風景

 「お手を拝借」

「確かにっ、邪神が呪詛で街を縛ったのは私達の動きを封じるのと、私達が逃げないようにする為なんだろうけど!」
 式神の一種である、人型に切られた紙を指に挟んでひのえは告げる。どうやら式神で調べた結果、呪詛は逆結界と同じような物らしい。
 街に溢れる邪気と人を、外に漏らさないための、結界。
「ああー肩が凝るわぁ、この呪詛」
 さすがに神は、呪詛を受けるのはきついのか。神無月は精霊化して私の横、空中を走っている。滑らかに動く様は背景がただ動いているにすぎないかのようだ。
 普通の人が見たら間違いなく人魂扱いだろう。しかも肩ないし、今。
「いつになったらつくんだよ!」
 曲がり角を曲がって、また曲がって、三人で走る。睦月を置いてきたのは少々心細い。それは皆同じらしく如月が大きく吠えた。
「っていうか、ここさっきも通らなかった?!」
 ひのえはバテて、立ち止まった。息を切らし、私たちも立ち止まる。確かによくよく見れば、同じ所を走っているのは分かった。
 …………いつから?
 如月が刀を抜き、舗装された道へとつきたてる。けど、それは道路に激しい火花を散らしていくだけだった。
 道には穴もなければ傷もない。
「俺達が動いたのが分かったらしいな、道に術をかけやがったのか」
 悔しげにコンクリートの壁を叩く如月。その向こうには住宅が広がっているのに。ヒトの気配が、全くない。
 今まで走っている最中に人とすれ違ったこともなかった。逆に気づけなかった自分が恐ろしい。異常が脳と体を支配していく。
 浸透するのは常識じゃない。
「っ……神崎」
 風が吹く。
 揺らめく木々の陰や、街が、神崎を飲み込むみたいだ。
 すぐ近くまで来ているのに。もしかしたら神崎が危ないのに。あの、笑顔が消えてしまうのが、恐くなってくる。
「くそっ……」
 なーお
 はっと顔を上げる。脳に、何かの鳴き声が直接響いてきた気がして。
 もう一度耳を澄ますと、はっきりとその声が聞こえた。
 なーん
「……っこっち!」
 視界の端に見えたビルとビルの隙間、暗い路地裏へと直感で走り寄る。後ろから三人の声と足音が続いた。
「どうしたの?」
「声が――猫の、鳴き声がした!!」
 にゃーお
 やっぱり、鳴き声がする。奥から感じる視線は猫のものだろうか。目を凝らせば、二つの紫色の目と、黒い影――黒猫を見つけた。
 黒猫は、やがて私に踵を返し、更なる奥へと走っていく。隣にいた如月がさっきとは打って変わって嬉しそうな声をあげた。
「はっ、どうやら招待はしてくるらしいな。ご主人様と違って随分と紳士な奴だぜ」
 竜神が主、と決まった訳ではないと思うけど。
 神無月を呼び寄せて、その小さな姿を引っ掴みポケットに突っ込む。悲鳴が聞こえたが無視だ。はぐれても困る。目で合図して、一斉に三人で路地裏を通った。
 暗くじっとりとした空気はそう長く続かず、走馬灯のように通り過ぎ、すぐに外へ抜け出せた。
 そして、抜け出せた先がまさかの神崎家の前で、思わず驚嘆してしまった。
 黒猫は優雅に歩き、開け放たれた玄関の中に入っていった。

 やっぱり、ただの猫じゃなった。

 感心と確信に息をつき、肺に入り込む空気に顔をしかめる。胸に在る焦燥感は、酷さを増した。
「うわー、入りたくない……」
 ひのえの言葉は最もだ。扉の中から漏れる邪気が酷すぎる。如月は平然とした顔で、鬼面に触れながら呟いた。
「こりゃ人間にはきついだろうな。神無月は無理なら帰れよ、お前時神の中で二番目に神力がでかいだろ」
 沈黙したまま神無月は私のポケットにいる。喋るのもままならないようね、と肩を竦めればひのえは文句を零した。
「歩かないだけマシなくせに」
 それもそれでごもっともだ。
 納得していると、如月はさっさと神崎家に入っていく。如月には邪気が効かないのか、心底不思議だと思いつつ私とひのえも後に続いた。家に近づくだけで体が見えない黒煙に包まれているように硬直し、行き詰る。
 玄関は、いつも通りだった。靴は二人分置いてある。綺麗に並べられたそれらは今の状況には不釣合いだ。ひのえが隅々まで家の様子を観察しつつ、靴を脱ぎ捨てる。
「御邪魔しま」
 ギシッ
 山神の時よりも酷い、何かがいる濃密な気配がした。
『場所取り』の存在さえ今はいないように感じるのに、寒気が走る。粘つくような、静かな視線と、それでいてこちらを殺す機会を狙うような無機質な気配。空気そのものが蛇みたいだ。
「おい、原井」
「ん? なぁに?」
 如月が、廊下の途中でしゃがみ込んでいる。背中を向けられたままだが、ひのえは返事を返して近づいた。私はそれを見ながら彼女の靴を揃えた。
 ひのえの顔から血の気が引いていった。
「う、そ……神崎?」
 その一言に、急いで二人の傍に行く。視界の隅に、投げ出された四肢が確認できた。
「……………………………あ」
 ひのえの言う通り、神崎はいた。けれど、彼の頬から首までがびっしりと鱗に覆われている。
 蛇、もしくは竜を思わせる、白い鱗。
 きっと、服の下に隠れた部位も覆われているだろう。
「今は意識を失ってるな。襲われた拍子に何かされたんだろ」
 どうして、こんな事を。
 ぎゅっと拳を握ると、幻聴が聞こえた。この間この家にやってきた時の、自分の言葉だ。
 在りえない、話ではない。
「つぅ……」
 呻き声だ。神崎が、薄らと目を開いている。体が痛むのか、苦痛に顔が歪んでいた。私は瞬時に察知する。
 神崎の目がいつもと違う。日本人特有だったはずの黒い瞳は細長く、色は金に。鈍い光を放っている。如月はとうに分かりきっていたように、同様もなく私達をそっと背後に庇って、距離をとった。
「普通、人嫌いが人に憑くかよ」
 青い鬼面は、笑っていた。しかし、言葉を吐き捨てる彼は笑っていない。
 何が起こっているのか分かっていないように、神崎は首を傾げて如月を見ていた。唾が乾いた喉を遠っていく。隣で親友は、正方形の紙を取り出した。おそらく式神だろう。
 まだ鱗の生えていない手をついて、神崎は起き上がる。
「誰だ?」
 はっきりと、金色の目は、如月を捉えて。そう言った。これはもう、どう否定しようと神埼には『人ならざる者』が見えているとしか言えない。
 神埼は、視えている。
「視界を共有したって事は、完全に同一化を狙ってるのか?」
 如月は、神崎の質問には応えずに刀を抜く。
 狭い廊下で刀は振るわれることもなく、切っ先を神崎に向けていた。銀色の煌きが眼前迫った瞬間、神崎の目は見開かれる。
「応えろよ、竜神」
 刹那、神崎の背後に白い影ができた。ぼぅっと浮かび上がる様は幽霊じみている。けれど今回は、霊より性質が悪いだろう。神崎の目から徐々に光が消えて、表情が滑り落ちていく。表情が完全に抜け落ちた瞬間、白い影の輪郭がはっきりとした。
 竜神は、冷ややかな笑みを浮かべ、やっと現れた。
 白い頬に張り付いている鱗が、表情筋に沿って動く。銀色の髪は如月の髪とまた違った輝きを放っていて。浅葱色の衣は装飾の施された着物とはまた違う美しさ。現実離れした二人の容姿が、重苦しい空気で唯一存在を保っているように見える。
 けれど。白と銀が退治する様は、どこか不釣合いだ。
『やはり邪魔をするか』
 蛇に睨まれた蛙とは、まさにこの事かもしれない。首が竦みかけ、私はぐっと両腕を抱く。冷たい水底を思わせる竜神の目は、金色に光っている。
「まあな。で、どうなんだ? そいつの体を乗っ取るつもりならこっちも遠慮はしねぇぞ」
 対する黄緑の目は、愉快そうに笑っていた。面白くなさそうに竜神は纏っていた雰囲気を鋭くさせていく。
『愚問。元よりそのつもりだというのは分かっていただろう』
 布擦れの音と同時に、静かに竜神は神崎の前に立った。浅葱の衣は、暗い廊下に浮き、波打つ。
『それよりも、何故この小僧を庇うのか。貴様の気がしれんな』
「それは御互い様だろ? 散々この街に邪気を流して何がしたいってんだ」
 ひのえが、すっと目を細めたのが分かった。竜神はひのえの様子に気がついたのか、ひのえに視線をやった。そして、小さく鼻で笑い、視線を如月に戻した。
『あれは我の邪気ではない。今までこの土地に溜まっていた邪気を開放してやったまでだ――――邪気はもとより貴様ら、いや、ひいてはお前の存在のせいではないか』
 静寂が、生まれた。如月は、目を見開いて硬直する―――暫くすると、腕をおろした。
 刀も当然、下ろされる。
「っ違う」
『どこが違う』
 らしくもない動揺だ。私は眉を潜めて、つい最近の言葉を思い出す。


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