例えば、君が居るだけで


 静かな午後。部活もない休日に、跡部は忍足の部屋でのんびりと過ごしていた。
 特に会話を交わすでもなく、ただ同じ空間に居る。それだけで満たされていく心に初めは戸惑いこそしたが、跡部にとってその時間が何よりも心地良いものになっていた。

「跡部、紅茶でええ?」
「あぁ」

 ソファに話題の純愛小説を読んでいた忍足は、一区切りついたのか本をテーブルに置きながら床に座ってソファに背を預けてテニス雑誌を読んでいた跡部に問い掛ける。問われた跡部は雑誌に視線を落としたまま、頷いた。
 真剣な表情でプロテニスの記事を読む跡部を見て微笑みながら立ち上がると、忍足は少し伸びをしてから台所へと向かった。

「あ、晩飯‥何にしようかな」

 ポットをコンロにかけ、忍足は冷蔵庫の中身を見る。いつ跡部が来てもいいように食材は買い揃えられているため、冷蔵庫内は充実していた。
 以前であれば、水や最低限の食料しか入っていなかったそこは、跡部と付き合うようになってから随分と生活観のあるものとなった。
 それは、冷蔵庫だけでなくリビングや寝室など、その全てに言えることだ。まるでショールームのように生活観の感じられない空間だったものが、次第に物が増え温もりを感じる場所となっていた。
 そして、それは忍足に自身にも影響を与えている。ポーカーフェイスの下に感情を隠していた彼が浮べる笑みは、まるで人形のようなものだった。
 それがどうだ。跡部と出会い、共に居るようになっただけで温かいもので満ちる心から溢れ出るように、無意識に笑みが零れるようになっていた。

「‥ほんま、」

 その後に続く言葉は、お湯が沸いたことを知らせるポットの音で途切れる。
 忍足は冷蔵庫の中身を再度確認してから扉を閉じて、慣れた手つきで紅茶を淹れる。 跡部直々に教わった紅茶の入れ方はいつの間にか染み付いて、無意識のうちに出来るようになっていた。
 白い湯気が揺れるカップを2つ持ち、忍足は台所を後にした。

「ほい、跡部」
「ん、サンキュ」

 リビングに戻れば、先ほどと変わらない体勢で雑誌を読んでいる跡部の姿があった。
 忍足はテーブルに跡部の分のカップを置いて、ソファへと腰掛ける。淹れたばかりの紅茶を一口飲んで、その香りに吐息をひとつ零した。

「ん、」

 不意に聞こえた声に視線を跡部へと向ければ、こちらも一区切りついたのか雑誌を閉じた。
 床に座ったまま大きな伸びをした跡部は、柔らかな香りの紅茶を一口飲んでから立ち上がると忍足の隣へと腰を下ろした。

「ふぅ、」
「お味はどうですか」

 息を吐いて深くソファに寄りかかる跡部を見て、忍足は笑みを浮かべながら冗談めかして問うた。その楽しそうな顔を一瞥し、跡部はまた一口含んだ。

「まぁ、随分とマシになったんじゃねぇの」

 こちらも楽しそうな笑みを浮かべながら告げられた言葉に、忍足はさらに笑みを深める。
 リビング全体に紅茶の香りが満ちて、柔らかな時間が過ぎる。

「なんか‥」
「ん?」
「なんか、こういうの‥いいな」

 ソファの背凭れに頭を乗せて天井を見上げながら告げられる言葉。それが嬉しくて、忍足はそっと跡部の手へと己のそれを重ねた。
 その温度が、堪らなく愛おしく感じる。愛しているという、喜びを得る。

「跡部、好き。めっちゃ」
「‥あぁ」

 手を握って真っ直ぐに告げられる愛の言葉に、跡部は天井を見上げたまま短く返した。それが照れ隠しであることは明白で、可愛らしいその仕草に愛おしさは増すばかり。
 どれだけの純愛小説を読んだとしても、今のこの瞬間こそが己のとっての幸福であると感じられることが忍足は嬉しかった。
 跡部と共に在るだけで、満たされる。それは跡部も同じで、忍足と過ごす時間が何よりも温かいものだと感じていた。

「‥忍足」

 握られている手に力を込めて、自分からも握り返す。互いの温もりが混ざり合って、言葉などなくとも想いがそこから通じるような気がした。
 だから、あえて言葉は置いておこう。
 ソファに預けていた体を起して、跡部は愛おしい恋人の頬へと触れるだけの口付けを贈った。

「跡部、」

 そして、忍足も同じように跡部の頬へと口付けを贈る。誓いにも似たそれは、部屋に満ちる温もりと相俟って心地良いまどろみを生み出す。
 互いに目は疲れていたし、夕食の準備をするにもまだ早い。見つめ合った二人は、今度は唇を重ねてから立ち上がった。
 まどろみに身を任せて、二人で夢を見るのも悪くはないだろう。きっと、同じ夢を見れる。そんな風に思いながら、二人は手を繋いだまま寝室に向かったのだった。



END.

昔のをリメイク。
一緒にいる幸せを感じあう忍跡。

12.08.14


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