05:Leonardo
事の真相を一刻でも早く確かめたかったけれど、間の悪いことにスティーブンさんは外出中だった。代わりに執務室内にはクラウスさんの姿があった。けど僕たちに仕事を割り振っているのは主にスティーブンさんだ。クラウスさんに訊いてもわからないかもしれないし、そもそも恐ろしい可能性に結びつくかもしれないこの案件を、クラウスさんの耳には入れたくなかった。
だって、ライトさんとザップさんが、二人で揃って“夫人宅”に向かったのだとしたら。その仮定が本当なのだとしたら。行きと帰りで服装の違うライトさんの身の上に起きたことなんて、ひとつしか想像できない。想像したくないけどそれしか思い浮かばない。
てっきり、ザップさんはライトさんのことを嫌ってるのかと思っていた。けどあの人は穴さえ開いてりゃ何でもいいのだ。もしくはいつもと違うスタイルのライトさんを見て、下劣な欲情を――。
ああ! 僕は髪の毛を掻きむしった。地団駄を踏んだ。床の上をローリングした。
それがガチならば僕にも責任はある。どう責任を取ればいいのだろう。しかもライトさんはラインヘルツ家に連なる者だ。そうだ、スティーブンさんも言ってたじゃないか。粗相のないようになと。アレはザップさんに向けられたものだったけど、有効性は僕にもある。ハローミシェーラ、お兄ちゃんは爵位を有するお嬢さんに無体を働いてしまいました。もしかしたら内臓とか指とかなくなるかもしれません。どうしよう!
ああ! 僕は髪の毛を掻きむしった。膝から崩れ落ちた。チェインさんに踏まれた。
そんなこんなでまんじりともせずザップさんの帰りを待っていた僕とチェインさんは、陽もとっぷりと暮れた頃になってようやく、待ち侘びていたアナウンスを耳にしたのだ。
≪生体確認終了。ザップ・レンフロさんがお戻りになられました≫
僕はゆっくりとクラウチングスタートの姿勢に入り、目当ての扉が開いたと同時に、目標に向けてタックルをかました。
「うお!? 何だ何だ!?」
有無を言わさず、ぎょっとするザップさんを引きずって別室に移動する。後ろからはチェインさんがついてきた。
「おい! 何だよレオ!!」
チェインさんがきっちりと扉を閉める。執務室内にいるクラウスさんには聞こえないように。
それを確かめてから、僕は床の上であぐらをかいているザップさんを見下ろした。
「ザップさん」
「何だよこんなとこまでつれて来てよ。しかも犬女まで」
「訊きたいことがあるんです」
「あん?」
七面倒くさそうにこちらを見上げるザップさん。僕は尊大に腕を組んだ。
「今までどこにいたんすか」
「どこって」
ザップさんは唇を尖らせる。
「“夫人”の家だけど。つーかメシまで強制されてよぉ。まぁ美味いからいーんだけどよぉ。しっかし酒入ったババアの相手は疲れるわ」
僕とチェインさんは無言で視線を交わし合った。
やはり。やはりライトさんと共に“夫人宅”に向かったのはザップさんだったのだ。おお、何たる悲劇か。何という無情か。
僕はハラキリする自分を想像しながら静かに尋ねた。
「あんた、ライトさんに何したんすか」
「はああ?」
ザップさんは目をぱちくりさせる。
「何って何だよ」
「何はナニだろおおおおお!!」
しらばっくれるザップさんに理性が吹き飛んだ。
「あんたまさかクラウスさんの親戚に手ぇ出したんじゃないだろうな!! 飛ぶぞ!! 首が!! 比喩じゃなく!!」
「はああああ!?」
僕の暴走に触発されたのか、ザップさんも立ち上がって怒鳴り返してくる。
「っざけたこと言ってんじゃねーよ妄想童貞ヤローが!! 俺にだって好みぐらいあらぁ!!」
「じゃあど――してライトさんの服が行きと帰りで違ってるんですか!! 説明してください!! ハイ!! 申し開いて!!」
「それはなァ!!」
そこでザップさんが急に吹き出した。ぶフォアという鳴き声と一緒にツバまで飛ばしてくる。汚い。
ザップさんは床に倒れてジタバタしながら笑っている。何が一体面白いのか、息をするのも大変そうだ。
「お、お前にも、見せてやりたかったぜ、レオ!」
息も絶え絶えにザップさんは笑う。
「頭っからゲロ色の水かぶったアイツのカッコ! ぶはは! ま、まじケッサク! 今思い出しても……ぐひゃひゃ!」
息も絶え絶えにザップさんは笑う。
笑う、笑う、笑う。
僕は色々なものがすうっと冷めていくのを感じていた。
「そーやって笑ったんすね」
「はあ?」
「ライトさんの前でも、そーやって笑ったんすね。ザップさんは」
そこでザップさんはピタリと動きを止めた。さっきとは違う半笑いで、僕を見上げてくる。
「おうおう、何だあ? お説教か童貞サマ?」
「死ねクソ猿」
と言ったのは僕ではない。チェインさんだった。
突然の方向から飛んできた罵倒に、ザップさんは一瞬だけ虚を衝かれたみたいだった。その隙にチェインさんは二撃目を放つ。
「素手で去勢されて苦しみ抜いて死ね」
「――はあ!?」
そう怒鳴ったザップさんが立ち上がった時にはもう、チェインさんの姿は室内になかった。ドアには誰も触れていない。たぶん希釈して出て行ったのだと思う。
何だよあのクソ犬女、とか何とかブツブツ言いながら、ザップさんはイライラと葉巻を口に咥える。
僕はそんなザップさんを黙って眺めた。
「何だよ」
僕の視線から何を読み取ったのか知らないが、ザップさんは険しい目つきで僕を見てきた。
「おめえもあのクソ犬派かよ」
「何にも言ってませんけど」
「大体、デートだか何だか知らねえけど、職場にあんなピラピラした服着てくる方がアタマおかしーだろ」
僕の言葉なんて丸きり無視して、ザップさんは舌打ち混じりで呟く。
「いつ何時デフコンが出て戦闘が起こるかわからねえんだ。生きるか死ぬかって時に、色ボケた服で全力出せんのか、アイツは」
「…………」
だとしたら、僕にも責任はある。提案したのは僕なのだ。了承し決行したのは彼女だとしても、切っ掛けをつくったのは間違いなく僕だった。
浅はかな僕のせいだった。
「だとしても、バカにして笑うのはよくないと思います」
ザップさんは僕を見て、煙を吐いた。軽く肩を竦める。
「へえへえ。すんませんでした」
「そう思ってるなら本人に――」
「あ〜〜はいはい。お前から言っといて〜」
だるそうに片手を振りながら、ザップさんは部屋を出て行った。止めたかったけれど、止められなかった。止めて、向き直らせて、そして言葉に詰まることは目に見えていたからだ。何をどう糾弾すればいいのかわからなかった。
(…………)
失敗、と称した彼女の言葉が、今になってイヤになるほど胸に沁みた。