恋い焦がれる季節 02





 常に喧騒の絶えないこの真撰組屯所において、唯一と言っていいだろう静寂の支配する場所。しん、と静まり返った道場で、土方はひとり座禅を組んでいた。
 長い睫毛で縁取られた瞳は闇を導くかのように閉じられており、彼の意図は全く窺えない。ただ冷たい床に座り、思考することを拒絶するかのように、ひたすらに無心を求めるように見える。
 果たして彼は、どれほどの間こうしていたのだろうか。物音などなかった部屋に、ゆっくりと戸を開ける音が響いた。

「土方さん、見回りサボるんですかィ?」

 戸の隙間から顔を出したのは、頭に愛用のアイマスクをつけた沖田だ。何とも気の抜けた声で背を向ける土方の名を呼ぶ。その呼びかけに、土方は一度深く息を吐くと、閉じられていた瞳を開けて背後の青年を振り返った。

「テメェじゃねぇんだ」

 脇に置いてあった隊服の上着を掴みながら立ち上がり、沖田の顔を出す戸を開けて隣りを通り過ぎる。行くぞ、と短く告げた土方は、既に“真撰組鬼の副長―土方十四郎”へと姿を変えていた。
 刺すように冷たい風が、土方の頬を叩いては通り過ぎていく。一度身震いすると、視界を遮る前髪を掻き揚げる。

「土方さん、ちょっと休憩しやせんか?」

 さて、これで一体何度目の提案なのだろうか。先ほどから、土方の少し後ろを歩く沖田は、道脇に茶屋を見つける度に同じ言葉ばかりを呟いていた。その都度、土方は、巡回中だ、という一言で一蹴してさっさと歩いていく。
 そんな問答を何度か繰り返した頃、不意に煩かった声が聞こえなくなったことに疑問を感じ土方が後ろを振り返ると、そこに沖田の姿はなかった。

「あんの野郎・・」

 盛大な溜め息は白く消えていき、冷たい空では雲が急ぎ早に過ぎていった。そんな空を見上げて、土方は今一度大きく息を吐くと、コツリ、と足音と共に見回りを再会する。
 すでに居なくなった沖田のことなど頭の隅に追いやり、別の人物がそこを占める。

「寒ぃな‥」

 ズズッ、鼻水を啜り、彼の人物は風邪など引いていないかと心配になる。透けるような白い肌に、キラキラと輝く銀色の髪。自分と大して変わらないその体躯は、しかし、己がそれよりも華奢に思えた。全身の淡い色からなのか、彼の持つ雰囲気のせいなのか。いつも気だるそうに構えているにも関わらず、ここぞという時には全てを魅了するように煌めく。儚いようでいて、とても強い存在。
 気付けば、いつも思考は彼のことで占領されていまっている。ふ、とそこで土方は歩みを止めて視線を上げた。そこには、想い人である坂田銀時の営む“万事屋 銀ちゃん”の文字。

「はっ、随分とキテるようだぜ‥」

 知らずにここへと向かっていた自分に苦笑を漏らしながら、土方はその日初めての煙草を取り出した。こんなにも彼のことで一杯になってしまう自分を振り払うかのように、ポケットから愛用のライターを取り出し火を着ける。
 火を着けた瞬間に、その周りだけがほんのりと温かくなり、土方はジジッ、と音を立てて赤く燃える煙草を咥え、目一杯、息を吸った。肺に満ちる煙草の煙が、己の心に渦巻くモヤモヤとした感情と絡まりあう。肥大した靄を、彼の名の入った看板目掛けて吐き出す。煙草の煙か、己の息か、白いそれは彼に届く事無く霧散して消えた。

「どんなに名前を呼んでも、あいつは振り向かないだろうに」

 少々投げやりに呟いて、土方はその場を後にすべく背を向け歩き出した。風に弄ばれて、すっかり冷たくなった髪を掻き揚げると、後ろから聞き覚えのある声が届いた。

「土方さん、こんなとこに居たんですかィ?探しやしたぜィ」

 困った人だ、とまるでこちらが迷子になっていたかのように溜め息を吐く沖田に、土方は怒る気力さえ無くして肩を落とした。だがそこは鬼の副長、文句のひとつでも言わなければ気が済まないと口を開く。

「総悟、テメェ―」
「土方さん」

 しかし、土方の低い声は沖田のそれが重なったことによってかき消され、次の言葉が紡がれることを阻んだ。

「あぁ?」

 不機嫌を隠しもしない声音を返すと、沖田の言葉の先を促す。

「今日、飲みに行きやしょう」

 突拍子もないことを言われ、一瞬の沈黙が生まれるが、次の瞬間には盛大な溜め息が零れた。もはや文句を言う気にもなれない、と顔を俯かせて頭を抱える土方に、沖田は楽しそうな笑みを浮かべてさっさと歩いて行ってしまった。
 断りの言葉など受け付けないかのようなその背中に、今一度溜め息を吐くと、土方はその後を力なく歩いて行くのだった。






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