風景

 2

 産まれた時から、私にはありとあらゆる『人ならざる者』が視えていた。
 それらは、例えば俗に言う妖怪らしきものであったり。はてまた木魂≠フような精霊や妖精であったり。時には神のような存在まで可視できた。
 本当なら普通の人間にも視える、動物や植物もまた『人ならざる者』だとは思うけど。私が見える世界の者とあれらは違う。
 『人ならざる者』を視えることが当たり前の私と、視えないことが当たり前の他人。その他人の比率が上で、その他人が常識ならば。
 私は異常。列記とした異常者だ。
 そう。異常者だ―――だけど異常者にだって、越えられない壁はあると思う。
「潤ちゃーん、生きてる?」
 眼前でひのえの手がふらふらと揺れている。私はその手を勢いよく掴んで。上を見上げた。無反応だった私が突然手を掴んだ事により、ひのえは固まっていたが、同じように上を見上げる。
 きっと、ひのえには青い空と雲以外何も見えないだろう。けれど、私には満開の桜と大きな枝葉しか視えない。
「何かある?」
「……何も」
 嘘を返して、ゆっくりと視線を降ろし樹の幹を直視する。大きく太い幹は、大人が手を繋いで囲むにしても、三人は必要だろう。
 今日、校舎の裏庭に突然現れたこの樹もまた、『人ならざる者』。
 本来の私なら視えたところで無視するし、彼らは滅多やたら人に害を加える存在じゃないと認知しているから心配なんて一つもない。
 だが、この樹は私のテリトリーである学校に現れた。今までにこんな事は一度たりともなかった。『人ならざる者』は見えようが見えまいが、『生きとし生けるもの』に干渉してこないしできるはずがない。私も、干渉されない限り干渉しなかった。向こうから接触してくるなんて――――初めてだ。
 食い入るように私が樹を視ていると、ひのえは私の視線の先を見やって、握っている手を小さく引っ張った。
「ねえ、結局日直の仕事は他の人がやってくれてたんだし……早く帰ろ? 何もないんでんしょ?」
 はっとなってひのえの顔を見れば、困惑の表情を彩っている。
 ひのえは優しいし、誰とでも気が合う。驚くほど人と接する事が上手いしそのおかげでこうして私とも親友になってくれている。故に、彼女は騙されたふりをしてくれているんだ。唇を噛んで、私はひのえに呟く。
「ごめん」
 ひのえは『人ならざる者』が視えない、普通の少女だ。でも、私が何か視えることには薄々気づいているんだろう。私もひのえも。それぐらい分かる仲だから。
「先、帰ってていいよ」
 ひのえは困惑から、一気に哀しそうな表情になった。
「そっか。やっぱり用事があるんだね?」
 うん。
 震える喉を抑えて頷くと、ひのえは一瞬前と打って変わって柔らかく微笑んだ。
 整いすぎたその顔で微笑まれると、居心地が中々に悪い。けれど、見惚れる笑みとしては間違いない。目を逸らすことなくもう一度頷くと、彼女も頷く。
「じゃ、頑張ってね!」
 驚いて目を瞬くと、どういう訳か。スキップを踏みながら親友は去っていく。
 彼女は何を頑張れと言ったのだろう。私の用事とやらに、何を察したのだろう。訳がわからない。樹を見据え、ただ動揺しながら私は唇を動かした。
 とにかく、早く樹を片付けてしまおう。
「木魂=v
 しかし、応答がない。足元の地面からも、枝は生えてこない。
「木魂=c…?」
 木魂≠ノは樹を調べることを頼んでいたはずだ。出てきてくれなければ調べようがないし、どうすることもできない。というか、私の声に反応してくれないなんて、これもまた始めてのことだ。彼は呼べばいつでも来てくれるのに。
「木魂=I」
 強く叫ぶと、強風が吹いた。春の季節にしては、凍えるように寒い冷たい風。
 白い花吹雪が鮮やかに舞っていく。
 そして私は、目を瞬かせた。
「え?」
 人が―――居る。
 鮮やかな藍染の着物を身に纏った少年だ。歳は恐らく私と変わらない、十三、四といったところか。彼の白髪の上にある、憤怒の形相の鬼面が目にこびりつく。
 背筋を這った戦慄に直感で私は悟る。彼は、人間じゃない。『人ならざる者』だ。彼は私に気がついたのか、ぼぅっとしていた焦点を私に合わせた。
 次の瞬間、彼は口を開き、私に話しかけてきた。
「お前、誰だ?」
 ―――――――――――話しかけてきた?
 強風は止んでいる。花も、散っていない。いや。そもそも、樹が消えている。彼の後ろにあったはずの樹が……無くなっている。
 何故? 『人ならざる者』は『生きとし生ける者』に干渉できないのに。どうして、桜が消えているの?
「おい、聞いてんのかよ」
 嗚呼、聞こえてる。嫌味なほど、聞こえてる。
 私は深呼吸を繰り返し、彼を真っ直ぐに見つめる。よく見れば、瞳の色は淡い黄緑色をしていた。ふきのとうを連想させられる。
「矢代、潤。通りすがりの人間。あんたは? 名前は?」
 彼は、私の名前に僅かに目を見開くと、ゆっくりと笑んだ。
「如月」
 それだけが、彼の名前らしい。『人ならざる者』に名前なんて期待はしていなかったから驚きだ。人外に名前なんて、必要ないし、必要とする者はないのだ。
 私は名前を知ったついでに、彼に尋ねた。
「どうしてここに居るの? 私に……何か用があった?」
 『人ならざる者』を片付ける。それは消すという意味であったり、立ち退きという意味でもある。できれば彼が人の姿をとっている以上、立ち退きを要請したい。
 異常者としての責務を考える私と違い、如月は皮肉な笑みを浮かべていた。先ほどの穏やかな笑みとは打って変わって違う。
「――――用はねえよ。気がついたらここに居ただけだ」
 喉の奥で、もう一つの質問が飛び出そうになった。
 『人ならざる者』であることは、既に確信している。なら、彼は何なのだろう。精霊? 妖怪? それとも、何? 気が着いたらってどういう事?
 しかし尋ねるということは、つまり。相手に深く干渉する事になる。異常者であれど、私は人を超えるつまりはない。そこだけは、越えられない。
「わかった。じゃあ、用がないならここから出て行って。私はあなたを消したくもないし、関わるつもりもないから」
「それは罪悪感からか?」
 図星の一言に、私は迷わず次の言葉を紡ぐ。
「出て行け」
 そうだ。私は優しさの欠片も持っていない。優しさや情けで『人ならざる者』に関わったりしない。ただそこにあるのは罪悪感だけ。
 自分だけが見えてしまうという、どうしようもない不安と孤独感で彼らを見捨てられないだけ。関わるつもりは微塵もない。けれど、関わってしまう。今のように。
 昔を思い出して、放っておけないから。
 如月は、まるで面白いと言いたげに笑った。出て行けと言ったのに。
「じゃあ、俺が行く宛てもないとして。お前は俺を助けてくれんのか?」
 こいつ―――人の心を読んでる。
 体中の血液が逆流したような感覚がして、眩暈がした。人の心が読める『人ならざる者』はかなり厄介だと。幼少期から私は熟知している。
 ―――そうだ。どうせ、所詮これは冗談。「いいよ、その時は助けてあげる」
 緩やかに、如月が空を見上げた。
「なら、俺を助けてくれるか?」
 ……。
 …………。
「……え?」
 唖然と私は、彼を見つめる。
 如月は空を見上げたまま、静かに目を伏せた。




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