胃の内容物がすべてせり上がってきそうなほどの強烈な死の臭いに、近藤は眉をひそめる。
 窓のないその部屋には血の臭いがその濃度を増しながら充満し、床や壁に飛び散って乾いたどす黒いそれや無造作に転がされている肉塊は、まさに地獄絵図のようだ。

「こいつァ、ひでぇ‥」

 真撰組として数々の修羅場は体験したし、その跡も見てきた。しかし、これまでのどれよりもその光景は無惨だった。
 斬られ、とうに絶命しているそれらは、刀を持つものなら状況を忘れて感嘆の息を漏らすほどに見事な切り口だ。一撃で、それも無駄がなければ迷いもない斬撃にて斬りふせられている。

「鑑識の話じゃァ、推定時刻ァ、昨日の正午過ぎだとよォ」

 近藤の隣に立つ松平は、独得の間延びした口調で、しかし、常よりも緊張を滲ませながら告げる。

 今朝早く、松平によって呼び出された近藤は、その詳細を聞くことなくこの場へと連れて来られた。
 普段から感情の見えない松平が、あからさまに不機嫌な様子であったことから、それが極秘に下った命であることは近藤にもわかった。さらに言えば、極秘の命は幕府、正確には天導衆や天人の後ろ黒いものを押しつけられることがほとんどだ。

「松平のとっつぁん、こいつらは一体‥」
「近藤ォ、うまい世渡りってのを身につけなけりゃ、大将は勤まらねぇぜェ」

 近藤は納得出来ないと顔をしかめたが、恩ある松平にまで迷惑をかけるわけにはいかないと、出かけた言葉を飲み込んだ。
 松平とて、“うまい世渡り”とやらをさほど重要視しているわけではない。ただ、この肉塊となり果てた連中の非道な行いを、この大将の器を透明な水で満たした男に伝えたくないと思った。きっと、何があったのかわからなくとも、傍らの男はこの惨劇の犯人に同情の念を抱いてしまう。近藤が己のそれに簡単に流されるような男ではないと知っているが、それでも、知らずともよいことを知らせたくはないと、エゴ以外の何物でもない勝手によって松平は口を噤んだ。

「近藤ォ。真撰組を動かす必要はねぇ。おめぇと土方、あとは適当に監察を使って犯人調べろィ」

 “捕まえろ”でも“殺せ”でもなく、“調べろ”というそれに、近藤はただ頷いた。
 不意に静寂が生まれ、それは即座に近藤の携帯電話の呼び出し音によって打ち消される。異様なまでに響いたそれに、近藤は、はっと息を飲んだ。

「っ、もしもし?」

 煙草を咥え、火を点けようとする松平を視線の隅に捉えながら、近藤は慌てて電話に出た。少々上擦った声が、思ったよりも響いて恥ずかしさを隠すように咳払いをする。
 おぉ、トシか!などと大袈裟に声を上げる近藤を見つめてから、松平は紫煙を吐き出した。ゆらり、と揺れたそれは、薄れて消えてゆく。
 血の臭いに満ちた中に嗅ぎなれた煙草の香が混じり、異様なこの空間に日常をもたらす。吸い込んだ紫煙を肺まで取り込んで、ゆっくりと吐き出せば微かながら苛立ちを霞ませた。

「なんだって!?」

 煙草の灰を携帯灰皿に落とした松平に、近藤の驚きと焦りの声が届く。土方からの電話という時点で真選組の仕事であることはわかっていたが、どうやら緊急のものだったようだ。
 電話口の土方の言葉に頷きながら、近藤は松平の元への歩みを進める。

「トシと総悟は、先に向かっていてくれ」

 丁度、松平の前まで来たところで、近藤は指示を終えたらしく通話を終了させた。同時に、松平の吸っていた煙草も終わりを告げ、携帯灰皿に押し付けられ火を消した。

「緊急かァ?」
「あぁ、どうやら、桂に動きがあったみたいで」

 よく聞き知った攘夷志士の名に、松平は払うように手を振る。行け、と言うそれに近藤は大きく頷いてから踵を返し、走り出した。
 真っ直ぐに走り去っていく背を眺め、松平は2本目の煙草に火を点けながら、自らも出口への歩を進めるのだった。



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