白鴉と黒猫 02


 これまで会ったどんな悪人よりも、どんな攘夷志士よりも、目の前の男の方が何倍も危険だと感じる。

「あのさ、俺。今、誰でもいいんだよね」

 何の脈絡もない言葉。しかし、そこに見え隠れする危うさに、土方は汗が滲むのを感じた。

「あいつ的に言うと、“黒い獣の呻き”?」

 自分の言葉に、何だよそれ。と笑う銀時に、土方は意味がわからない、と眉根を寄せる。
 それに気づいているのか、いないのか。銀時はぴたりと笑うのをやめて、再び冷たい瞳で土方を見る。

「だからさ、その“黒い獣の呻き”ってやつを押さえられるなら、誰でもいいんだよ」

 すっと伸びた銀時の手が、土方の腰に鎮座する刀へと触れる。柄と鍔を一緒くたにもたれ、抜けないようにされた刀が、かちりと小さく鳴った。
 銀時の冷たい瞳から視線を逸らせずにいた土方だったが、その小さな鳴き声に誘われるかのように視線を刀へと移す。

「ねぇ、」

 土方が視線を移した瞬間、それまでよりも近くで銀時の声が聞こえた。慌てて視線を戻そうとした土方の耳に、焼けるような痛みが走る。

「っ!!」

 どろり、と不快な感触とともに頬を伝って紅色が落ちていく。鉄の臭いと、まるで心臓が耳にあるかのように脈打つ煩さに、耳を咬まれたことを知る。

「てめぇ、何しやがる!!」

 力の限り目の前の銀時を突き飛ばして、土方は血の流れ出る耳へと手を伸ばす。
 焼けるような熱さとは対照的に、温度を失っていく耳の冷たさに焦りと恐怖を感じた。

「よろず―っ!」
「だから、それ、俺の名前じゃないんだって」

 恐怖を振り払うように怒りに声を荒げれば、取ったはずの距離が再び近付いたことに身を固くさせる。
 口元に血を付け、無表情に土方を見つめる、否、その瞳は土方を映してなどいない。

「あ、けどね。お前に俺の名前は呼ばせないよ。俺の名前を呼んでいいのはあいつだけだからさ」

 目の前の男が言うあいつが誰を指すのかはわからない。けれど、無性にそれが腹立たしく思えて、土方は手についた血を隊服の裾で拭った。
 色を増した黒が、なぜか闇の中で栄える。

「その目、昔のあいつに似てる。髪は‥あいつの方が艶やかかな。あ、匂いと味はあいつの方が甘い」

 見知らぬ誰かと比べられている。それがどうしようもなく苛立って、そして悲しさを感じた。
 これ以上、銀時と居ることに警鐘を鳴らす脳に従って、土方は暗闇に浮かぶ白銀に背を向けた。

「あ、ねぇ」

 無言で立ち去ろうとしていた土方を、銀時は普段と変わらない気軽い声で呼び止める。
 けれど、纏う空気は冷たいまま。それを背に感じながら土方は振り返ることなく足を止めた。

「明日から、またいつもみたいにしてね」

 今、ここでのやり取りは忘れろ、という言葉に、ひとつ大きな舌打ちをして、そのまま何も言わずにその場を後にした。
 背中に感じる殺気が遠ざかる。銀時に噛まれた耳はすでに血が止まり、熱を取り戻しつつあった。
 傷が癒えるように、関係は変わらないだろう。けれど、不意に痛んで思い出させるのだ。理由など聞けず、忘れたようにして過ごす。土方にとってそれは、銀時との今の関係を壊さないための制約だ。
 けれどいつか、それを破ったとして。銀時は決して自分のものにはならないのだと思い知らされたようで、土方はいらつく。
 力の入った手をどうにか動かして取り出した煙草に火を点けて、土方はくすんだ空へと紫煙を吐き出した。



END.

銀時に煙草を吸わせたくて始めたら、いつの間にか狂銀になってて、土方が耳噛まれた。
どうしてだろう。

2011.11.13


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