03:She
ヘルサレムズ・ロットの道は大体いつも混んでいる。車道も歩道も裏路地も。車道には車や車的な何かがたくさんいて、歩道には人間や異界人がたくさんいて(中には車道を通るべきではと疑いたくなるような住民もいる)、そして裏路地には妖しげなものたちがたくさんいるからだ。諸事情により、ちょっと表には出られないモノモノ。
だから車窓を流れていく景色は、ひどくゆったりとしたものだった。このぶんなら車を降りて走った方が早いかもしれない、と思ったけれど、思っただけで、実行に移したりはしない。ギルベルトさんを困らせるのは本意じゃない。
別に、街をうろつくなと言われていたわけではなかった。それでもあの日、行きと帰りで服装の異なっている私を見て、レオくんが驚いていたように、ギルベルトさんのことも驚かせてしまったのだ。驚かせてしまったし、困惑させてしまった。それは瞬く間にクラウスお兄様とスティーブンさんの耳にも入った。つまるところは事故だったので、叱られたわけではなかったが、それでも私は車の流れをよく見ず道路に飛び出してしまった子供のように、言い含められることとなった。ここがNYならこんな心配もしないんだけどね。困ったように微笑っていたスティーブンさん。でも、ここはいつ何が起こってもおかしくないHLだからね。
まぁ不本意な気持ちがないわけではなかったが、私もそこで拗ねるような子供ではない。大人が安心するというのなら、右見て左見てもう一度右だって見ようではないか。
というわけなので、最近ではよく送迎を頼むことにしている。そうするとギルベルトさんは安堵したように唇の端を持ち上げてくれるし、スティーブンさんはどこか嬉しそうにもしてくれる。(ギルベルトさんが留守にしている場合は、スティーブンさんに運転をお願いするのだ。まぁそんなこと滅多にないんだけど)。
「着きましたよ」
音もなくなめらかに、車が停まった。ギルベルトさんのさすがの運転テクニック。そこはちょうどビルの前だった。正面出入り口が見える。
想像していたより客足は多そうだ。たくさんの住民が出入り口の回転扉を潜り抜けて行って、またおんなじ分の住民がそこから吐き出されてくる。くるくる回る回転扉。
車から降りようとしたギルベルトさんを制して(たぶん私のためにドアを開けようとしたのだろう)、私は自分の手でドアのハンドルを引いた。
運転席側の窓が開いて、ギルベルトさんが顔を覗かせてくる。
「私はこれから坊ちゃまたちのお迎えに上がらねばなりませんので、ご一緒はできませんが…」
「買い物するだけだもん。ひとりで大丈夫。送ってくれてありがとう」
心配させないようにハキハキと答え、ついでに元気いっぱい笑ってみせる。
ギルベルトさんは瞳だけでひっそりと微笑んだ。
「お迎えには参りますので」
「ありがとう」
ギルベルトさんの性分的に、たぶん私が店内に入るところを見届けるまでは車を出さないだろう、と思ったので、本当はお見送りをしたかったのだけど、我慢してさっさと出入り口に向かうことにする。
背中にギルベルトさんの視線を感じた。
回転扉の手前でちょっと振り返って、ギルベルトさんに手を振った。ギルベルトさんはやっぱり眼だけで微笑って、白手袋に包まれた手を小さく上げる。
その時になって、ようやく私は気がついたのだ。路駐しているギルベルトさんの車と、その向こうに広がる六車線の大きな通り。ビルの手前から望遠と眺めて、初めてそのことに気がついた。
この通りが、あの通りであったことに。つまりは世界最大の個人である、ギガ・ギガフトマシフ伯爵の移動に出くわした、あの通りであったことに。
奇妙な縁を感じながら、私は回転扉を抜けて店内に入った。陽気なBGMが天井からシャワーみたいに降り注いでくる。
なんとなく、ザップさんのことを思い出した。避けられているので、最近は写真も撮れていない。コレクションの進捗状況は芳しくなかった。
(会いたいなあ)
そう思ってから、待てよ、と自分の思考にストップをかける。本当に会いたいの、あなたは、ザップさんに。自問自答してみる。
(…………)
ザップさんの爆笑がチラチラと脳裏を掠めていった。仕方がないと思う。私だって笑ってしまうと思う。それでもなんだか気分が重たくなってきた。
もしかしたら私も、ザップさんに会いたくないのかもしれない。