04:Leonardo
「眼」を使わなくてもできる単独の仕事っていうのは案外たくさんあるものだ。まぁそのほとんどが、下っ端に押しつけられるような使い走りレベルのものなんだけど、僕はまだまだ下っ端の新入りなので、それは順当な結果だった。
今日の「お使い」は、張り込み中のライブラ構成員たちに差し入れを持って行くことだった。
スティーブンさんに頼まれていたランチのサブウェイを買って帰って、ついでに自分の分もテイクアウトして、執務室で昼食にありついていた僕に下りてきたのが、そのお使い仕事だ。リストアップ済の品物を集めるところから始めなければならなかったので――そのどれもが食料品や雑貨や生活必需品だったとはいえ――結構時間を食ってしまった。
そうして本部に戻ったのが夕方頃。何往復もして運び込んだ「差し入れ」の重さに、やれやれと体をほぐしながら執務室の扉を開けようとしたところで、急にドアノブが逃げていった。
「わ、レオくん」
執務室から出ようとしたライトさんが、扉の前の僕に気づいてたたらを踏む。
「びっくりした〜。お疲れさまです」
「お疲れさまです」
とりあえずお互いに会釈を交わす。
執務室に入ろうとしていた僕と、出ようとしていたライトさん。ちょうどお見合いしてしまった形だ。
それじゃあ行ってきます、と執務室内に声を放ってから、ライトさんは道を譲るようにして廊下に出た。扉は開いたまま、ライトさんの手で押さえられている。僕はライトさんの手から扉の重さを受け取って、受け取りながら声をかけた。
「ライトさんはこれからどこに――」
言いかけてから気づく。廊下に出てこちらを見るライトさん。その全身。
「あれ? ライトさん、その服……」
昼前、本部近くの往来で見かけた時とは、明らかに服装が異なっている。一瞬、気のせいや勘違いかと自分の記憶を疑いかけたけれど、「戦闘スタイル」と指して話題にしたのだ。いつもとは違う、ひらひらな洋服を。
やっぱり間違いじゃない。ライトさんの服が変わってる。デートにでも行けそうなひらひらから、白シャツにジーパンなラフなスタイルに。
あはは、と声を上げてライトさんは笑った。
「実はちょっと、失敗しちゃいました。だからもうあれはやめておきます。せっかくアドバイスくれたのにごめんなさい」
「え? あの、失敗って…」
「ごめんなさい。結構時間押してて、急がなきゃいけないんです。だからまた今度ということで」
ライトさん、と声をかけたけれどダメだった。扉から手を離して彼女の後を追いかけてみたけれど、ダメだった。
階段を下りていく音が聞こえる。
だんだんと小さくなっていくその音を、僕は階段の手すりにしがみついたまま黙って聞いていた。
明るい声だった。表面だけ掬うと、とても明るくて陽気な声だった。何のダメージも負っていないみたいだった。だからこそ僕には、とても不自然に思えたのだ。
「私が」
「うわあ」
そのまましばらく手すりにしがみついていると、何の前触れもなく唐突に、頭の上から声が降ってきた。びくついて背筋を正す僕の頭皮には、靴底の感触が。
「チェインさん!?」
「来た時にはあの子もうあの服だったけど、何かあったの」
「ちょ、ちょ! チェインさん! 人の頭の上に乗んのやめてください!」
「重くしてないからいいでしょ」
「そーゆー問題じゃなくってですねえ…!」
頭の上の空気をバタバタと両腕で払いのけるけれど、希釈しているようで掠りもしない。くそう…!
仕方がないので僕は早々に諦めることにした。代わりに頭の上の人狼を落とさないようバランスに努める。まぁそんな労力をかけなくても、チェインさんなら僕の頭なんて上手く乗りこなしちゃうんだろうけど。
「ライトさん、戦闘スタイル的なものが欲しかったみたいで」
真横にぴんと両腕を伸ばして、綱渡り中のサーカスよろしく、バランスを取ってみる。
「なにそれ」
「えーと。チェインさんのそのスーツ姿や、K・Kさんのコート姿なんかが…」
「じゃなくて。レオのポーズの意味」
できる限り首は固定させたままで、僕は上目遣いに頭上を見た。
「いや、チェインさんを落とさないようにと…」
答えた途端、大きなため息が落ちてきた。それはそれは大きなため息だった。続いて頭に軽い衝撃。蹴られたのだ。
僕の頭を土台に跳躍したチェインさんは、軽い身のこなしでくるりと一回転してみせてから、僕の前に降り立った。うん。心なしか、頭が軽くなったような気がする。なんて言ったら睨まれるだろうから黙ってるけど。
「私のこれは諜報活動に便利だから着てるだけだけど」
自身の黒いスーツを指差して、チェインさんは答える。
「え。そうなんすか?」
「スーツってすごく記号的なものでしょ。だから大抵の場所に違和感なく溶け込むことができて便利なの」
「ほぁ〜……な〜るほど〜……」
ただの好みかと思っていたので、込められていた意図に僕はいたく感心した。もしかするとそういうものって他にもあるのかもしれない。あんまりにも見慣れ過ぎていて最早日常風景と化しているけれど、例えばK・Kさんのコートとか、例えばザップさんのベルトとか。紐解いてみれば意外な思惑やストーリーが、その内側に潜んでいるのかも。
「それで?」
「え?」
「戦闘スタイルが欲しくて?」
「ああ…」
話が脱線するところだった。僕はぽりぽりと頬を掻く。
「それで俺、言ったんですよ。お気に入りの服でも何でもいいから、普段とは違う、ちょっと特別な格好から入ってみたらどうか、的なことを…。そうしたらライトさん、今日はそのままデートにでも行けちゃいそうな、可愛い服装で着てて……なのに今会った時には、さっきとは全然違う、普通の格好してたもんだから……」
声がどんどん沈んでいく。ちょっと失敗しちゃって。ライトさんの声がよみがえった。
「……何があったんだろうって……」
僕の手前、無理に笑ってみせたのだろうか。お気に入りの服を着てきたらいい。そんなアドバイスをした僕の手前、失敗という言葉で濁したんだろうか。
本部近くの往来で出会った昼前と、日没も近い夕刻の今。
「……」
僕はちょっと考えてから顔を上げた。
「チェインさんがライトさん見たのって何時ぐらいっすか」
チェインさんもちょっと考えてから答えてくれる。
「お昼は過ぎてたと思う」
「じゃあその間だ! その間に何かあったんだ!」
眉を顰めるチェインさんに、我ながらオーバーな身振り手振りで説明する。
「俺がライトさんを見たのは昼前なんす! 買い出しに行く途中、外で会って」
「私が見た時は、ちょうど仕事先から戻ってきたところだったけど」
「仕事先?」
初耳だった。確かに、昼食を買って戻った時にはもう、ライトさんの姿は執務室になかった。けれど出入りが激しいのはライブラの常だ。だから僕も、特に気に留めていなかったのだが、仕事に行っていたのなら納得だ。
「確か……“夫人”に指名されて、挨拶に行って、でも挨拶したら私はやることなくなったんで、一足先に戻ってきましたって。そう言ってたかな」
「私は?」
それが一言一句正確だとは限らない。けれどライトさんが本当にそう言って戻ってきたのなら、それはつまり、「私以外の誰か」と行動していたことになる。
思えばクラウスさんもスティーブンさんも、ライトさんを単独で任務に就かせたことはなかった。単独で任せるのは留守番くらいだ。それはライトさんがHLに来て日の浅い新入りであることと、あとはクラウスさんたちの甘さによるところだと僕は思っている。
そんなライトさんを、いくら挨拶のためだとはいえ、一人で“夫人宅”に向かわせるものだろうか。――いや、ない。有り得ない。
そして僕が昼食を買って執務室に戻った時。もう一人、姿の見えない人がいたのだ。
「チェインさん」
「なに」
「ザップさんって、確か“夫人”のお気に入りでしたよね?」