一時の平穏と静寂


 障子の向こうから透けてくる光が余りにも穏やかで、ここが戦場にほど近い潜伏場所であることを忘れさせる。
 連日の戦闘の小休止とも言える数日、これまで最前線で戦ってきた銀時は狙ったかのように体調を崩していた。

「銀時、入るぞ」

 静かに障子が開けられて、水の張られた桶を持った桂が入ってきた。
 わずかに乱れた布団で眠る銀時を起こさないように足音を忍ばせながら、枕元へと桶を置いて腰を下ろす。視線の先、眠る銀時の赤みを帯びた顔は、普段よりも幼く見える。
 桂は銀時の額に置かれたタオルを取って、桶の水で濡らす。だいぶ温くなっていたそれは、冷たい井戸水で冷やされる。しっかりと絞ってから、丁寧に元在った場所へと戻すとその冷たさに、一瞬だけ銀時は身じろいだ。

「余り無茶してくれるな、馬鹿者」

 ふわり、と白い髪を撫ぜながら桂は瞳を細める。声音も瞳も優しく、常の厳しさなど全くない。
桂は乱れた掛け布団を直してやると、しばらく銀時を見つめてから静かに部屋を出た。

 静寂が戻る。人の声や物音はなく、遠くで鳶が一つ鳴いただけ。

 どれほどの時間が経ったのか、不意に静寂が終わる。
 ガタン、と音を立てて開かれた障子から橙色の光と共に坂本が姿を現した。竹筒をぷらぷらと揺らしながら坂本は歩みを進め、布団の脇へと腰を下ろした。慈しみの色が滲む瞳を細めながら竹筒を枕元へと置くと、額のタオルを取ると桶の水へと浸けた。

「ほんに、バカじゃのぉ」

 ゆらゆらと揺蕩ってから底へと沈んでいくタオルをそのままに、坂本は銀時の額へと手を伸ばす。己の掌よりも幾分かぬるい額に張り付いた前髪を優しく払うと、水を絞ったタオルを当て直す。
 幾分か顔色の戻ってきている銀時を見つめてからゆっくりと手の甲で頬を撫ぜ、坂本は持ち立ち上がった。

「ゆっくり休みんしゃい、銀時」

 開けられた障子の先は、濃紺と橙が混じる空。夕闇が染み込んでいく空を背に、坂本は今一度、銀時を見つめてから障子を閉めた。

 再びの静寂。草場に隠れる虫々が夜を告げるように鳴いている。

 何度目かの障子を開ける音が真っ暗な部屋に染み込むように響く。そこには月を背にして立つ高杉の姿があった。その手には小さな包みが乗っている。

「‥まだ寝てんのか」

 呟いてから高杉は銀時の眠る布団の横へと腰かけた。手に持っていた包みを、枕元へと置くと額に乗せられたタオルを手に取る。そして、水の張られた桶で冷やしてから額へと戻した。
 もう常と変わらない透きとおるような白さとなっている頬を撫ぜると、高杉はゆっくりと瞬きをする。

「馬鹿は風邪ひかねぇんだろ‥とっとと治しやがれ、銀時」

 ぺちん、と頬を軽く叩くと、高杉は腰を上げる。微かな月明かりに浮かび上がる白に、ほんの少しだけ笑んで部屋を後にした。

 虫の声音が届く部屋、人の気配が完全に感じられなくなってから、それまで閉じられていた銀時の瞳が開けられた。緩慢さを感じられない動作で上半身を起こすと、布団の上にタオルが落ちた。

「ったく‥、バカバカ言い過ぎだろ、あいつら」

 熱ではなく赤みを頬に乗せながら、銀時は頭を掻く。その表情は照れているようにも、嬉しそうにも見えた。
 落ちたタオルを拾い、それを桶の中に投げ入れてから、坂本の持ってきた竹筒を手に取る。ちゃぷん、と音を立てたそれの栓を開けて口を付ければ、少しだけ温い水が喉へと流れ込んだ。冷えたものよりも優しく浸透していくような感覚に、喉が渇いていたことを実感する。
そして、高杉の持ってきた包みを開け、中に並んだ饅頭を一つ摘まむとそれを口の中へと放り込んだ。ずっと横になっていたことで怠さを感じる体に、饅頭の甘さが酷く優しく感じられる。

「うめぇ‥」

 残りの饅頭を丁寧に包み直すと、桶に沈んでいたタオルを引き上げて水を絞る。適当に畳んだそれを手にまた横になって、額に乗せる。きっと、朝起きた頃にはどこかへ吹っ飛んでいるであろうが、眠る瞬間まではその冷たさを感じていたかった。
 明日になれば風邪など完全に治っているだろう。そうしたら、高杉の前でこれ見よがしに饅頭でも食べてやろうか、と考えながら、銀時は静かに眠りへと就いた。



END.

風邪を引いた銀時を看病する3人、です。
たぶん、みんなは銀時が狸寝入りしてるのわかってます。
わかってるからこそ敢えて、です。


13.04.30