君の全てが欲しいから


>>露独

 最後に見たのは、無邪気な笑顔だった。

 白い湯気を立てる鍋を前に嗤う背中を、ただ見つめる。何とも機嫌良さそうに鼻歌を歌うその男は、ゆっくりと慈しむように鍋の中身をかき混ぜている。
 まるで、子供が手伝いをしているかのような無邪気な光景。

「ふふっ、もういいかな」

 楽しそうに告げると、男は火を止めて鍋を持ち上げる。そのまま鍋敷きを置く事もせずに、テーブルの上に鍋を置いた。

「さぁ、出来たよ」

 目の前に置かれた鍋とその湯気で、男の表情を窺うことは出来ない。しかし、その声音から嗤っていることが分かった。
 男は食器棚から大きめのスプーンを持ってくると、皿によそうことなく鍋から直接掬い取る。茶色の塊を掬い上げたスプーンから、真っ赤なスープが伝い落ちた。

「これで、僕と君はひとつになるんだね・・」

 うっとりと呟いた男は、こちらの存在など忘れたかのように鍋の中身を貪りだした。一心不乱に、食べるという行為のみに集中する男を哀れに思いながら見上げる。

 男が食事を始めてからどれ程経っただろうか。温くなった鍋を持ち上げて、最後の一滴すら飲み干して男は満足気に嗤った。
 許容量を超えるほどの食事を詰め込まれた胃は、服の上からでも分かるほどに腹を膨らませていた。
 しかし、男の顔に苦しさは見受けられず、ただ愛おしそうに自分の腹を撫でている。

「ふふふっ、これで・・これで、君の全ては僕のものだよ」

 細められた紫の瞳。男は微笑みながら、無言で見上げていた俺を持ち上げる。
 ふわり、と浮遊感を感じながらも視線だけは男に向け続ける。否、今の自分に視線を逸らす術などないのだ。

「君は僕のもの。・・ねぇ、ルートヴィッヒ君」

 男はゆっくりと唇を寄せる。冷たく無機質なガラスへと口付けが落とされた。その姿を瞬きすらせずに見つめる。

「やっぱり、ルートヴィッヒ君の瞳は綺麗だね。残しておいてよかった」

 本当に嬉しそうな男を見上げながら、意識が融けていく感覚に自分が泣いているのだと思った。
 狂気に捉われていることすら気付いていない、この無邪気な男が哀れで仕方がない。
 消える意識のなか、最後に見たのはイヴァンの笑顔だった。



end.
前サイトから。
たぶん一番の問題作。けど結構気に入ってる。

12.09.28