04:She




 二十六階建てのビルだった。フロア面積はそこそこに大きい。その空間を一インチも無駄にするものかとディスプレイされた品数は膨大で、なるほど確かに品揃えは豊富なようだった。けれどその大半が理解に苦しむような奇怪な形だったので、近づくことすら躊躇われた。いや不用意に触ると怪我どころの騒ぎではないような気がして。現に隣の人は洗濯機型の何かに食われかけていたし(近くの客が数人がかりで救出していた)。

 カメラ売り場はビルの中程、十三階の一角にあった。

 こちらも他のフロアと変わりなくエキセントリックな品物が多い。売り場自体のスペースは広く取られているので、バイヤーも販売員たちも力を入れているのだろうけど、カメラといわれてすぐに連想するようなお馴染みのフォルムがまず少なかった。前衛とか意匠的とか、そういう次元をかっ飛ばしている。ファインダーが複数あるのは多眼用かな、カメラ自体が巨大化しているのは巨体用かな、とある程度推測できる物もあるけれど、カメラ自体が縦列駐車のように並んでくっついているのは何用なのだろう。多頭用か。

 とにかく売り場の中をぐるぐると回って、見慣れた姿の「カメラ」を探す。珍妙な売り出し文句やそもそも言語不明のポップが並ぶ中で、私はようやく馴染みのメーカーに出会うことができた。冗談じゃなくホッとする。

 それは一眼レフタイプのデジタルカメラだった。おそるおそる近づいて、おそるおそる手に取ってみる。レンズがパキンとひび割れて、そこからどでかい口がパカリと出てくることもない。とりあえずこれは普通のカメラのようだ。

 なんだかもうこれで良い気がしてきた。「お手軽」「簡単」「サクサク」を望んではいたけれど、要は撮りたいものが撮れれば何でもいいのだ。ただその対象がカッコイイ男性に限定されているので、あんまり高性能や本格的なタイプを購入しても、カメラに申し訳ない気がしてしまうだけなのだ。

 しかし今はそれよりも面倒くささの方が勝っていた。品揃えは豊富だが、豊富すぎて飽和状態にある雑多な売り場から、再び人間用のカメラを探すのは骨が折れそうだし、店員を呼ぶにもどれが店員かわからない。どうやらこの店は制服を採用していないらしい。

 レジに直行したい気持ちを抑えながら、とりあえず重さやボタンの触り心地なんかを確認してみる。性能も簡単な表として貼り出されていたので読んでみるが、正直さっぱりわからなかった。数字が高ければ高いほど高性能な気もするけど、どうなんだろう。

 もしこれを購入することになるのなら、一眼レフデビューとなってしまう。今までのコンパクトカメラとは色々と勝手も違うだろう。使いこなせるのか不安だけれど、職場には元新聞記者がいる。記者ならば写真を撮る機会もあっただろうし、わからなければレオくんにでも訊いてみようか。

 そんな考えを巡らせながら、一丁前に格好をつけて、ファインダーを覗いてみたりする。もちろん覗いたところで何もわからない。ディスプレイされている商品なので、電源も入っておらず、試し撮りもできない。ポーズだけだ。

 けどそれで性能表を眺めていても楽しくはないので、とりあえずぐるっとフロアを見回してみる。

 所狭しと並べられた商品。狭い通路を行き交う買い物客。ファインダー越しの世界。

 初めてカメラを手にしたのは、まだうんと小さな子供の頃だった。クラウスお兄様から頂いたプレゼントの山のひとつ。子供用のトイカメラ。

 その頃の私はいけ好かない子供だった。いつも不機嫌で、感じが悪く、陰気で内気で、子供部屋に閉じこもってばかりいた。自分は世界で一番可哀想な子供なんだと本気で思っていた。

 そんな私の部屋に、クラウスお兄様は来る日も来る日も足を運んでくれたのだ。プレゼントの箱をひとつ携えて。未開封の箱が群れとなり、塊となり、山になった頃、私はお兄様に言ったのだ。ヒトの顔を見るのが怖いと。お兄様はプレゼントの山からひとつを取り出して、私に贈った。それがトイカメラだった。そうして私はファインダー越しに、世界と向き合う術を覚えたのだ。

(……あれ?)

 違和感を覚えたのは、覗いていたファインダーから顔を上げた時だった。レンズ越しの景色と、裸眼の景色に、奇妙な違和感を覚えたのだ。それは何かの凶事に思えた。

 再び、ファインダー越しにフロアを確認しようとした時だった。売り場の中で佇んでいる女性と、目が合った。私はフロアの端にいて、彼女は中央の方にいた。私たちの間にはたくさんの距離と空間があって、大勢の買い物客が流れるように動いていたというのに、どうしてだか私は、彼女と視線が合ったことを確信していた。

 そしてほとんど反射的にこうも思った。「気づかれた」と。「見つかってしまった」と。

 それからの出来事はあっという間だった。何か、長くて鋭利なものが、凄まじい速度で私に向かってくるのを、目の端で捉えることが精一杯だった。

 反転する天地、落下、耳を聾する轟音。

 私と、その場に居合わせた買い物客たちは、崩れた足場から宙に放り出されていた。





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