Eine Fata Morgana


>>屍蛮

 夏の終わりはいつで、秋の始まりはいつか。
 暦の上では9月に入ったというのに、猛暑日が来るなんて反則だろう。と蛮はハンドルに凭れ掛かりながら照りつける太陽から目を逸らした。
 もはやしゃべる気力すらないのか、纏わりつく汗に鬱陶しげに溜め息を零すばかり。それは、相棒である銀次も同じだったのだが、先ほど花月や士度に連れられ無限城へと出掛けて行った。
 もちろん蛮も誘われたのだが、動く気など起きるわけもなく無言で断ったのだった。

(暑い暑い暑い・・)

 まるで呪文のように頭の中で繰り返されるそれは、気分を滅入らせる効果しかないことを蛮は気付いていない。

 ぐったりと目を閉じてどれくらい経っただろうか。不意に車の屋根を叩く音に、蛮は顔を上げた。

「大丈夫ですか?」

 開け放たれた窓の先は、一面の黒。いつもの運び屋スタイルに身を包んだ赤屍が、帽子の隙間から蛮を見下ろしていた。
 その気温を無視した服装に、蛮はげんなりと溜め息を吐く。

「お前さ‥、」
「はい?」

 おそらく蛮の言わんとしていることは察しているであろうに、赤屍は爽やかな笑みを返した。どこか楽しげなそれに、蛮は今一度、先よりも深く溜め息を零した。

「‥蔵人、」
「はい、依頼ですね?」

 わかってるならさっさとしろ、と蛮は車のドアを開ける。赤屍はそれを一歩下がって待ちながら、ゆっくりと蛮の前に跪いた。王子が姫君にするように、騎士が王にするように。
 そして赤屍は、蛮の手を取って口付けを落とした。
 流れるようなその行為に蛮は恥ずかしさに頬を染めながら、それでももっととねだる様に両の手を差し出す。

「どこまで運べば宜しいですか?」

 とろけそうに甘い微笑みを称えながら、赤屍は蛮を抱き上げる。所謂、お姫様抱っこ。
 常ならば抵抗する蛮も、暑さに体力や気力のほとんどを奪われているために大人しく赤屍の首に腕を回した。赤屍の低い体温が心地良く、肩口へと擦り寄る。

「‥涼しいところ」
「かしこまりました」

 一言呟いて、蛮は瞳を閉じる。クス、と笑いながら頷いて赤屍は黒いコートを翻した。
 そして、その場には誰も居なくなる。聞こえるのは季節を少し外れた蝉の鳴き声だけ。
 遠くで蜃気楼が、ゆらりと揺れた。



end.

前サイトから。
奪還は青春、屍蛮は青春。

12.09.28