルベルトさんやスティーブンさんから、裏通りには必要以上に近づかないようにと忠告も受けている。だから私は今の今まで、裏通りや路地は避けて歩いてきたのだ。その忠告を破りたくはない。

 でも――。

 私は彼らの笑顔を戸惑って見上げる。彼らが私を騙そうとしているとは思えない。だって、あんなに私を気遣って楽しませてくれた彼らなのだ。こんなに人懐こそうに笑う彼らなのだ。そんな彼らが、酷いことを企んでいるとは思えない。

 思えない――のに、彼らに素直について行くことにも、抵抗感があるのは、何故なんだろう。

 黙ったまま動かない私に対して、彼らは顔を見合わせた。けれどそれは顔を見合わせたというよりも、目配せをし合ったようにも思えて、ますます私は混乱する。そんな穿った目で彼らを見てしまう自分がイヤだったし、だからといってこの不安を払拭しきれない自分がいることも確かだった。

「大丈夫だよ」

 空々しいくらいに明るい声で彼らは笑う。

「運悪く怖い異界人に出くわしたとしても平気さ。実はおれたち、この辺りを取り仕切っているヒューマーとはちょっとした知り合いでね」
「試験前のノートの貸し借りや何かで、お友達になっちゃってね」
「だから変なヤツらに絡まれても平気さ。そいつらが追い払ってくれるから」
「だから、ね。気持ちはわかるけど、心配する必要なんて何にもないんだよ」

 笑顔の彼らが近づいてくる。私に向かって手を伸べてくる。

「ほら、おいでよ」
「大丈夫だから」
「――私」

 無意識のうちに、私はその手から遠ざかっていた。後ずさったぶん距離が空いて、彼らの手は空を切る。掴み損ねた私の腕。その瞬間、彼らの瞳に浮かんだのは憤りだった。吊り上がった眦と舌打ちしかねない唇の湾曲に、体の中心がすっと冷える。

(――あ)

 これは、たぶん、きっと。

「どうしたの?」

 瞬時に笑顔を取り戻した彼らは、先程と何も変わらない気さくな口調で笑いかけてきた。

「ここを抜けたら、リアル・タイムズなんてすぐそこだよ」
「こんなところでぐずぐずしてないで、早く行こうよ」

 私は黙ったまま首だけを振った。行かない、少なくともそっちには行きたくない、とハッキリ口にしたかったけれど、迷う気持ちが歯止めをかける。

 だって、彼らは私に親切にしてくれたのだ。面白い話をして笑わせてくれた。あれも全部嘘だったのだろうか。

 嘘だったのだ、と囁く自分がいる一方で、いや、まだ、と諦めきれていない自分もいて、心の身動きが取れなくなる。騙されていたんだ、決めつけるのは早計だ、早く逃げないと、礼を失するつもりか。感情と感情が拮抗して、頭の内側がわんわんと鳴り響く。

 痺れを切らしたのだろうか、ひとりの彼がこちらに向かって大きく足を踏み出してきた。手首を掴まれそうになった私は、反射的に深く退きかけて――背中が何かにぶつかった。

 通行人の誰かに当たってしまったのだと思った私は、慌てて振り向き謝罪しようとしたのだが、制するように肩を掴まれ、驚きのあまり硬直してしまった。

 背後にいる誰かが――今しがた私とぶつかった誰かが、私の肩を抱いている。

「お前ら、まだこんなことしてんのかよ」

 降ってきた低音は、この一月ですっかり耳に馴染んだものだったけれど、絶対にここにいるはずがない人物の声でもあって、私の頭の中はますます恐慌状態に陥った。

「げえっ」

 対面している二人のうちの片方が、私の背後を見て悲鳴に近い声を上げる。

「ザ、ザップかよぉ…」
「おうよ。俺サマよ。文句あっか」
「ねぇけどよぉ…」

 情けない声で二人は顔を見合わせる。

「お前に言われた通り、おれたち縄張り変えたじゃんかぁ…」
「何で今になってまたおれらの前に…」

 そこで二人は揃って「あ」と声を上げた。あわわわわ、とでも言い出しかねない表情で、おそるおそる私を指差す。

「も、もしかして、その子…」
「俺の女」

 強く抱き寄せられて、体がぶつかった。波打っている胸が間近にあって、ほのかな汗の匂いが鼻をついて、何故だか心臓が爆発しそうになる。

「お前らがどこで何しようが知ったこっちゃねえけど、こいつは俺の女だから。金輪際手ぇ出すんじゃねえって、お前らの愉快なお仲間にも伝えとけ」

 行くぞ、という声が落ちてくる。何が何やらわからないままに、今度は手を掴まれた。ずんずん歩いて行くザップさんに引きずられるようにして、私は表通りへと連れ戻された。





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