04




 八王子工場の玄関前ロータリーには、一台の護送車と二台の覆面パトカーが停車していた。護送車と一台の覆面車は、常守たち一係の面々が乗り合わせてきたものであり、残りの覆面車は直理たち応援組が転がしてきたものである。

 常守はその三台の内の一台、物々しい外装の護送車内でデータ整理に励んでいた。工場内は電波暗室となっており、本部にいる分析官・唐之杜と連携が取れない。そのため常守と六合塚は工場外に駐車してある護送車内で、作業に従事しているのだ。

 相棒の六合塚は現在覆面車の内の一台で仮眠を取っているため、護送車内には常守一人だった。

 緩やかに気温の下がり始めてきた十一月半ば。時折吹き込んでくる風は首を竦めたくなるほどの冷たさだったが、車のランプドアは開放状態のままにしてある。

 通常、護送車のランプドアは内側からは開けられない。内側からできる操作は閉扉することのみである。だが常守は監視官だ。手首の端末を操作すれば、どこにいようとも開閉は可能だった。閉じ込められる心配はない。

 それでもドアを閉じる気になれないのは、偏に心情の問題だった。

 護送車内は、暗い。どうしてここまで照明を絞る必要があるのだろう、と思うぐらいに暗く、それは牢獄めいた冷たさを想起させた。加えて、広さでいえば覆面車の方が狭いだろうに、常守はどうしてだかこの護送車にいると、左右の壁が迫ってくるような息苦しさを覚えてしまうのだ。護送車に乗っている、と意識するからこそ、そんなふうに感じてしまうのかもしれないが、ともかくそんな状態でドアを閉じる気にはとてもなれず、時折吹き込んでくる冷風に身を竦めながら、常守はラップトップに向かっていた。

 本部の唐之杜とは先程までパソコンを通じて会話していたが、今彼女は休憩に出てしまっている。言われた作業を順序立てて手際良くこなしながら、常守はちらりと、唐之杜の言葉を思い出す。

 ――金原祐治。意識戻ったってさ。

 狡噛のパラライザーに制圧されて意識を失った金原は、征陸の呼んだ救急隊員の手によって最寄りの病院へ搬送されていた。そこで一通りの処置を受けた金原が、先程目を覚ましたという。今後は経過を見ながら局内で収容、あるいは拘留のうえ取り調べをすることになるだろう、と唐之杜は言っており、セキュリティを騙して好きにドローンを操った手口の解明は無論急がねばならないことだが、常守の心は別の方向を気にしていた。

 現場に現れた救急隊員のガラが、非常に悪かったのである。

 省庁再編により厚生省の外局へ組み込まれた消防庁にも、監視官・執行官制度は勿論存在している。都市機能とリンクした高性能AIにより、一昔前に比べて交通事故数は激減したが、それでもゼロになることはなく、また通り魔めいた突発犯罪で負傷した被害者を搬送しなければならない時、救急隊員は悲惨な現場を目の当たりにすることとなる。消防庁における監視官・執行官制度は、そういった心的外傷への対策であり、言うなれば執行官は監視官の盾であり、また防波堤として採用されているのだ。

 現れた救急隊員の内、誰が監視官で誰が執行官であるのかはわからなかったが、それは一目でわからないぐらいに総じてガラが悪かったということだ。流れるような連携プレイでさっさと金原を運んで行った点は、職人技のようで感動したが、その間に飛び交っていた言葉は怒鳴り声に近いものばかりで、常守はただただ固まってしまっていた。

 そういえば、と常守は手を止めて考える。統合情報課の小熊谷という人も、乱暴な言葉遣いをする人だった。そればかりか彼は狡噛に暴力まで振るっていなかっただろうか。

 統情課にも執行官は在籍している。このところ台頭してきた反政府組織LESSは、公安局の要である統情課を狙って何度か声明を出しているため、ボディガード的な役割として執行官を採用していると聞く。今回同行していないのは、刑事課の監視官・護流と、執行官・直理が、その役目を肩代わりしているからであろう。

(……でも、あの人たちは潜在犯じゃないのに、どうしてあそこまで攻撃的な言動をするんだろう……)

 救急隊員と、小熊谷と、あとは常守の上司である宜野座もそうだ。ダイレクトな攻撃性。やはり日常的に潜在犯と関わっていると、何かが刺激されて、次第に感化されていってしまうものなのだろうか。

 サイコハザード、という言葉がある。

 それは汚濁したサイコパスが伝染していく様を指すが、どちらかといえば、先の廃棄区画立てこもり事件での島津千香のように、予測できない事故のような状況で発症・感染していくものだ。しかしもしかすると――監視官の執行官化?――も、サイコハザードの一種なのかもしれない。

 けれど、汚濁したサイコパスに接触感染しても、中にはサイコハザードを発症しない人間もいる。それらは不顕性感染者として扱われるが、実のところ、何が顕性と不顕性を分けているのかは判明していない。更に言えば、濁ったサイコパスが伝染していく理由も定かにはなっていないのだ。

 学生時代にその内容で論文を書いたことがある手前、就職した今も関連のありそうな文献には目を通しているが、犯罪係数に遺伝性があるのかどうか、といった問題と共に、それらは未だ明らかにされていない。

 ふう、と小さく吐息を落として、指を止める。凝らしていた目を労わるように眼窩を揉んでいると、唐突に声をかけられた。

「常守さん」

 驚いて顔を上げると、ランプドアの向こうに直理の姿があった。常守と目を合わせた直理は、にこやかに微笑んでから護送車に乗り込んでくる。

 膝に乗せていたラップトップを慌てて脇に退け、常守は立ち上がった。

「直理さん」
「お疲れさま。――いいよいいよ、そのままで。作業続けて」

 そう言って直理は、カード型のメモリを幾枚か常守に手渡した。

「こっちの分と、後は征陸さん縢くんペアの鑑識結果です。ご査収ください」
「……すみません、わざわざ。ありがとうございます」

 いえいえ、と微笑ってから、直理は常守の向かいに腰を下ろした。

「電波暗室、なんでしょう? データ飛ばせないなんて不便だよねぇ」
「ほんと。そうですよね」

 つられて常守も腰を下ろす。護送車内は両側面の壁にソファが固定されていた。あまり座り心地の良い代物とはいえないが、刑事課内の執行官たちは日頃からこの待遇に甘んじているのだ、と思うと、とてもではないが不満を洩らせない。

「解析、どう?」

 問いながら直理は何かを手渡してくる。首を傾げながら受け取ったそれは、オブラートに包まれた生キャラメルだった。

「数少ないから、常守さんにだけお裾分け。他の人には内緒ね」

 悪戯っぽく笑って、自分の分のキャラメルを食べる直理に、常守はドキドキしながら礼を述べた。他の人には内緒、と言うところに、少しだけ舞い上がってしまいたくなる。

 キャラメルは、作業で疲れた頭には有り難い甘さだった。口に入れた途端すぐにとろけてしまったそれは、直理の手作りだという。

 甘いお菓子を堪能してから、常守は口を開いた。

「唐之杜さんに指示を仰ぎながら、ですけど。解析の方は、何とか」
「そう。弥生ちゃんは?」
「仮眠に行ってます。私、先にいただいてしまったんで」

 そっか、と頷いてから、直理は目元をやわらげて常守を見た。

「災難だったね。配属して間もないのに、大きくてややこしい事件にばかり当たっちゃって。普段はもっと平和なはずなんだけど」
「…そうなんですか? 私てっきり、刑事課ってこういうものなのかと…」
「エリアストレス上昇で現場に行ってみたら、死体があるって通行人に言われて、よくよく見たらマネキンだったとか。そういう無駄骨のケースも多いんだよ」

 当時を思い出したのか、くすくすと小さく微笑ってから、不意に直理は表情を改める。

「……シビュラができる前は計画犯罪も多かったみたいだけど、今は計画した時点で色相濁って、街頭スキャナーに引っかかって御用、だからね。ここのスキャナーは電波暗室のせいで健康管理会社とリンクされてなかったから、今回みたいなことになっちゃったけど。あとは衝動的な事件への対応が多いかな。突発的な衝動犯罪は、幾らシビュラでも察知しようがないからね」

 頷いてから、常守は膝の上にある自分の両手を見下ろした。

 直理が腰を下ろして、談笑を始めてくれた理由については、わかっている。訊きたいことがある、と言った常守の言葉を受けての配慮なのだろう。その心遣いは非常に有り難かったが、いざ機会を与えられてしまうと、何をどう訊くべきなのか迷いあぐねてしまう。

 常守は考え考え、言葉を選び出す。

「……直理さん、あの、私、訊きたいことがあって」
「うん」
「……私の判断、間違っていたんでしょうか…。ここで犯罪を見過ごすくらいなら、狡噛さんの計画を試してみたい。そう思ったのは事実なんです。でも…」
「こんな大事になるなんて?」

 常守は神妙に頷いた。

「呼び出して、話をして、サイマティックスキャンをするだけだと思ってたんです」

 それなのに、と呟く口調は、非難めいた色になってしまっていた。自制しているつもりではあるが、狡噛へのわだかまりを抑え切れない。

 直理は肩を竦めて微笑った。

「でも、概ねその通りだったんじゃない?」
「直理さん」
「わかってる、じょーだん」

 そう言ってから直理は、じっと常守の目を見つめた。

「狡噛のやり口に引っかかってるんでしょう?」

 言い当てられてしまった常守は口を噤む。

 恋人である彼女に持ちかける相談内容であるのか、今一度常守は自省してみたが、結局答えは変わらなかった。恋人であるからこそ、狡噛の性分を一番良く理解しているだろうし、それに彼女以外の相談相手が念頭に浮かばなかったからだ。怖がりやのガキ、と見下げ果てたような顔をしていた六合塚には、とてもではないが狡噛へのわだかまりを持ちかける気にはなれない。

「……必要なことだったのかもしれません。人の生き死ににまつわる真相を暴こうと思ったら、こっちも命がけにならなきゃいけない。狡噛さんはそう言っていて、私も、一理あるとは思うんですけど…」

 常守はぽつぽつと口を開く。

「私はまだ日が浅くて、十分な経験を積んでいないからこそ、引っかかってしまうのかもしれないんですけど……こんな大事になってしまって、直理さんや皆さんにまで、ご迷惑をかけてしまって……」

 そう言ってから、違う、と常守は思った。狡噛の行為を事前に止められず、執行官の手綱を御しきれず、多くの人に迷惑をかけた。それに対する心苦しさは、勿論ある。しかし、その心苦しさと、胸の裡で巣食っているこのわだかまりは、全く別の所から発生しているものだ。

 明らかに過剰な手段と、そして。

「……狡噛さん、笑ってたんです」
「笑ってた?」
「金原祐治に追いかけられている時。大型ドローンと対峙している時。……これは私の勝手な思い込みかもしれないんですけど」

 続きを話すのには勇気が要った。記憶の中の、狡噛の横顔。

「なんだか、楽しそうで」

 束の間の沈黙が落ちた。居た堪れない思いで常守は首を竦める。やはり恋人である彼女に持ちかける相談ではなかったのかもしれない。あなたの恋人は異常な状況下で楽しみを見出していたようです、なんて、まるで狡噛を狂人扱いしている。

 しかし、返ってきた言葉は驚くほど淡白なものだった。

「楽しんでたんだと思うよ」

 そんな、と顔を上げる常守の前で、直理は困ったように微笑ってみせる。

「でもそんなにあくどい意味ではなくて。遠くのごみ箱目掛けてごみを投げた時、狙い通りに入ったら“やった”って思うでしょう? それと変わりないんじゃないかな」

 横を向いた直理はどこかを見つめるような遠い目をする。

「狙った通りに事が進んで、思った通りの結果になったら、誰だって自分の手腕にほくそ笑みたくなると思う」

 でも、と常守は必死に言葉を継ぐ。その例えはわからなくもない。しかし。

「人の命が失われているのに」

 直理は少し悲しそうな顔で微笑った。

「納得できないなら、納得できないままでいいと思うよ。無理に呑み下す必要なんかない。常守さんは監視官なんだし。…でも、そう考えると、理解できないままでいた方がいいのかもしれないね」
「……」

 常守は唇を引き結んで俯いた。その返しは狡い、と思った。監視官と執行官。それを持ち出されてしまったら、常守は何も言えなくなる。鼻先でドアを閉じられてしまったような気分だ。

「……狡噛の計画に乗ったのは間違いだったのか、ていう話だけど」

 常守の沈黙を不満と受け取ったのか、直理は宥めるようなトーンで口を開く。

「私は間違いじゃなかったと思うよ。殺人のサイクルは短くなっていて、職員全員分の犯罪係数を悠長にシビュラにかけていたんじゃ、次の殺人までに間に合わなかったかもしれない。一か八かの判断は必要だし、成果はいつだって、犠牲の上に出るものなんだから。――という判断を、入ったばかりの常守さん一人に任せないで、ギノも一緒になって考えてくれたら良かったんだけどね」

 困ったように付け足された言葉を聞いて、常守はわずかに唇を持ち上げた。

 直理が常守に対して心を砕いてくれていることはわかっている。

 子供のようにヘソを曲げることはやめて、常守は別の疑問を口にしてみた。宜野座の話題が出たのだから丁度良い。

「あの、宜野座さんと征陸さんって、過去に何かあったんですか?」

 直理は束の間驚いたように常守を見返し、やがて小さく頷いた。

「――ああ、そうか。常守さんは…」

 そう呟いてから、少し考え込むような表情をつくる。常守が首を傾げて見守っていると、しばらくしてから直理は顔を上げた。

「本人たちは言わないだろうし、同じ係内で常守さんだけが知らないっていうのもね」

 ゆっくりとした口調でそう言ってから、直理は常守を見返した。

「親子なの、あの二人」
「え?」
「血の繋がった、実の親子。ギノは眼鏡かけてるから分かり辛いかもしれないけど、今度よく見てごらん、目元がそっくりだから」

 常守はまじまじと直理を見返した。とても冗談を言っている様子ではない。

 宜野座と征陸の顔を思い出す。親子?

「……そんな人事、有りなんですか?」
「無しだと思うよ、普通なら。民間ならまだしも。でもそれが罷り通ってるんだから不思議な話だよね」

 常守は思わず頭を抱えた。苗字が異なるのは宜野座が母親の旧姓を使用しているからだろう。目元の相似性についてはわからないが、その他の容貌であの二人が似ていると思ったことは今までにない。ということは宜野座は母親に似ているのだろうか。いや、しかし、言われてみれば――ぐるぐると巡り出した思考を割って、直理の声が聞こえてくる。

「潜在犯の父親を持って、色々大変だったみたい。そのせいで、根深い確執がね、主にギノの方にあって。仕事に私情を持ち込むなって話なんだけど、とてもプライベートなことだから、どうしても自制できなくなる時があるみたいで」

 直理はわずかに苦笑する。

「だからって常守さんが気遣う必要も寛容になる必要もないんだけど、それをちょっと頭の先にでも入れておいてくれたら、嬉しいかな」

 そう言ってから直理は、空気を明るくするような調子で付け足した。

「やだよね、何だか頼りない上司で」
「そんなこと」

 その否定は反射的に口をついて出たものだったが、言ってしまってから常守は気がついた。そうだ、自分は宜野座のことを嫌っているわけではない。

「宜野座さんが助けてくれなかったら、私、工場長に言われるがままだったと思うんです。統情の人を呼んでくれたのも宜野座さんですし、だから…」

 確かに宜野座の態度は冷たいうえにつっけんどんであり、気軽に近づきがたい人ではあるが、工場長・郷田に言い負かされていた常守に助け舟を出してくれたのは、宜野座なのだ。ほぼ一方的に狡噛の方策を支持し、喧嘩を売るような形で宜野座に啖呵を切ったのは常守であるのに。

 そうだ、常守は宜野座のことが嫌いなわけではない。

 ひょんなところから自分の真意を掬い取った時、人は少しく興奮してしまうものだ。それで常守も若干高揚した気分で顔を上げたのだが、微笑を浮かべてこちらを見守っている直理の表情に気づいて、ふと思った。

 その笑顔が、なんだか楽しそうなものに見えたのだ。


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