キスより甘い毒をください


>>普独

 刺すような冷たい風、沈黙の壁、詰まる息。その全てが、あの時と同じ。
 乱れる息を繰り返しながら、それでも頭の中は異様なほどに冷めていた。

(これは、夢だ)

 あの時の、酷い記憶が見せる夢だ。そう繰り返して、彼は己の髪を乱す。
 はらり、と落ちてきた前髪が額をなぞるのを感じて、またデジャブを覚える。あの時も、こうして自分は髪を乱したのだ。

(違う、これは夢だ!)

 そう、夢だ。
 今着ている軍服は、あの時に着ていたもの。左の袖が少し解れているから、覚えている。そして、この軍服は疾うに捨てたものだ。忌まわしい記憶と共に、焼き払ったはずだ。

(違う、これは夢だ・・早く、)

 必死に繰り返して、どうにか目覚めようとする意思に反して、夢は展開する。
 誰も居ない場所、目の前にあるのは禍々しい壁だけ。彼と、彼の愛する人を隔てる壁だけ。

(夢だ、壁はあの時に壊れた)

 しかし、どれだけ繰り返しても終らない。呼吸は辛くなるばかりだし、視界は歪んでいく。
 俯いた先にある地面に染みる雫の跡は、果たして汗と涙どちらのそれか。

(早く、早く醒めろッ)

 苦しい、苦しい、苦しい。その場に崩れ落ちそうになる足をどうにか立たせるが、それが限界で動くことは出来ない。金縛りにあったように重い体は、まるで底なし沼に引きずり込むようにゆっくりと自由を奪っていく。
 発狂するようなそれに荒い息を繰り返して耐えるしかない。助けを求めようにも、声は出ない。

(兄、さん・・)

 声にならないまま愛おしい人を呼ぶそれは、虚しく形作るだけ。それでも、彼にとって助けを求められる呼び名はそれしかなく、繰り返すことしか出来ない。
 もはや夢も現も関係なく、正気であることが苦痛としかならない。

(兄さん、兄さん・・、兄さんッ)

 何度も、何度も。まるでそれしか言葉を知らないかのようにただ繰り返した。
 自由の利かない手をどうにか動かして、助けを求めるように伸ばす。その先にあの人が居ると信じて、沈黙する壁に向かってただ真っ直ぐに伸ばす。

(―・・、・・スト、)

 不意に耳を掠めた声。そして、虚空を彷徨うばかりだった手に与えられた温度。

(・・ヴェ、・・ト)

 手を握る力が強まり冷たく苦しい場所から一気に引き上げる。冷え切った心が、ぬくもりに向かって浮上していく。世界に、光が戻る。

「ヴェストッ!」

 部屋中に響く大きな声に目を開ける。煌々と照らされる蛍光灯を背負って、緋紫の瞳がドイツを覗き込んでいた。何よりも美しいその輝きを見て、戻ったのだと感じる。

「おい、大丈夫かよ!うなされてたぜ」
「・・・・、あぁ」

 ぎゅ、と握られた手とは逆の手で彼は愛おしい弟の頬に触れた。汗と涙で張り付いた髪を剥がして、落ち着かせるように包み込む。少し低いその掌の温度が心地良くて深く息を吐いた。

「どうした?」

 幼子に語りかけるような優しげな声音で問い掛ける。静かに寝具に腰掛けると、小さくスプリングが鳴いた。

「・・なん、でもない」

 弱々しく返される強がりに苦笑を零して、未だ震えるその雄々しい体を抱き寄せた。言いたくないならいいよ、と囁いて彼は自分よりも大きな背中をトントンと叩いてやる。
 よく知った優しい温もりが愛おしくなり縋りつくように、その背へと腕を回した。

「ヴェスト、俺はいつもお前の傍に居るぜ」

 どうしてこの人は、いつも欲しい言葉をくれるのだろうか。
 気を抜けばしゃくり上げて泣き出しそうになるのを何とか堪えて抱き締める腕の力を強めることで返事とした。決して離れないで、と。

「愛してる、ヴェスト」

 額、瞼、頬と口付けを落とし、最後に触れるだけのそれを唇へと捧げる。くしゃ、と乱暴に頭を撫でてから体を放す。そして、真っ直ぐに見つめた。

「・・・・、兄さん、」

 その真っ直ぐな瞳が堪らなく愛おしくて、この人なしでは生きられないと彼の手を取った。そして、今度はこちらから口付けを捧げる。誓いを交し合うようなそれは、触れるだけから啄ばむようなものへと変わり、そしてより深いものへとなっていく。
 その頃にはもう、ドイツの震えは治まっていた。

「ヴェスト、愛してる」
「あぁ、」

 再びの抱擁を与え合い、感じ合う。それだけで満たされる、そう感じられた。
 夢に終わりがあるように、悪夢にも終わりは必ず訪れる。きっと、その先には愛する人と共に歩む未来があるのだと信じて、抱き締める腕に再度力を込めた。



end.

前サイトから。
APHもギルッツも今も好き!

12.09.28