鬼と夜叉


 部屋に満ちる重々しい空気に、武市は滲む汗を拭うことすら出来ずにいた。隣に座る来島も同じようで、身動きすら出来ない。
 この空間を支配している人物――高杉は、煙管を燻らすこともなく静かに外を眺めている。だが、纏う雰囲気は戦場にあるかのように鋭い。明らかに怒りを纏う高杉に、二人は畏縮するばかりだ。
 彼が一体に何に対して怒っているのか、武市は分からずにいた。二人がこの、アジトとしている戦艦へと帰ってすぐに高杉の許へと呼ばれた。それはほんの数分前のことであり、訪れた時にはすでにこの重苦しい空気は部屋を満たしていた。
 この場をどうすべきなのか、原因すら分からない二人に術などなく。ただこれ以上、彼の機嫌を損ねないように自然と気配を殺すことしかできない。何が起因となって高杉が刀を抜いて斬り捨てられるかわからない。
 びくびくと小さくなっていた二人にとって、この事態を好転――というよりも、打開――してくれるかもしれない人物がやってきたのは、体感時間にして数時間、実際には数分も経たない頃だ。すっ、と静かな音を立てて開かれた襖から、これまた静かな動作で入ってきたのは相も変わらずヘッドフォンを付けた万斉だった。

「万斉先輩、」

 情けない声、さらには目に薄らと涙を溜めた来島は、救世主とばかりに万斉を見上げた。その隣では心持ち背を丸めて小さくなってる武市。普段はなかなか見られない二人の畏縮っぷりと、部屋の外まで漏れ出ていた高杉の怒気に苦笑を零しながら万斉は入口付近へと腰を下ろした。
 サングラス越しに高杉を見やれば、彼は度の過ぎた不機嫌の理由を教えてやる気がないことは一目瞭然。否、高杉という男を多少なりとも知っていれば、“意味は汲み取れ”と言わんばかりに彼が説明という手段を滅多に行わないことはわかりきっていることだ。
 今一度、今度は呆れを含んだ苦笑を零して口を開いた。

「鬼兵隊のためと動くは良いが、独断で行えば“エゴ”にしかならんでござろう」

 来島も武市も、彼に付き従う者。故に丁寧に説明してやることもない。
 高杉がこれほどに機嫌を損ねている理由がつい先刻の計画にあったことを知って、二人はびくりと肩を揺らした。どうやら同窓会などと銘打って、白夜叉らを暗殺しようとしたことがすでにバレていたらしい。

「も、申し訳ありませんッス」

 素直に謝罪を口にした来島の隣で、頭を下げながらも武市は考えていた。結果としては失敗に終わったが、ほんの数時間前のそれがこんなにも早くバレるなど思いもしなかった。また、組織としての鬼兵隊をもっての万斉の言葉が高杉にも言えるのかどうか疑問だ。下っ端ならいざ知らず、側近や幹部といった立場の自分たちの単独行動に対して彼が何か言うことはほとんどない。ましてや、これほどに不機嫌になることも。
 自分たちの犯した失態は単独行動を行ったことではなく、暗殺計画そのものだったのではないか。そこまで考えて、武市はさらにわからなくなった。

(これほど早く知れたことも、気になりますねぇ‥)

 あの場に居た部下には口止めをしているし、ましてや高杉に報告できる術すら連中は持っていないはずだ。では、誰から洩れたのだ。可能性としては、早々に攘夷から退き宇宙へと出たという坂本辺りではないかと思いながらも、あの能天気に服を着せたような男と高杉が繋がっていることにどうにも違和感がある。
 俯きながら回る方である頭をフル回転させていると、背後の襖がカタリと鳴った。

「仲間を思ってやったんだから、そう苛めんなって」

 聞き覚えのある声に一同が襖への視線を向けるのと同時に、スラリと開けられる。人一人分開けられたそこから現れたのは、つい先刻見たばかりの白銀だ。
 気だるげな瞳が素早く武器を手にした来島と武市を一瞬だけ見やって、すぐに窓辺の高杉へを向けられる。

「白夜叉ッ!?」

 銃口を銀時へ向けながら、来島は臨戦態勢に入る。そのまま立ち上がろうとしたところを、武市は腕を引くことで止める。鋭い視線で抗議する来島は、しかし、己の腕を引いた手が微かに震えていることに気付いて困惑する。

「また子さん、動かないで下さい」

 依然として来島の腕を掴んだまま、武市は万斉を見やる。先ほどまで傍らに置いていた三味線を手にしてる万斉の表情は、濃い黒色のサングラスで分からない。
 武市の視線を追うように――銀時への警戒を解くことなく、チラチラと横目で見ながら――万斉へと視線を移した来島は、さらに困惑の色を深める。万斉の手にしている三味線から、光を受けて微かに光る絃が見えたからだ。そして、その絃は自分の眼前、丁度立ち上がろうとしていた場所へ伸びている。

「万斉‥、先輩?」

 武市の止められることなくあのまま立ち上がっていれば、間違いなく絃が顔に、正確には耳をそぎ落とすようなことになっていた。明らかに己に対しての牽制であるそれに、困惑が混乱への変わっていく。目の前では現れた時と寸分違わず立っている、やる気のない顔に微かな笑みを浮かべた銀時がいるというのに。何故、万斉の攻撃の対象が自分たちへ向いているのかわからない。

「何‥何なんスが、これ!?」

 今の状況が全く分からず、来島は万斉と武市、そして銀時を順に見やる。
 混乱して声を荒げる来島に溜息を吐きながら、万斉は張り巡らせていた絃を緩めた。

「‥感謝して欲しいくらでござるよ。少しでも動いていれば―」
「ブッた斬れたのになァ」

 緊迫した場に似合わない楽しげな声音に振り返れば、先程までの不機嫌が嘘のように笑みを浮かべた高杉の視線がこちら――正確には背後に立つ銀時――に向けられている。その手には彼の愛刀が握られている。おそらく武市が止めなければ、万斉の絃と高杉の刃によって今頃斬り捨てられていたかもしれない。一気に汗が噴き出るのを感じながら、来島は力なく座り込んだ。

「あーもう、ほら、やめろって」

 咎める気の無いような呑気な声音で言いながら、いつの間に抜いたのか木刀を振るって絃を断ち切って銀時は部屋の中へ歩を進め、真っ直ぐ高杉の許へ向かう。そして目の前へと辿り着くと、一瞬だけ笑みを深めるとその足元への腰を下ろした。
 その間に居住まいを正していた武市に倣って、へたり込んだ体制を座り直して来島は高杉へと向き直る。足元への座ったことで丁度いい位置にある銀時の白銀の髪を愛おし気に撫ぜる高杉を見て、武市は合点がいった。
 どうやら自分たちはとんでもないことをしでかそうとしていたらしい。

「なるほど‥、」

 呟けば、銀時の細められていた瞳が武市へと向く。死んだ魚のようだと言われている瞳は、しかし、畏怖を覚えるには十分な光を宿していた。彼の髪を撫ぜる男のそれと同じ、燃える様な闇を孕んだ瞳だ。

「貴方の中の獣は、今だ呻き続けている。ということですが、白夜叉殿」

 自分たちの君主が己の狂気を揶揄した言葉を用いて問えば、銀時――白夜叉は楽しそうに嗤った。それが余りにも艶やかで、背筋を寒気が走る。
 どうやら彼の白銀は、障害どころかこちらの切り札だったようだ。ともすれば、高杉よりも大きな獣を飼っている。そして、それはきっと互いに鎖で繋がれているのだろう。
 おそらく来島も銀時がこちら側だとわかったのだろう。不満そうな気配はすれど、口を出すつもりはないらしい。というよりも、彼らの醸し出す雰囲気に何も言えないのかもしれない。
 自分たちなどお構いなしに甘い空気を纏う二人に、ただ髪に触れているだけだというのにまるで情事を見ているような気分になる。どうやら彼らの関係を知っていた万斉は早々に三味線を手に退室すべく立ち上がっている。それに倣って武市も来島の肩を叩いて立ち上がった。これ以上、ここにいる意味はない。

「お、またなー」

 こちらの動きを理解した銀時は先ほどと違ってヘラリと笑って片手を上げた。一応、一礼をしてから部屋を出ると緊張していた体から力が抜ける。しかし、同時に彼の夜叉がこちら側だったことへの高陽も湧き上がる。高杉の言う派手な祭りというのが、とんでもなく派手なものになるのがわかる。その時が来るのが楽しみに思えて、知らず笑みが滲みそうになるのを隠しながら、どこかフラフラした来島を引き摺って万斉の後を追った。
 彼らが内なる獣を解き放つまで、あと少し。



END.

「高杉と過激派浪士やってる銀時」での高銀です。
時系列としては、黒子野さんの時の攘夷四天王暗殺計画の直後となっております。
裏設定としては鬼兵隊副総督な銀時。と、幕府へ潜入してる高銀側近な黒子野さん。
過激なことはしてないけど、鬼兵隊って時点で過激派…です。はい。

2014.01.19