風景

 「あしからず」

 月曜日。
 学生の本分である勉強をすべく、今私は通学路にいた。早朝とあって、普段ここを行き交う生徒の影はなく。澄み渡った空気と薄い青、冷たい気温。それから寝静まった空気の中を歩くのは、些か違和感がある。
 いや、それよりも違和感があるのは――
「どうして如月もいるの」
「お前昨日約束しただろ」
「だからって一緒に登校しないでよ。せめて電柱の影で見守るとか、屋根の上を飛びながらつけてくるとかできないの?」
「前者はストーカーで後者は忍者だな。時神だからってんな風に超人って訳でもねぇんだよ、覚えとけ」
 どうだろう、覚えろと言われても忘れそうな気がする。だってどうでもいい事実だし。とゆうか神様の癖に超人並みの行動もできないのかとさえ思う。
 人を超えてこそ、神は神だというのに。
 ああ、神と言えば――
「如月は『人ならざる者』だから、普通の人には視えないの?」
 如月は、済ました顔で肩を竦める。
「どうだろうな、視える奴には視えると思うぜ」
「私と同じ異端者は他にはいないから聞いたの」
 断言してやると、フキノトウ色の黄みを帯びた目が合う。鋭くなっているその目は、何かを言いたげで。記憶の中にいる誰かと、如月の顔が重なる。

 本当に、異端者として狂っているのは。果たして、誰だと思う?

 私は視線を落とす。
 本当に異端者として狂っているのは――――私だ。


「はい、ここでαを使って……」
 暖かな日差しによって、室内の温度が緩和されている今日この頃。黒板に白い文字で二月と書かれているのを見て、私は迷わず先生ではなく窓の外を見やった。
 因みに私は二階の窓際に座っている。が、普通にそこにあるはずのグラウンドの光景はまったく見えない。巨大な樹が立っているせいで。
 目の前を、季節に合わない桜の花弁がただ静かに舞っていく。窓の真横(一メートルもないだろう)にある太い枝は樹の幹から伸びていて。思わず茶色の枝に映える、藍染の着物と白髪に小さく呟いた。
「如月にピンクは似合わない」
「聞こえてんぞ潤」
 ぽつりと零した言葉に、気だるそうな返事が返ってきた。薄らと目を開けているところを見ると、どうやら眠たいらしい。
 寝ていれば、少しは様になるのに。
「失礼も大概にしろよ手前」
 じゃあいちいち心を読むな。
 前の席から回されたプリントに名前などを記入して、丁重に突っ込んだ。おかげで彼は押し黙る。このまま会話を続けてもいつかクラスメイトにボロが出るだろう。という訳で、授業に戻ろう。
 視界の隅にチラつく桃色と紺を無視して、書き込んでいく。
 最近何かを無視してばかりな気もしなくもない。
「おい矢代、矢代ー」
 男子の声がする。続いて、私の机の端をシャーペンで誰かが突いた。
「うるさい神崎」
 こんなことするのは神崎ぐらいだ、隣の席だし。見なくても分かる。
 案の定神崎は「うわ怖っ」とボソッと呟いて。また喋りだす。学校で毎日顔を合わせているというのにその小さな行動は逆に苛つく。
「何の用」
「この後昼休みだろ? ちょっと相談乗ってくんね?」
「……何で?」
 確かにこの後は給食でも掃除でもなく昼休みだ。三年生の行事が色々と事情があるらしく時間割は繰り上がっている。
 それは分かる。けど、神埼が私に相談してくるなんてまず珍しい。私は極力普通の人(ひのえ含め)と関わらないようにしてるのに。
「いや、お前さ。巫女だろ? 見たことないけどお祓いとか気休めにでき――やべっ」
 ――――お祓い?
 ――――――――バシンッ
 私が疑問を持った刹那、鈍く軽い音が派手に隣で鳴った。ようやっと神崎の方を見れば、私と神埼の間に数学の男性教師の姿。年配なのが一目で分かる白髪と顔に刻まれた皺が、よく目立つ。
 如月みたい。
「俺を歳くってるジジイと同じにすんな!!」
「何すんだよ爺!」
 如月が吠え、神埼も吠えた。両方に爺と呼ばれた先生も可哀想に。そしてこの時ばかりは『人ならざる者』の声が周りに聞こえない事に感謝してしまう。
 お爺ちゃん先生は、はっと鼻で笑った。
「だぁれが爺か。シャキッとせんかい! 矢代と喋る暇があったら手を動かせ!! こいつも迷惑しとるだろお前のせいで!」
「はあぁ、オレ?! てか動かしてたし!! 脳とノート一緒に動かしてたし!!」
 何が可笑しかったのか。神崎の一言に皆は爆笑し始める。一瞬で騒がしくなったクラスに諦めたのか、神崎と先生は口論をやめる。
 私は一人頬を掻く。そんなに面白かったのか、今の(洒落)は。
 やがて笑いは段々と静まり、けれど笑いの余韻を残した雰囲気で授業は再開された。
 シャーペンを握ったままプリントを凝視していると、プリントの上に白い手が伸びてくる。
 ―――手。
「っ!?」
 ビックリして窓側に顔を向けると、すぐそこに如月の顔があった。窓から少し身を乗り出しているらしい。彼の目はただプリントを見ている。
 そして、指で問1と書かれた場所を指した。
「ここ、三だろ。で、こっちが六」
 ……分かるの?
「何となく、な。さっさと書けよ」
 頷いて、言われたとおり書いていく。答えから順に式を組み立てていくと、どんな風に解けばよかったか直ぐに分かる。にしても、変な気分だ。
 如月は神様のはずなのに。
 今一瞬感じた気配がどうにも―――人間に近い気がする。
「起立、礼。ありがとうございました」
 はっとなって、立ち上がる。小さく礼をしていると如月が小さく笑う声が聞こえた。でもそれは程なくしてクラスの騒々しさに掻き消されるけど。
「じゅーん」
「矢代!」
 セーラー服の裾をひのえと神埼に捕まれた。
 神崎の手だけ振り解いて、如月に「待ってて」と心の中で呟いて、二人に向き直る。
「今度は何?」
「図書室行こう、さっきの続き!」
「私は二人について行こうかなー?」
 ひのえの疑問系は全て断言と取っていい。渋々了承して、振り返る。
 桜の樹は、消えていた。
「……如月?」
 紺も、見当たらない。窓の外の光景は、いつもの光景。
 緑の映えるグラウンドが覗いている。
「潤?」
「………ううん、なんでもない。多分トイレだよ」
「は? 誰が?」
「神様が」
 即答して、真っ直ぐ教室を出る。
 不思議と、如月が消えた事に焦りはなかった。
 だから、多分、そういう事だ。


「っと、危ねぇな」
 廊下を走っていく少年少女。ぶつかりかけた人影を見送り、如月は呟く。元気ある若々しい笑顔に、一瞬遠い顔になったのが神の性だろうか。
「……って本当に歳食ってる爺みてぇだな、俺」
 彼は自分が見えない≠アとを知りながら、ぶつかる可能性≠考えて人を避け、歩いていく。駄々漏れになっている独り言さえ聞かれる心配≠ヘない。
 溜息を吐き、辺りを見渡す。ふと、彼の目の端を赤が走った。冷静に赤に目を凝らす。
 赤は厳密に言えば、白と赤に彩られた斑模様の椿だった。そして、椿の茎があるはずの部分―――蕚(がく)からは病的なまでに白く脆い足が生えている。
「……………」
 しばし、無言で固まる如月。
 しかし、足は彼を止まってくれるほど優しくはないようだ。如月を置いて、足の生えた椿は起用に走っていく。
 それは、どちらかといえば跳ぶという表現が似合うほどの疾走。
「…………マジかよ」
 鎮痛な面持ちで如月も走り出した。
 周りを歩く人間たちを通り過ぎるたび、声という雑音を聞くたび。彼らがただの背景で、自分だけが世界にいるという感覚になりそうになる。
 ――――いや、元から俺の世界には誰もいねぇよな。
 確信めいた言葉を吐き出しそうになり、堪える。やがて廊下の角を曲がったところで足が視界から消えた。
 如月も同様に角を曲がるが、椿は忽然と姿を消している。
 後に残されたのは、足のみ。
 直立した状態の、膝下からの人間の部位は完璧なまでに美しい。人体の一部という生理的拒絶間を抱きながら、拾い上げてそれを眺めた如月はぎょっとする。
 足はどうやら人形の部品だったらしい。丁度九体間接が嵌まるであろう場所に、椿が咲いていたようだ。僅かだが短く細い根が残されている。
「椿……まさか」


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