距離


 彼と出逢ってから、随分と時が過ぎた。想いを交わらせて、隣に居るのが当たり前だった日々が、随分と前だった気がする。
 中学、高校と一緒だった自分たちは、それぞれの進学と共に物理的な距離が生まれた。

(俺は都内の大学の医学部。跡部は、イギリスの大学)

 医者になることが自分の役目だと思っていたし、それを嫌だと思ったことはなかった。けれど、彼と離れるということは、どうしようもなく自分を不安定にさせた。
 彼が居るのが当たり前になっていて、それがどれだけ幸せだったのか、離れてみて初めてわかった。
 けれど、物理的距離が生まれても、自分たちの心に距離が生まれることはなかった。

(毎日メールして、電話して。まるで隣に居るみたいな)

 会えるのは年に数回。それでも、自分たちは思い合っている。そんな確信と自信があった。

 自分が大学を卒業し、研修医として多忙な日々を送ってる頃、彼が最年少で会社役員となるために帰国した。
 物理的距離は縮まって、離れていた分を埋めるように毎日求め合った。これで、自分たちの距離はなくなった、と思っていた。

(けど、跡部が戻って来た本当の理由は・・)

 あっという間に会社での地位を築いた彼は、少しずつ、精神的距離を作るようになった。
 自分も研修医を経て、そろそろ一人前とは言えなくとも医者として経験を積んでいた。

 彼も自分も、出逢った頃の幼さは完全に消えて、あの頃に想像していた通りの“大人”になっていた。

「忍足、俺・・結婚するんだ」

 それは突然の言葉だった。けれど、予想していた言葉だった。
 彼は財閥の一人息子で、あらゆるものを背負うべくして生まれたのだ。その血を受け継いでいくことも、使命となっている。
 当然ながら、自分と彼では子供を宿すことは出来ない。

「・・そうか」
「あぁ、」

 交わした言葉はそれだけ。否、それしか出てこなかった。
 口を開けば、みっともない言葉ばかりが出てきそうで、ついでに涙やら嗚咽やらも出てきそうで、ただ彼を見つめることしか出来なかった。
 それは彼も同じなようで、二人とも何を言うでもなく、触れるでもなく見つめ合っていた。

 しばらしくて、彼の結婚式が行われた。
 ポストに入っていた消印のない招待状。それを見たときに、自分と彼の距離はもう縮めることは出来ないのだと理解した。
 気乗りはせずとも、それが彼の願いと思って式に出席した。
 自分たちの関係を知っていたかつてのチームメイトは、複雑な表情を浮かべながらも彼への祝福の言葉を口にしていた。
 自分は、満面の笑みで彼を祝福した。

(何となく、跡部を解放してやれた、なんて思ったんや)

 結婚式から、彼と連絡を取らない刻が続いた。それは数年に渡り、人伝に彼に子供が生まれたことを知った。
 その頃になると、自分は医者としての腕を買われて、また同時にやっていた研究も評価されて忙しい年月を送っていた。
 そんなある日、彼から連絡が着た。すぐに来て欲しいという声は、どこか弱々しさを感じて慌てて彼の家へと向かった。

「跡部!」

 見知らぬ執事に通されたのは跡部の部屋。そこに居たのはベッドに横たわる跡部の姿だった。
 部屋には彼しか居なくて、それがかつての日々を思わせて心が揺れるのがわかった。

「・・跡部、どないしたんや?」
「こっち来い」

 やけに白い手が、伸ばされる。
 慌てて駆け寄って握った手は、これまで知らないほどに細くて冷たかった。

「久しぶりだな」
「せやね」

 生まれる沈黙はあの頃とは違って、どこか恐怖に似た感覚を覚える。
 握っている跡部の手は、少しだけ力を込めて握り返えされている。

「イギリスにな、息子が居るんだ。俺と同じように、13の年に戻ってきて、氷帝に入れようと思ってる」
「そう、か」

 いつの間にか刻まれた皺を寄せながら、彼は笑った。その笑顔は変わらず、綺麗だった。

「・・本当は、体よくあいつらを遠ざけたんだ」

 ぽつり、ぽつりと語り出す彼の言葉をひとつも漏らさぬようにただ見つめる。
 少し、彼の蒼い瞳がくすんでいるように思えた。

「忍足、俺な。あと1年もしねぇうちに、死ぬんだと」
「そう、か」

 突然の告白が、すんなりと自分の中に落ちてきた。
 彼の手を握ったとき、そんな気がしていたのだ。それは、自分が医者だからなのか、彼との関係ゆえか。

「どれだけお前と離れても、離れきれない」

 物理的、精神的に距離を置いても、最後に行き着く先は同じ。
 いい歳して独り身の自分も、彼と同じなのだ。
 それは、あの頃に誓ったもの。生涯、跡部だけだと、その誓いに有効期限などない。一生ものなのだ。

「なぁ、忍足。俺はお前を裏切った。そして、今は家族を裏切る」

 跡部は、確かに家族を愛している。そして、同時に自分のことも愛してくれている。
 罪悪感と共に、どうしようもなく嬉しく感じる自分が居た。

「それでも、忍足・・。最後はお前と一緒に居たい」

 そこから言葉は要らなかった。ただただ、記憶よりも細くなった跡部の体を抱き締めた。
 もう距離などなくなってしまえばいい。物理的にも、精神的にも、自分たちの間に距離などなくなってしまえばいい。

「跡部、跡部‥自分の最後、俺に頂戴」
「あぁ、お前にやる」

 心の中で跡部の大切な家族に謝りながらも、それでもこの愛おしい彼から離れたくない。
 一度は離れた。けれど、もう離れない。離さない。

「跡部、愛しとる」
「俺も、お前を愛してる」

 最後を前に医者としてではなく、愛する人として自分を呼んだ彼。だから、自分も彼の愛する人として傍に居よう。
 最後の瞬間、彼を抱き締めよう。愛を告げよう。
 そして、その後すぐに、彼にまた会いに行く。永遠に傍に居るために。
 自分たちの距離は、なくなった。



END.

最初は「ATB48‥跡部が48歳!」と興奮して始めたのに…何故だ。
無駄に長いしね。

12.04.20


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