風景

 2

 時代が変わるにつれて人も変わるってこった――土地も考えも、迫害された存在も。時が経てば扱われ方は変わる

 竜神は彼を眺めながら、憮然とした態度で続けた。
『何が違う? 結局どこへ行こうと、お前は疎まれる。失くした腕を手に入れたところで、変わってはいないな』
「っ……」
 如月の声にならない苦しみに、グッと私は拳を握る。
 迫害、された存在も。
『お前だからこそ分かるだろう、我が行動を起こした理由も。この時期なのも』
 ただ何を言うでもなく、如月は黙っている。それでも背中は痛いほど語ってきた。今、その話はするなと。振り切れた感情が、溢れてる。
 苦しくて、痛くて、どうしようもない。
 ああ、もう。馬鹿だこいつは。
 馬鹿すぎて。私まで馬鹿になりそうだ。
『分かったならこの汚い街でも見捨ててさっさと自分の役目を見直すことだ。それが時神の義務だろう―――――――――小娘、何のつもりだ』
 驚いたような視線を背中に受け、あまつ目の前で睨まれる。だけど、私は広げた両手を下ろさない。下ろすつもりがない。如月の背中越しではなく。自分のちゃんとした視界の中で、敵を敵と認識する。
『今度は小娘が、時神を庇うのか?』
 低い声は、やっぱりゾッとする。
 恐ろしいという恐怖に、指先が震えた。それでも私の口はさすが異常者の口。簡単に引く事は、ない。
「勘違いなんて止めてよ。そんな自己満足に他ならない行為なんて、誰がするか」
 飛び出る言葉は、やはり普通なんてものじゃないんだろう。ポケットの中で、神無月が飛び跳ね、ひのえが笑う声が聞こえた。おかげで意識を持ってかれて突っ立ってる神崎をふっ飛ばしたくなってくる余裕が出た。
『……意味が分からないな。お前の考えは。我に腹を立てたのではないのか』
 竜神の鋭さは興味に掻き消され、もはや恐ろしいという概念さえ離れた私は、笑んだ。
 確かに腹が立つだろう。普通ならば。目の前で知り合いが貶されれば怒るだろう。喚くだろう。糾弾しようとするだろう。
 そしてそれは、本人にも権利がある。そしてそれは、他者には関係ない事と同義だ。
「私はただ―――――――――――――如月に腹が立つだけだよ」
 言い返せばいいものを。聞いてるこっちが、苛々する。言い返せるのは所詮自分しかいないのに。それができなければただのグズだ。
 他人の誰かに口を挟むことはしない。目の前で誰が困ろうと、私はエゴで中途半端に手を伸ばす程度。
 だから私はそれ以外、何も言わない。
 パンッ パンッ
 竜神は笑った。手を叩く音が、木霊する。
『成る程、な』
 笑っていた顔が、瞬時に憎悪で埋まった。果てしない飢えと殺意が体と精神を射抜く。広げた手がすべり落ちそうな錯覚だ。
 だけど、私は、黙っていられるほど幼稚なつもりはなくて。だから、
『小娘が笑わせる。何も知らない人間如きがっ!!』
「――――っお前こそふざけるな!!」
 遮り、声を力の限り出す。腹の底から出した音は叫びにも近い。見開かれた目を見返して、呼吸を整える。
 負けて堪るもんか。
 神崎の家を壊して、神崎にとりついて、街を切り捨てて。ここはこいつの独壇場でもない。神なら何でもしていいと言うのなら、人は歯向かう事をすればいい。
 誰がいつ、人に拒否権がないと言った。
「神は人を超えてこそ神。所詮、人は神を尊敬し畏怖するだけの愚図。だけど、もしそうなら、転じて言うなら、人は神に歯向かってこその愚図なんでしょう?」
 ギリッと奥歯を噛み締めて、竜神は囁いた。
『そいつは、鬼子だぞ』
 それでも、同じ台詞が吐けるか?
 零された真実は、重たい。思わず壮絶な想いが込み上げきて、俯いた。
 勝ち誇ったような顔で竜神は微笑んでいるに違いない。視界に捉えなくても分かる。顔を上げないまま私は溜息を吐いた。
 鬼子は、人ならざる者。故に、私とは相容れられない。普通の鬼ならば、いとも容易く私は喰われる。つまり如月は、私にとって危ない存在でもあって―――限りなく。私を襲う可能性が見込めない、馬鹿神だろう。
 本当に、神と言うのはどいつもこいつも馬鹿馬鹿しい。
「だからなんだっていうの?」
 薄々分かっていた。きっと、本能で分かっていた。
 だから、驚く事でもなければ。足掻く事でもなく。何を言うまでもない。
 だからなんだ。
 ただそれだけのことだ。
「……ぷ」
 断言して振り向けば、驚愕の表情の如月がいて。ひのえは腹を抱えて笑っていた。竜神も神無月も黙っている中、ひのえの爆笑は奇違いに見える。
 壮絶な想いが。怒りが、微かに柔らいだ。
「あは、あはははははは! 潤なら私のヒントで気づくとは思ってたけど、あー間抜け面だね如月君! してやったり大成功!! 竜神ざまあ!」
「なっ……原井! 手前が教えたのか!」
「違う。私が気づいただけ」
 見る者によっては狂った人間のように捉われてもおかしくはない友人の声。それから如月のやっとの言葉をオプションに、私は放心状態の竜神に肩を竦めた。
 化け狸は言った。鬼子に会ったせいで邪気に触れ、『人ならざる者』が襲って来れるようになったと。あの言葉は、思い返せばついこの間も思った事だ。私は、如月に会ったから襲われる様になった。
 つまり彼が鬼子であるからこそ。私は彼の邪気により耐性がついて、襲われやすくなった。
 私の考えは見事竜神の言葉で確信に変わったんだ。
「どう? 分かった?」
 今さら神が鬼だろうが精霊が神だろうがもうどうでも良くなって来ているのだ。私は誰かへの認識が変わっても、その誰かの存在を根本から否定する事はしない。
 竜神は、放心から開放されて、冷静な顔に戻る。
 金色の視線は、私から逸らされていた。
『…………………気に食わん』
 ひのえの笑い声が不自然なほどピタリと止む。如月と私の視線を受けて、竜神は浅葱色を翻した。
 冷たい瞳は、もう恐くはない。
『今日のところは引き下がろう。時神三人に祓い屋も揃った以上、ここで戦おうが今の我に勝ち目はない』
 竜神の手が、神崎の方へと伸びて。手は何も掴むことなく空気を掴むだけとなった。
 巨大な白い鳥が、神崎の襟首を引っ張り引きずった。羽毛に埋もれた黒い瞳は、ビー玉よりも大きい。
『祓い屋、貴様』
 憎憎しげに呟く竜神は、動揺している。その隙をついて私は神崎の方へ走った。鈍い音が立ち、神崎の体が横たわる。
「言っておくけど、神崎君はこの街の住人だからね……冗談抜きで護らせてもらうよ? 私の任務はこの街の異常を突き止めて本家へ連絡、後原因除去―――住民を全力で守れ、だからさ?」
 舌打ちする神は、斜め上の天井を見上げた。そこは天井板が一部外れていて。中の闇は、どうしてか蠢いている。私が眉を潜めると、声が聞こえた。
 にゃあ
 鳴き声と共に、闇の正体が落ちる。しなる鞭のように、俊敏な動きで猫は着地した。紫水晶のような目が瞬いている。そして、私を見つめると、後ろの二本足で立ち上がった。
 猫はただ優雅に、一礼してくる。私が驚く隙も、ない。
『行くぞ』
 ひのえが式神を飛ばした瞬間、猫は頷いて、飛んだ。
 天井の中に、黒い姿は消える。同時に、竜神の姿は霧がかかったように掠れ、空気に溶けた。
 後に残された私達は、神崎を見つめることしか、できなかった。


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