桜雪


 ひらひら、舞い散る。
 舞って、舞って。地面を覆い隠すように、この身を埋めてくれないだろうか。

 桜は穏やかなあの日々と、優しいあの笑顔を思い出させる。温かい光の中だというのに、凍えてしまいそうなほど寂しい。
 あれはもう、得られないぬくもり。失われた場所。
 まだ幼かった自分はその場所が永遠ではないことを知っていた。けれど、永遠を望んでいた。時が止まって、ずっと春であればいいのに。そう願っていた。
 失ったものは戻らない。奪われたものは大きく、取り戻したものは皆無。残ったのは過去の冷たいぬくもりと、絶望の闇だけ。

「先生、」

 彼の優しい人は、もういない。
 ぬくもりなど疾うの昔に忘れた。声も忘れた。顔は、朧げだ。
 それでも、ただ一つ覚えている。魂に刻み込んだ、約束だけは。
 今思えば、あれは自分を生かすためのものだったのかもしれない。いつだって彼の人は、優しさも自分の為の生き方も知らない自分を導いてくれた。

 そういえば、自分は彼の人への感謝を言葉にしたことがなかった。
 掬い上げてくれたこと、世界に色をくれたこと、生かしてくれたこと、場所をくれたこと、ぬくもりをくれたこと、優しさを教えてくれたこと。愛してくれたこと。
 今はもう失ってしまったものだけれども、それでも自分の中に残っている。生かしてくれている。
 初めは持っていなかった。与えられたそれも失った。けれど、また得られた。与えられた。
 今はもう冷たくなってしまったぬくもりすら温めるほど、たくさんのぬくもりが傍にある。
 陽だまりで見上げる空は、どこまでも青い。そこに彼の人の笑顔を見たような、そんな柄にもないことを思いながら。それでも、彼の人に届けばいいな、と思いながら笑ってみせた。
 そして、そっと告げる。


ありがとう。



END.

企画「バクホン×攘夷」提出

12.09.18


back