風景

 2

 トカゲの尻尾きりならぬ足きりだった。
 『人ならざる者』は、時に常識の範疇を越える。姿形を人が理解できるものでもない。
 そして、理解を容易く超えてしまう者こそ神だ。
 紺色の鬼面が白髪の上で、カタリと動いた。そっと如月の手が鬼面に触れる。
「……まだ動くなよ。調べるのに手前は必要ねぇ」
 囁いた言葉に反応するように、鬼面はまた動く。やがて鬼面は静かになり、場は無音に包まれかけた。
 ――――カツン
「っ誰だ」
「私だけど」
 廊下に響く足音に振り返った如月は、脱力した。階段を上がってきたらしい潤は、不思議そうに首を傾ぐ。
「何かあったの?」
「……あったと言えばあった」
 ダダダダダダダッ
 空気を震わせる程大きな音に、如月は目を見開き、言葉を切る。潤は「ああ」と妙な納得をして、迷うことなく階段の方を振り向き――駆け上がってきた男子生徒の顔を勢いよく叩いた。
 呻き声と悲鳴が混ざり、少年は落下する。
 下の階で、高い悲鳴があがった。
「…………お見事、だな」
「それはどうも。それより話は後でね。図書室で話す事があるから―――如月も聞く?」
「良いのか? 図書室だと人が多いだろ?」
「大丈夫。こっちの図書室は」
 どういう意味だ?
 肩眉を上げる如月に構わず、潤は軽い足取りで彼の直ぐ隣にある扉に手をかけた。重々しい飴色の扉は、数十年前からあるように見える。真新しい金色の南京錠を見やり、少女は口を開く。
「開けて」
 それが合図だった。
 バンッ、と目にも留まらぬ速さで扉が開かれる。風が吹き、二人の髪を泳がせた。真新しい南京錠は、引きちぎられたように歪に湾曲している。
「今のは……?」
 図書室の中の、塗り潰された黒い暗闇。そこから流れるひやりとした冷気と、背筋を走る悪寒に如月は覚えがあった。けれど、訊ねずにはいられない。
 巫女は妖しく微笑んだ。
「何って、決まってるでしょ」
 この中にも、『人ならざる者』がいるの。

 ――――たっぷり、ね。


 手探りで電気のスイッチを押せば、明るい光が瞬く間に図書室を照らした。
 私は如月を手招きして、椅子に座る。直ぐ隣を如月も座る。が、直ぐに立ってしまった。日本の神さまに椅子はキツイらしい。
 少し残念に思いつつ、ぼぉっと頬杖をついた。落ち着きのない如月は、視線をあっちへやったりこっちへやったりで忙しい。
「なあ、ここ、多すぎじゃないか?」
「人じゃないからいいじゃない。所詮『人ならざる者』。それにこのヒト達は私を襲う心配がない」
 ヒトであり、人ではない者。私の右横で、同調するように半透明の人影が笑った。
『時神様なら慣れなきゃ!』
「大勢の幽霊にいきなり囲まれてみろ、神だろうが慣れるものじゃねぇだろっ」
『あははははっ、怒った怒った!』
「晴子(はるこ)、如月をからかわないで。煩いから」
「さり気なく言うな」
「釘を刺して何が悪いの」
 黒髪の五歳児の頭を撫でながら、私は如月を嘲笑う。彼は腹が立ったのか小さく舌打ちをした。
 と、急に視界を埋め尽くしていた半透明の大勢の人影が消えていく。ざわざわと揺れながらフッと自然にいなくなっていくのだ。
 ……ああ来たんだ。
「? 潤、移動しちまったけどいいのか?」
 晴子も消え、如月は不思議そうだ。私は首を振る。
 だって、理由は単純明快。
「矢代おおおおおおおおおおおおおおおおおおっ! また顔面やりやがったなぁああああああああ!!」
 わざわざスライディングで入ってきた馬鹿が、あまりにも煩いからだ。
「あ、こいつさっきの……」
 そう。神崎良(りょう)。略してただの馬鹿。
 如月に返事をして、私はそっと神埼に手を伸ばす。
「じゅっ」
「あんた煩い」
 頭を叩けば、神崎は私に手を伸ばした状態で顔面を床に突っ伏した。転がっている体制は不自然に見える。
 何がしたかったのコイツ。助け起こすなんて誰も言ってないのに。
 そろそろ、いや、いい加減学べ。
「お前……偶にえげつねぇよな」
 常時の間違いでしょ。
 訂正すると、今度は廊下からひょっこりとひのえが顔を出した。
「あれ? 神崎君が死んでる?」
「静脈は安定してる」
「惜しいなあ潤」
「惜しいのは手前らの思考だ」
 どこで何を間違った。とボソッと突っ込んでくる如月はさておき。神埼をひのえに叩き起こしてもらって(「死ぬ!」、「加減はしたよ?」)私は図書室の扉に手をかける。
 誰も居ない廊下は、この図書室の人気のなさを証明していると同時に、妙な物を浮き彫りにさせていた。
 ………如月。
「あ?」
 ――――足が、落ちてる。
「………………あ、やべぇ」 思い出したように、如月は廊下へ飛び出して、嫌そうな顔で足を持ってくる。人形の部位の一部なのは薄々分かるが、見ていて気持ちの良いものじゃない。
 てゆうか捨ててよ。
「一応手がかりなんだよ、俺だって持ちたくねぇ」
 手がかり――それは、時神についてだろうか。
 どうして廊下に足があるかは知らない。だけど足が手がかりになっても気味が悪いだけだと思うのに。
 溜息をついて、扉を閉める。足を小さな棚に置いて、その横に立つ如月をなんともいえない表情で眺めて私も改めて席に着いた。もうちょっとマシな神っていないのか。復活した神崎が(まだ若干顔を痛そうにさせながら)首を傾げている。
「おーい、廊下になんかあったのか?」
「黒い子供がいたとか? 給食の食べ残しで蔓延るアレ」
「鳥肌が立つっ!!」
「神崎。昼休みが終わるから早くして」
「すいません」
 目の前で漫才をされても笑えない。威圧するように睨めば、神崎は顔を青ざめさせて俯いた。如月は呆れている。
 確かに、神から見ても神崎はヘタレに見えるだろうな。
「俺ん家(ち)で最近、物音がよくするんだよな」
 神埼は、そこから語り始めた。

 最初に鳴り始めたのは二週間前からなんだよ。
 突然、屋根裏部屋から誰かが壁を殴るみたいな音が聞こえて、最初は狸とか動物が入ったんだって思った。築三百年は馬鹿にできないって言うじゃん。……言わないか。
 それで暫く放置してたら、三日前に婆ちゃんがぶっ倒れた。医者曰く疲労だと。
 次に、昨日一番上の姉ちゃんが倒れた。これは風邪だったらしい。
 で、今日の朝、二番目の姉ちゃんが倒れた。この姉ちゃんは持病の発作。
 一応病院には親父が送ったけど、オレが登校するついでに母さんと一緒に家を出たら、家の前に蛇の抜け殻が落ちてたんだよ。しかも大量に。

「これはもう、呪われてるって話だと思うだろ?」
「うん。十中八九そうじゃないと辻褄が合わない」
 奇怪な音がなる、ということは案外どこでもある。単なる空耳だったり家が歪んで至りとか。けど、その後に続いた家族の倒れ方は異常だ。蛇の脱皮も説明がつかない。
「でもでも、偶々な現象が重なっただけじゃないの? 蛇は嫌がらせとか」
「それも考えた、けどなー……」
 どうも、しっくりこないのだ。
 神埼の渋る表情を見て思う。こういうのは、家≠ニいう場所に産まれたときからいる人間が敏感で、よく分かっている。
「とにかく、一回オレの家で御払いしてくれよ! 気休めでもいいから!」
 ゴンッ
 額を机にぶつけて、頼み込む間崎には馬鹿の一言しか出てこない。
 本当に、これだからお人よし精神は困る。
「………はあ、いいよ」
 こうもされると、受けずにはいられないのだ。驚いたように息を呑む如月が目に入り、苦笑する。だって、ねえ、
「従兄だもん、これぐらいはタダでしてあげないと」
 神崎をいくら馬鹿と言えど。神埼の家に、神埼自身に、救われたことはない訳ではないから。それに叔父さんと叔母さんには沢山迷惑をかけている。
「いいでしょう? 如月」
「ったく」
 面倒だと頭をかく彼は、仕方がないという風に笑った。


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