02:She




「あれ」

 思わず声を上げてしまっていた。向かいに座っていたレオナルドくんと、隣のチェインさんが同時に私を見る。

 ライブラの執務室だった。天井ではシーリングファンが音もなくクルクルと回っている。

 私とチェインさんは二人用のソファに並んで、レオくんはひとり用のソファに腰掛けて、思い思いに時間を潰していた時だった。ちなみにチェインさんは何かの資料を眺めていて、レオくんは雑誌を広げていた。

「どうしたんすか」

 向かいのレオくんが、テーブル越しに身を乗り出してくる。

 私はちょっと迷った末に、今の今までいじっていたデジタルカメラを差し出すことにした。

「壊れちゃったみたいなんです。急に点かなくなっちゃって」

 あれま、と言いながら、レオくんは私の手からデジタルカメラを受け取った。ボタンを触ったり、引っ繰り返したり、バッテリーの挿入部分を確かめたり、色々と手を尽くしてくれる。

 レオくんはやさしい。私はレオくんの表情を黙って観察した。寄った眉と尖った唇。真剣な表情。

 時々、レオくんって神様なんじゃないかと思うことがある。

「充電は?」
「今朝してきたばかりなんですけど……あ、でも出かける間際に落っことしてぶつけちゃいました」
「それかなあ」

 難しい顔をしたレオくんが、右に首を曲げた。どうかなあ、と呟いて、今度は左に首を曲げる。

「もしかしたら、バッテリーがイカれてるだけかも」
「それは、バッテリーを買い替えれば治るってことですか?」
「その場合は。でも原因が別にある場合は、サポセンに直行っすね」

 お役に立てなくて、と言いながら、レオくんがデジタルカメラを差し出した。

 再び私の手のひらに戻ってきたデジタルカメラ。小さくて軽い、コンパクトタイプのそれは、確か「お手軽」「簡単」「サクサク」といった単語と一緒に売り出されていた覚えがある。とにかく撮影さえできれば良かった私は、他を吟味もせずに、それをレジへ持って行ったのだ。我ながら驚きの安直さと潔さである。決して安い買い物ではないというのに。

 でもまぁ、私の趣味は偏狭も偏狭、超特化型なのだ。一眼レフなんて恐れ多いし、かと言ってトイカメラでは不満が残る。となるとやはり、「お手軽」「簡単」「サクサク」系の便利タイプ一択となるのだ。

「それ、いつ買ったの」

 隣からの声に、私は少し考えた。

「だいぶ前です。ずいぶん使い込んだんで、もしかしたら寿命だったのかもしれないですね」
「ポックリ病かあ」

 ひとり用のソファの背に、レオくんがずりずりと沈み込む。

「家電のポックリって困るんすよね〜」

 あいつらたまに仮病も使うし。と言ってブツクサ呟くレオくんは、家電製品と何かあったのだろうか。言い草がおかしくて思わず笑ってしまう。

 笑いながら手元を見た。

「修理に出すより、新しく買い替えた方がいいかな」
「買い替えるの」

 チェインさんは耳聡い。耳聡いうえに目敏くて、さすが諜報部員だなと感心してしまう。

「そうですね。保証期間も過ぎてますし、修理に出すのもお金かかりますし。どのみち出すなら、新しくした方がいいかもしれません」

 同意するようにこっくりと頷いてから、チェインさんはレオくんを見た。

「何かオススメの機種ないの」
「えっ。何で俺っすか」
「元新聞記者でしょ」
「えっ」

 ちなみに今の驚き声は私だ。

 レオくんはすかさず両手を振った。

「わーッわーッわーッ! でもそんな立派なもんじゃなくて! 自称に近い駆け出しというか!」
「えー! 知らなかった、記者さんだったんだ。すごいんですねレオくん」
「ヤメテ! 死に設定に近いものがあるから蒸し返さないで! ヤメテ!」

 何故だかレオくんは極度に恥らっている。男の子に対してこれはだいぶ失礼かもしれないけれど、ヤメテヤメテと頬を赤くする姿は正直ちょっと可愛いかった。顔がにやついてしまう。

 そんな花も恥らうレオくんをガン無視して、チェインさんは淡白なトーンで「それで」と先を促した。

「オススメの機種はないの」
「あ、えっと、そういうのはよくわかんないっすわ」
「…………」
「いやそんな顔されても! そりゃ俺だって一眼ぐらいは持ってますけど!? でも実家に置いてきちゃったし!? つーか最近は写真自体撮ってないですし!? だからオススメとか訊かれても……」

 チェインさんに向かって頑張っていたレオくんだったけど、真顔に近い無表情には勝てなかったみたいだ。だんだん声から覇気がなくなっていく。

「……最新のやつとか……そんなん……」

 わかんないっす、と言ってとうとうレオくんは項垂れた。チェインさんはあからさまなため息を吐いてみせる。そのため息を耳にして呻くレオくん。遊んでいるし、遊ばされている。仲が良いなぁ。

「まぁ、私は撮れれば何でもいいので」

 一応、仲裁するような気持ちで希望を添える。それは実際、嘘ではなかった。最低限の性能があって扱いやすければ、見た目にもメーカーにも拘りはない。

「でも、HLで電化製品が欲しい場合って、どこに買いに行けばいいんでしょうか?」

 レオくんとチェインさんは顔を見合わせてから、ゲットー・ヘイツ内の有名チェーン店と、そして聞いたことのないビルの名前を上げた。

「42番街の家電量販店はライトさんも知ってると思いますけど、品揃えはあんまりよくないんすよね」

 なんせHLですし、と肩を竦めるレオくん。

 HLと外界を繋ぐ唯一の関門は、川を渡る大橋のみだ。空も船も使えない。そうして流通経路が絞られると、なかなか品物が行き渡らなくなる。速さが自慢の通信販売でさえ、HLではお届けまでに膨大な日数を要するのだ。そうなると自然に、ビヨンド由来の食料品や日用品が、ヒューマーの日常においても欠かせなくなってくる。それを頑ななまでに拒絶している42番街の売り場が閑散とするのも、仕方のない話だ。

「逆にもうひとつの方は品揃え豊富だけど、メイド・イン・ビヨンドの製品も多いし、人界製に見せかけた偽物も多い」

 チェインさんの説明に、私は唸った。露店ならまだしも。

「紛い物を堂々と店頭販売しないで欲しいんですけど…」
「仕方ないよ、HLだもん」

 全く魅力はないけれど、それは抗いようのない魔法の言葉だった。郷に入っては郷に従わなくてはならない。結局私は頷いた。

 けれどなるべくなら、メイド・イン・ビヨンドの品物は避けたかった。先日購入したばかりのアルバムはまさにその製品だけど、あれはそもそも特殊な使い道を想定してのことだ。他にも、ちょっとした日用品や雑貨ぐらいならばビヨンド製でも構わない。しかし長く愛用することになる家電製品等々においては、なるべく人界製で揃えたかった。何故ならビヨンド製の電化製品は、人間の使用を想定した作りになっていないからだ。触手差込口なんてあっても困るし、十二個のボタンを同時に押せばスタートですなんて無理ゲーだ。指が足りない。

 だからといって42番街に赴くのも気が進まなかった。「隔離居住区の貴族」と呼ばれている通り、あそこの住人たちはビヨンドへの差別意識がとても強い。まさしく彼らは「貴族」なのだ。ただし思い上がりと勘違いに彩られた金メッキの貴族たちだ。

 座っていたソファから立ち上がる。

 たとえフェイクを掴まされたとしても、要は撮影さえできればいいのだし、HL初心者の社会勉強だったと思えば、痛んだ懐も納得してくれるはずだ。たぶん。きっと。

「買いに行くんすか?」

 はい、と見上げてくるレオくんに向かって頷く。

「今空き時間ですし、ちょっと行って買ってきます」
「結局、どっちに行くの」

 これはチェインさん。

「42番街は遠いんで、もうひとつの方に。バッタもん掴まされないように頑張ります」

 ぐっと拳をつくって宣言する。

 レオくんがちょっと腰を浮かせた。

「俺も行きましょうか」
「え?」
「ついて行きますよ。あ、オススメとかはわかんないっすけど」

 私はびっくりしてレオくんを見つめた。

 レオくんはやさしい。とてもやさしい。神様みたいに人が好い。

「ありがとうございます。でもひとりで大丈夫ですよ」

 心配そうな顔になるレオくんに、私は殊更に笑ってみせた。

「だって、レオくんはまだ待機中じゃないですか。ギルベルトさんに車も出してもらいますし、大丈夫です。心配ないです」

 レオくんはやさしい。やさしいから、そうまで言われると引き下がるしかない。

 私は二人にお礼を言ってから、ギルベルトさんを探しに行った。確か、クラウスお兄様とスティーブンさんをどこかに送り届けてから、一旦本部に戻って来ているはずだ。

 思い当たる場所を覗いてみる。

 この間、レオくんから改めて「戦闘スタイル」の件での謝罪を受けた。驚いたことにレオくんは、あの責任の一端は自分にあると考えているみたいだった。どこまで人が好いのだろう、と私は半ば呆れもしたし、感心もした。確かに提案者はレオくんだけど、それを受けたのも実行したのも私なのだ。ついでに言えばゲロに似た体液をかぶったのは完全に事故だった。

 だからレオくんは何にも悪くない。むしろバカな話を持ちかけた私の方が悪いのだと、いくら言葉を尽くしても、結局レオくんは納得してくれなかった。そうこうしているうちにそれぞれに仕事が舞い込んで、話し合いは中途半端なまま、今も宙に浮いている。もう今さら、どうやってそれを下ろせばいいのかわからないし、それはレオくんも同じみたいで、手つかずのまま今に至る。

 それでもレオくんは、まだ何くれとなく私を気遣ってくれる。俺も一緒に行きましょうか?

 レオくんはやさしい。底抜けにやさしい。そういうところはちょっと、クラウスお兄様に似ていると思う。

 私のヒーローたち。

 戦闘スタイルなんてものに憧れた理由は簡単だ。クラウスお兄様のナックルと、スティーブンさんの革靴。小さな私にとってのヒーローアイテム。でもあれは、あの二人ぐらいに強くならなければ得られないアイテムで、スタイルなのだと、よく羨望を抱きながらもため息を吐いていたものだ。

 でもここにはたくさんの独自アイテムがあった。スキルがあって、スタイルがあった。所属している構成員の数だけ無限に。

 その末席に加われた私は、勘違いをしてしまったのだ。思い上がりと勘違いに彩られた金メッキ。

 だからザップさんの爆笑は、全くの真実だった。ゲロ水をかぶった阿呆な私を大いに笑い飛ばすその声を聞いて、私は正気に戻れたのだ。頭から冷水をぶっかけられた気分だった。いやぶっかけられたのはゲロだったけど。

「あ、ギルベルトさーん」

 ようやく見つけた背中に声をかける。

 だからレオくんは悪くない。私にゲロ色体液をぶちまけたあのビヨンドも悪くない(故意でやったわけではないんだし)。そうそう、ギガ伯爵だって悪くない。ただ通行していただけなんだし。

 だから、ザップさんだって悪くない。立場が逆だったら私だって笑っていたと思う。なのにあの日以来、ザップさんとは話せていない。避けられているのだ。





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