風景

 「住人の暖かみ」

 かくかくと揺れ動く頭は重たくて。擦った瞼も重たくて。体が、とても温かい布団から出たくないと叫んでいた。
 それでも。嗚呼、起きなければならない。だって日曜日だろうと食事は作っておかなくちゃいけないんだ。ちゃんと、作らないと――ご飯は食べないと。起きないと。
 ふっと柱時計に目をやって私は目を瞬く。
 針は、十一という数字を指していた。
「っ!?」
 寝坊した。
 久々に、十一時に起きてしまった。これではもう、朝ごはんどころか昼ごはんを作らなくてはいけない。
時間を認識した私の脳は、はっきりと覚醒し、手は障子を勢いよく開けて。足は廊下を走っている。無意識に動いてくれる体はある意味条件反射というものなのか。四つ部屋を通り過ぎたところで、目当ての障子を開けた。
ここはいつも食事をする場所で、この奥の襖を開ければ台所に――
「……あ」
 開けた。開けて、私は目を見開く。
 白髪に、ふきのうとうを連想させられる春の色をした瞳。紺色の着物と同色の鬼面が頭の上で揺れている。
 ――如月が、ほかほかのご飯を片手に驚いた様子でこちらを見ていた。


 暫くそうして見つめあったまま固まっていたが、如月の方が早く我に返ったようで。ばつの悪そうな顔をしたかと思うと、思い切り私から視線を逸らした。
「悪かったな。さすがに腹減ったから先に作っちまって……食うか?」
 私は縦に首を振る。彼には失礼だが、実はぽっかりと存在を忘れていたのだ。独りでいた時間の方が遥かに上だったからかもしれない。
 如月は僅かに苦笑して、私の分のお皿や箸を手馴れた様子でテーブルに用意し始めた。私はいつもの自分の席に座る。
橋。白米。おかず。
何かを置かれる度、手伝うべきか少し悩むけど、空腹のせいか起きた時間がいつもと違うせいか。体をあまり動かす気になれない。てゆうか前も思ったけどこの家の主は私じゃなかっただろうか。なんでナチュラルに自分の家のように……。
 いや。それよりも、まず如月に何か言った方がいいような。
もやもやとした気持ちに俯いていると、忍び笑いが聞こえた。私は顔を上げて睨みつける。何もしてないのに笑われる理由なんてない――と思っていれば、如月は優しく笑ったまま口を開いた。
「おはよう」
「……え?」
 一瞬、何を言われたのかわからなかった。それから、私は言葉を頭の中で噛み砕いて、鸚鵡返しに呟く。
 おはよう、に返す言葉と言えば。
「おは……よう?」
「おう」
 よくできたな。とでも言うように、如月は私の頭を軽く撫でる。幼稚園児のように扱われているのに、如月は同年代の男子と同じ年齢なのに。不思議と羞恥や苛立ちは沸いてこなかった。
「……変なの」
「……は?」
「何でもない――いただきます」
 唖然とする如月に構わず箸をとって、私はご飯やおかずを口に運ぶ。
 出来立ての味は何だか懐かしくて。

誰かが作ってくれた料理。
 家の中でする挨拶。
 いつもと違う家の風景。

 久々のこの光景は、一体何時ぶりだろうか。少なくとも、昔私の面倒を見てくれていたあの人がいなくなってからだから十年は経っている、かもしれない。
「如月、あのさ」
「ん?」
「……いつ、帰るの?」
 ――コトン。箸の音が部屋に響く。重なるのは、あの日の激情。
「……知らねえよ。帰る場所なんて覚えてねえしな。それに、俺はお前に助けてほしいからこの家に来たんだ。だろ?」
 そっか。
 そう返して、私は箸を見つめる。なんだか、自分がわからなくなった気がする。
 私はいったい、何を望んで生きてきたんだろう。少なくとも、今みたいな気持ち今まで望んだことも望んだつもりもなかったのに。
 一人のほうが、ずっと楽だって分かってるのに。


「そういえば、私は具体的に何をすべきなの?」
 如月を私の家に連れてきたのは、助けを求められたから。
 が、とくいって何かを手伝えとかそんなわけではなく。本人曰く「住む場所がない」の一言で滞在を許したのであって。
 それそも、如月のしたいこと。やりたいことに検討がつかなければ一生住み着かれる可能性も出てくる。それは一応避けるべきことだ。
 のんびりと縁側で寛いでいた如月は「あー」と唸り声をあげて私をチラッと見る。
「……何」
「お前――本当に俺を助ける気があるか?」
「ない」
「おいコラ」
あるかないか、と聞かれれば実際はないに等しい。当たり前だ。『人ならざる者』と密接になりたいなんて、誰が思う? ……今さらだけど。
 やれやれと如月は首を振る。
「俺が時神ってことは言ったろ。実は、俺と同じ時神は後十二人……いや、この場合は十一人か。それだけの仲間がいるんだ。今は訳あっていないけどな。そいつらを探すのに、お前が協力してくれると一番手っ取り早い」
「はい、質問」
 手を挙げて、私は彼をじっと見る。如月は質問を聞いてくれるのか、口を閉ざした。
「まず一つ、時神ってそもそも神でしょ? まず時神の存在自体意味不明なんだけど」
「これは別に知らなくてもいいんじゃねぇのか?」
「私に訊くな」
 私は如月の全てを知らない。事実も知らない。なのに訊かれても困る。
 ぎゅっと眉を寄せると、相当面白い顔だったのか如月は吹きだした。それから、必死に笑いを押し戻して、真剣な顔になる。
「時神は、ぶっちゃけて言えば十二ヶ月そのものの神だ」
 十二ヶ月。一から十二までの、日本の月。時の一部。
つまり、それらの神が時神。
前日のように心を読んだのだろう、如月は神妙な顔で頷く。
「十二の月を、一月ずつ俺達時神が管理するんだ。古代日本から現代までの全ての季(とき)は俺達がいるからこそ動いてる。後は……歴史を記していく役割もあるな」
「かなり重要、ね」
「ああ、重要だ。重要だからこそ、いないのは困るだろ」
 だからこそ、仲間を探すことが彼の役目。
それを手伝うのが、私の、彼に対しての助け。
「でもどうして私なの。視えるから? それとも私が偶々そこにいたから?」
「……完結に言ったら全部当たりだな。難しく言うと、多分お前が、一番非現実を信じたからだ」
 意味がわからない。
 首を傾げると、如月は「後々わかる」と軽く笑った。
「とにかく。お前はただ時神探しに手伝ってくれればいい。全員見つかったらそん時は恩返しでもなんでもして、俺は出て行く。長い話じゃない。いいだろ?」
 私は手伝うだけ。嗚呼、簡単じゃないか。
 納得すると同時に、私はふっと笑っていた。
「うん、じゃあダメ」
「は?」
 私は、縁側の外に足をつき立ち上がる。砂利と砂が足の裏についたが気にしない。
「私、後払いは好きじゃないから」
 くるりと振り返ると、如月の怪訝そうな表情に思わず笑えた。
「ねえ、こういうのはどう? 私は如月の時神探しを手伝う。如月は、『人ならざる者』から私を護る」
 昨日のように、また襲われないとは限らない。二度あることは三度あるのだ。今まではそうじゃなかったからと言って、明日ないとは限らない。
 それに手伝うだけなんていうのもつまらない。なら、利用できるだけ利用するのみ。
「……性根腐ってるように聞こえるぞ、お前の腹ん中」
「気のせいじゃない? これで対等になるからいいでしょ」
 手を差し出せば、如月はすぐに手をとってくれた。にやりとお互い笑みを刻んで、頷く。
 交渉は成立。
 さあ、これから。私の非現実はエスカレート。更に深く、深く、『人ならざる者』に関わるだろう。


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