風景

 2

「まさか、あれだけ大事そうにしてるってぇのに何の関係もない、と?」
「…………なるほど。付き合ってるのか聞きたいんだ?」
「まあ? 直球だとそうとも言いますねぇ」
 そうとしか言わない。
 頭痛がしてくる頭を振って、私は頭上を見上げた。丁度いいところに、木々の枝葉の隙間から太陽が覗いていて、強烈な光が目を焼く。目を瞬かせて、私は太陽を見つめた。
 ぼんやりと、白い輪郭は捉えた。けれどその先は、見えない。
「私と神崎は、そんな仲じゃないよ」
 神崎は、オーバーに言うと太陽だ。地上にずっとへばり付いている私からすれば、遠くて遠くて、直視すらできない。直視できても、あまりの遠さと眩しさに、目が痛む。
「あの従弟はね、馬鹿だし単純だし騒がしいし、煩いし。無駄に明るいし……私にとって、あれは太陽」
 でも、過大評価して、言ってるわけじゃなくて。
「そういう、もんだと思ってるの」
 ひのえだって、周りの他人だって。神崎と同じように、私には太陽だと思える。彼らは、当たり前のように、輝くことができる。
 だけど私にはその術がない。化け物だと評価され、異常者だと罵られ。人間として生きるなと責め立てられた過去が在る限り。私は普通の人間になる事を諦めざるをえない。
 いつの間にか立ち止まってしまっていた私に、葉月は小さく相槌を打って、同じ場所で立ち止まってくれた。
「なるほどねぇ……じゃあ大事にしてるってとこはあっしの勘違いですかい」
「それは……」
 大事にしてない、と言えば嘘になる。だって、神崎の家は、あいつ自身は、私を何度も助けてくれて。そんな、暖かい場所を蔑(ないがし)ろになんてできない。
 私は、落ち葉を強く踏みしめた。
 神聖な森の雰囲気に、負けて。泣き出しそうになる。
「葉月、私はね」
 隣にいる彼女の、袴の裾を引っ張る。滲んだ視界は、数回瞬きすれば、元に戻った。それから、涙の消えた視界で、紫の瞳を見据える。アーモンド形の瞳とか、猫みたいな丸い目とか。なんだか親友を思い出して、嬉しくなる。
「神崎は―――私に、沢山の普通≠教えてくれたんだ」
 いつだったか。
 異常≠ナあると自覚した、幼少期から。私は本格的に人を遠ざけて、人を拒んでいた。それでも、神崎だけは、ずっと傍にいてくれた。秘密基地とか初めて採った蝉の抜け殻とか、二人だけで作った雪だるまとか。笑う事とか、泣く事とか。怒る事とか、嬉しい事とか。人の体温とか。全部。
 彼が、私に教えてくれたのは、異常者じゃない自分が、本来は歩めただろう時間。
 ―――本当は、できないはずの友達さえも、教えてくれた。
「だから、大事や大切で区切るよりもちょっと違う。家族みたいなものだよ」
 かけがえのない。それは本当だ。大事にしてる。それも本当だ。でもあえて、それは口にしないよ。
 口にしてしまえば、なんだか安っぽく感じてしまうから。
「……さ、行こう」
 私はまた、歩き出す。葉月は一歩遅れてついてきた。チラリと視線を投げると、それにすら気がつかない様子で、彼女は考え事を始めている。葉月なりに考えがあってのさっきの質問だろうから、聞きはしないけど。
 ふと、彼女の仕草をまじまじと見る。よく見れば、考え事をしながら歩く様は如月とそっくりだ。あれも、腕を組んで考えながら歩くことがある。神だからこそ、長い間一緒にいたら癖も移るのだろうか。
 足元に視線を戻して、私は獣道の向こうを見やった。落ち葉が途中で、道の脇に退けられ、石作りの道が覗いている。どうりで足の感触が変わったと思ったら。
 葉月が背後で、小さく声をあげた。
「そろそろですぜい」
「ああ、うん――」
 何が。
 と、問いかける前に、景色が一転した。瞬き一つで、森林が消える。獣道だったはずの足元は、参道になっていた。踏んでいたはずの落ち葉は、枯れた茶色い何かに変わっている。圧迫感のある広大な本殿が、参道の奥に鎮座していた。
 変わる、というよりも画面が切り替わったといえばいいのか。世界に置いていかれたような錯覚を持ってしまう。
 乾いた茶色い物体を避けて歩いていくと、本殿が絢爛豪華な造りになっていることに気づいた。垂れ下がる重そうな金と銀の鈴は、空気まで重たくしている。
「ここは……」
 生臭い腐敗臭が、風に乗って空気を入れ替えた。あまりの臭いに口を閉ざせば、葉月が袴の袖でそっと私の顔を覆った。視界だけは塞がれていない世界で、異変がおこる。
 ―――リンッ
 ――――――ギイイイィッ
『ようやく来たか、小娘』
 鈴が鳴り、本殿の――社の扉が開く。
 浅葱色の衣が、川の水のように煌いて映った。


「竜神は、お前を寄り代――地上に留まるための器にしようとして失敗した」
 小さな溜め池の前で、神崎は息を呑んだ。鱗に今だ覆われている首筋が、僅かに熱くなる。ひのえは涙で赤くなった目を細めて、腕を組んだ。
「失敗した竜神は、次に潤を狙うって思ったんでしょう?」
「ああ。あいつは神崎家の人間を殺そうとしておきながらそれを拒んでやがる。しかも、どうも相手が女子供だとダメらしいな。だから余計に執着して、山神を介して祟った。で、男である神崎家の人間で、子供≠ニいうキーワードが当てはまるお前を、今回は踏ん切りがついたのか襲ったらしい」
 殺したい。けれど、それを止めてしまいたい。ダメだというのに、どうにかしなければならない。その表裏一体な感情は、あまりにも矛盾している。如月は池の中を見つめながら、苦笑した。
「となると、だ。竜神は女であって子供である人間の場合の、神崎家の血縁者を。見つけたどうすると思う?」
「それこそ殺されるじゃない!」
 意義あり、と反論するひのえの拳を押さえつけ、神崎は首を横に振った。如月が言いたかったことは、唯一竜神が苦手とする者だからこそ、殺されないということだ。
「殺してやりたいと思うかもしれない。だけど、殺すまでには至らない、ってことだよな?」
「だな。まあ危険に変わりはねぇし、こんなのただの屁理屈だ。俺が潤を連れて行かせたのは――――葉月の考えを無意識に信じちまったからだろうな」
 自嘲気味に言う彼でさえ、反省している。当然だろう。守ると約束した人間が危ないのだから。それでも春色の瞳は、焦ることなく真っ直ぐだ。
 反省はしていても、後悔は微塵もしていないらしい。
 少女は拳の力を抜く。
「ねえ、時神は、前世の記憶もあるんでしょう。あなた達神は元は生き物だったんだから」
 前世っつうか、生前だけどな。と訂正を入れつつ、如月は頷く。ひのえは顔を伏せた。
「あなたと葉月さんの関係は、何なの?」
「何って、ただの幼馴染だよ。江戸にいた頃知り合った」
 神崎とひのえは葉月の姿を見てはいない。けれど会話から察するに、嘘ではないようだ。一瞬だけぽかんと口を開けてしまったが、徐々に二人は納得せざるをえなくなる。
 昔馴染みの人間を信じてしまう気持ちが理解できないほど、甘ったれた中学生ではない。
 何より、二人にとっての幼馴染は、潤であるようなものだ。つまり、昔馴染みを簡単に信じてしまう如月を糾弾できない程には、二人も子供だという事でもある。
「分かった。葉月さんがもし潤に何かしようものなら、私は原井家全勢力を持って時神を潰す」
 物騒な物言いに神崎は一瞬足が竦んだ。そして今更ながら、彼女は潤の秘密を先に知っていた事に気がついて、妙な不服感に見舞われる。
 つーか原井家全勢力って、お前んちヤクザか何かだったっけ。
「そういえば、如月君は鬼なのに……潤を美味しそうとか思わないの?」
 如月に背を向けて、颯爽と歩き出した彼女は顔だけ振り向く。探るような目つきはさすが祓いを家業とする人間だ。つい先ほどまで彼を糾弾していたとは思えない。
 お手上げと言いたげに如月は肩を竦める。
「生憎と、俺は完全な鬼じゃなかったからな。元のカタチは人間だ」
 鬼面が、僅かに傾いだ。少年少女は、目を丸くして彼を見る。にやりと如月は笑って、背を向けた。
 季節外れの桜の花弁が、吹雪となって視界を覆う。青い着物姿は遠ざかっていった。ひのえは目を凝らして、目を擦って、如月の後姿を凝視する。
「ひのえー? そろそろ戻ろうぜー」
 神崎は金色の目を瞬かせ、花吹雪を不思議そうに見つつ、歩き出している。どうやら彼にとって花吹雪はぽかんと見る意外の何物でもないようだ。
「あ、うん」
 鬼の面を被った少年とは、逆方向へ。二人は歩き出した。

 今の、気のせい、かな?
 ―――如月君の髪、黒くなったように見えたけど。

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