03:Zapp




 俺は、ものすごく、とてつもなく、最低最悪に、超がつくほど、キゲンが悪かった。

 それは“夫人”のところにお使いに行けなんてめんどくせえ仕事を頼まれたからでもあったし、そのパートナーに指名されたのがクソ女だからでもあったし、そんでもっての極めつけは、ギルベルトさんが善意で持ちかけてくれた話をクソ女が断りやがったからだった。

 夫人のところにパシられるハメになった俺たちに、ギルベルトさんは言ってくれたのだ。よろしければ車でお送り致しましょうか?

 俺は飛び上がって喜んだ。なんならギルベルトさんの包帯にキスでも贈りたいぐらいだった。なのにクソ女は言ったのだ。この機会に、街を直接見て回りたいからいいと。結構ですと。ノーセンキューと。

(バッカじゃねえの)

 なァにが街を見て回りたいだよ。そんなのいつでもいくらでもできんだろうが。車ならバビューンと行ってバビューンと帰ってこれるっつーのに頭湧いてんのかクソ女。

 と怒鳴りつけてやりたかったが、ギルベルトさんの手前それもできなかった。せいぜい歯軋りするので精一杯だ。おかげで俺の不快指数はMAXだった。

(あ〜〜〜〜)

 くわえた葉巻をガジガジと噛みながら歩道を大股で直進する。誰かと肩でも当たんねーかな。腹いせに半殺しにしてやんのに。と思ってることが顔に出てんのか、俺の前方はモーセ状態だった。そこそこに込み入ってるはずの人波が、俺の直進方向だけパッカリと割れていやがる。そそくさと道を譲る野郎の顔が目の端に入った。クソが。

 舌打ちをするが状況は好転しない。道端に唾を吐き捨てても全く好転しない。

 唯一の慰めは、街をノンキに見物する余裕なんてクソ女にはねえだろうってことだ。夫人宅までの道を知ってるのは俺だけだ。その俺が、クソ女に構うことなくズンズン先を進んでいるのだから、クソ女は俺の後を追うだけで精一杯のはずだ。

 そこでちょっと耳をすませてみる。加えて背後に神経を向ける。――人ごみの中を走る軽い足音。時々通行人にぶつかるんだろう、そのたびに「ごめんなさい」だの「すみません」だのと足を止めて、そして開いた分を埋めるために、またせっせと走りだす音。

 ヘッ。と俺は心の中で舌を出す。計画通りすぎて片腹痛いわ。なァにが街を見て回りたいだよ。こっちに来てそこそこ経つっつーのに、今更何を見て回るんだか。

 重たそうなデカッ腹を2つのたのたと揺らしながら、空中飛行してるキンタマ袋みたいな生物をか? マンホールの蓋を開け閉めすることで今日のエサが落ちてくるのを待ってるラフレシアみたいな食人系生物をか? それとも周囲への流れ弾なんて考慮に入れず、ラリってる連中を締め上げるのに今日も今日とてマガジンハッスルやらかしてるHLPDの面々をか?

 どこも何も面白くねえ、新鮮味とは程遠い、いつものHLの日常風景じゃねえか。こんなもん今さら拝んでどうしようってんだ。

 いっそのことわざと姿くらまして、慌てるクソ女を観察してやろーか。そっちの方がよっぽどオツじゃねえか。

 とか何とか考えてほくそ笑んでたところで、やけに頭上が騒がしいことに気がついた。いや基本的にこの街はどこもかしこも騒がしい街だけども。バラバラとプロペラを旋回させてるヘリがこうも多いのはやっぱり珍しい。

 つられるようにして往来も騒がしくなってきた。特に俺らの進行方向から逆走してやって来る通行人たちの慌てっぷりが凄まじい。

 俺はちょっと足を止めて、上の方に目をやった。そして高層ビルの向こうから姿を現した生物を見て、納得する。

「何の騒ぎですか?」

 逃げ惑う人混みを掻き分け掻き分け、ようやく俺に追いついたクソ女が質問してくる。初遭遇か。そいつはおめでてえ。

 俺は葉巻をくゆらせながら、頭上のヘリ群を指差した。

 バラバラバラバラとうるせえプロペラ音に負けじと、拡声器の声ががなってる。

≪ギガ・ギガフトマシフ伯爵が移動中です。進路上の住民は自己責任で回避してください。繰り返します。ギガ・ギガフトマシフ伯爵が――≫

 拡声器の声を聞き取ろうとしてたんだろう、しかめていた顔そのままで、クソ女は俺の方を見る。

「世界最大の個人と噂の、あの?」

 俺はため息と共に頷いた。

「そ。――面倒くせえもんに当たっちまったな。ここからじゃ迂回すんのも間に合わねえ。何せ相手は世界最大級の物量だかんな」
「どうするんですか?」
「やり過ごすしかあるめえよ。しばらくガマンしてりゃ通り過ぎてくれんだろ。その間はお前も頭上に――」

 言いかけたその口のままでハタと気がつく。

 女は不思議そうに首を傾げた。

「何ですか?」
「…………。何でもねえ」

 吐き捨ててから歩き出す。

 ムシャクシャした。異様にムシャクシャした。それが誰に向けられたものなのかはわからねえ。わからねえけどムシャクシャした。こんなクソ女は伯爵に踏んづけられてペシャンコにされんのがお似合いだろうに。

 地面を踏みしだくようにして歩いていると、そういくらもしない内に影が差してきた。

 霧烟る街ヘルサレムズ・ロットでは、太陽なんてシロモノは拝めねえ。青空も月も何もかもが霧に蓋をされてしまっているのだ。だからこんな真昼間にハッキリクッキリと視界が暗くなるのは珍しいことだった。

 伯爵ギガ・ギガフトマシフが――その数ある脚の一本が、俺たちの方に向かってぬうっと伸びてきている。

 伯爵はたぶん、この大通り沿いに移動しようとしているのだろう。確かにここは六車線もある大通りだ。伯爵ほどの図体でも何とか歩行はできる。けど大通り沿いにはビルディングという建築物もひしめているのだ。

 そして案の定というかやっぱりな感じで、伯爵の前脚はアスファルトにも歩道にも着地せず、あろうことか高層ビルのひとつを突き刺した。

 あっ、ごめえ〜〜ん。

 間延びした声と一緒になって、ガラスやらコンクリートやらの残骸が落下してくる。往来には悲鳴が満ちた。

≪自己責任で回避してください! 当局はこの件による被害には一切関知しません!≫

 ふざけんなあああ、と涙声で逃げ惑う住民たちの波を縫って、俺はヒョイヒョイと先へ進んで行く。

 車を乗り捨てて逃げる者のせいで隣の車道も大渋滞だ。通行人に負けじとクラクションが悲鳴を上げているうえ、急なアクセルとブレーキのおかげで接触事故のオンパレードだ。

 まぁこれも伯爵の移動下では見慣れた光景だ。住民同士の暴動が起きないだけ今日は平和なぐらいだろう。

 思いながら一歩分前へジャンプする。着地と同時にすぐ背後で、高層ビルから落ちてきたデスク(たぶんオフィスビルだったんだろう)がヒドイ音を立てて地面にぶつかった。

(おうおう。今日は霧時々デスクかあ?)

 とにやついたところで思い出した。後ろにはアイツがいたはずじゃなかったか。

 思った途端に、血の気が引いた。

「おい!! 無事か!?」

 縦に落下してきたデスクのせいで向こう側は壁になっている。チクショウ。舌打ちをした俺はデスクを回り込もうとし、

「あ、はい。無事です」

 デスクの影からひょっこりと現れたライトを見て、動きを止めた。

 女はむしろ、俺の顔に驚いたようだった。目を丸くして俺を見ている。

 その驚きをどう消化したのかはわからねえが、クソ女はぐっと両手に拳をつくってみせた。

「大丈夫ですよ! このぐらい! お茶の子さいさいです! 私も一応、ライブラの一員ですからね!」

 笑顔で胸を張るクソ女に、引いた血の気がゆっくりと戻ってくる。

 俺は口を開きかけ――。

 べしゃ。

(あ?)

 物が落ちた跡より、物が飛んできた原因に目を向けてしまうのは最早習性だ。だからこの時も俺は反射的に上を見ていた。

 ああ〜ごめんなさあ〜い、と伯爵みたいな間抜けな詫びを残しながら、キンタマ袋がよたよたと飛んでいく。この霧時々落下物な天気でどっかケガでもしたんだろう、キンタマ袋からは時折ビシャビシャと嘔吐物色の体液が漏れていた。

(あ〜あ〜)

 アレを浴びるヤツは災難だなあ、と思いながらクソ女に顔を戻した俺は、その災難なヤツを目の当たりにして派手に吹き出した。

「ぶっフォアッ」
「…………」
「お、お、おまえ…! おまえ、それ……ギュヒィ!」

 笑いが止まらない。もう既に腹筋が痛い。

 クソ女は黙って顔を伏せている。その頭から胸までには嘔吐物色の体液が咲いている。

 まさかクリーンヒットするヤツがいるとは。しかもその直前までソイツは、落下物を避けたことを自慢していたのだ。ところがどうだ。鳥のウンコならぬキンタマの体液だ。

 俺はとうとう膝を折った。そのまま地面を転がり回る。

「ブッヒャ! ブッヒャハヒヘハ!! お前それ! ゲヒャヒャ! すげーわ! ケッサク!」

 息も絶え絶えに、クソ女を指差して笑いまくる。笑いすぎて涙まで滲んできた。

「そ、そんな! ギャハハ! ピラピラした服なんか! 着てくるからだろ! バーカ!! アヒャヒャヒャヒャヒャ!! ざまあ!!」

 脚でバタバタと地面を蹴りながら爆笑していた俺は、そこでふと、クソ女の様子がおかしいことに気がついた。俺の予想としては、怒るか喚くか泣きながらキレるか、そのどれかだろうと睨んでいたのだが、そのどれもがない。

 俺は笑いを引っ込め、転がったままの体勢でクソ女を見上げた。

「おい」

 声をかけるが、反応はない。クソ女は黙って俯いている。地面に倒れている俺からでも見えないくらいに、深く。

 嫌な予感がした。とてもつもなく嫌な予感がした。

「…………。まあ、アレだ。見た目に反して臭いはしねえし……」

 体を起こしながら様子を探る。相手からの反応はない。

 俺はあからさまにため息を吐いた。もう笑いの波はどこかに飛んでしまっている。

 ハッキリ言って、興醒めだ。

「なあ、お前さ」

 面倒だったが一応訊いておく。

「泣いてんの?」

 その瞬間、バッと音がしそうなほどの勢いで、クソ女が顔を上げた。俺は思わず、後の言葉を引っ込めていた。その顔が、怖いぐらいに真顔だったからだ。

「さすがにこのままではご挨拶に伺えないので」

 聞いたこともない低いトーンで、女は俺の顔を見据える。

「あそこの店で替えの服を見繕ってきます。五分だけ時間をください」
「……お、おう」
「ザップさんはこの辺りで待っていてくださいね」

 言うが早いか女はさっさと向かい側でドアを開けている店に向かって行った。俺はその背中をぽかんと見送る。正気に戻ったのはそのすぐ後だった。

(……なんなんだよ)

 泣いてた方がまだ可愛げがあった。てゆーか泣くだろ。フツー泣くだろこの状況。

「あーあ。つまんねえの」

 大きな声で空にぼやく。落ちていた影が晴れようとしていた。伯爵が通り過ぎたのだろう。

 咥えていた葉巻はいつの間にか落としてしまっていた。新しい一本に火を点けながらも、俺の心臓の辺りは何故だか、小さな針に刺されているみたいにチクチクとしていた。





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