風景

 「たたれた逃げ道」

「っな、何故神無月(かんなづき)がここにいるのですか?!」
 ――――――は?
 神無月は糸目を少し開けた。落ち着いた茜色に反して、彼は赤い舌をべろりと出した。掻いていた冷や汗は嘘のようになくなっている。
「まあこっちも、そちらさんと同じって事」
 ちぃっとばかり事情があってね。
 木魂=\――神無月―――は大きな欠伸をして、睦月の肩を掴みそっと押し退けた。私たちを置いて、階段を軽い足取りで下りていく。
「本当は、如月にバレただけならずっと神木の精霊と一体化してても良かったんやわ」
 タンッ
「騙しとって悪かったな、堪忍」
 振り向いた神無月は、私の知る木魂≠サのもので。優しい笑顔は最後に人として会ったときとなんら変わらない。
 当時も今も、まさかこんな身近な所に時神がいたなんて夢にも思わなかった。
「それで、何で騙してた?」
 三人で最後の段を降りながら、私は如月の問いに耳を傾ける。睦月も聡明な眼差しで、黙したまま目だけで尋ねていた。神無月は両方の知り合いに質問されて、困ったような笑みを浮かべる。
 そして、私の頬に触れた。
「潤は、神無月がどの月かわかりゃあす?」
 唐突な言葉に戸惑いながら、記憶の片隅から家にあった文献の内容を思い出す。如月の正体を知ったあの番、こっそり日本の和月名称を調べたから答えは知っている。
 神無月の無≠ヘ昔の呼び方での=B神無月は――神の、月。
「十、月」
 ぽつりと言葉を零せば、指で丸印を描いて、満足そうに頷く神無月。彼は話を戻した。
「ほんで。何で俺が木の精霊のふりしとりゃなあかんかったんか、の話しやけど」
 
「じゅーん!」
 
 鳥居の向こうに見える道の果てで、小さな人影が大声を張り上げた。
「……………こ、じゃなかった神無月。さっきの話通り、詳しい事は家に帰ってからね」
 時神三人は、物凄く嫌そうな顔をしていた。


「一体どうして遭難したんだね!?」
 担任教師の声に、私はすみませんと呟く。嫌でも集まる視線はどれも嫌悪と困惑ばかりで居心地が悪い。尚も教師の声が響く。
「とにかく、ご家族の方も心配されただろう。早く自分のクラスに戻りなさい」
「はぁ」
 さぞかし嫌な顔をしていたんだろう。私の顔を見るなり、担任教師はまた口を開きそうになっていた。怒鳴り声が出る前に、私は早々と集合場所へと駆け出す。
 体操座りで黙想したままの生徒もいれば、普通に顔をあげている生徒もいて。クラスごとに列で並んで座っている様は不自然なパズルのピースを眺める気分だ。兎のように飛び跳ねているひのえが居なければ絶対にどこに座ればいいか分からなかっただろう。
「こっちこっち!」
 ひのえの目の前、彼女に指された場所に座り、ようやく息をついた。
 今日は本当に災難だ。これから、バスの中できっとクラスメイトから陰口か罵りが聞こえるに違いない。およそ一時間近く、私のせいで足止めを食らったのだから。
「見つけるの苦労したよ? 何ではぐれたの?」
「ごめん。狸がしつこくて」
 狸という単語にひのえは首を傾げる。私だって傾げたい。
 遠くで先生達が挨拶をし、皆は荷物を持って立ち上がり始めた。移動だろう。ひのえと私も荷物を持ってバスへと向かう。

『全てにおいて霊力、神力、心力が強いお前はもはや人間じゃあない。今や妖怪問わず、貴様を喰らえば永遠に生きられるとさえと謳われている』

『今の貴様は、確実にしとめ易いからな。今まではお前の意志で邪神すら吹っ飛んだだろう。しかしどうだ。お前は鬼子(おにご)と会って大分邪気に慣れているではないか。もはやどの人ならざる者から見てもお前の力は体に浸みやすい』

 バスに乗り込み、ひのえと同じ席に着いて、思い出すのは狸の言葉。
 霊力、神力、心力が強い。そして、鬼子。この意味が、あまりよく分からない。強いというのは、私が特殊だという意味で分かる。異端で異常な存在、そんなの昔から熟知しているのだ。だだ、鬼子、は。
「ひのえ、鬼子って何?」
「え? えぇ!? 何、急に?」
 持っていた水筒の蓋を落としそうになりながら、挙動不審な様子でひのえは慌てる。大げさともとれる反応に眉を潜めた。
「もしかして鬼子って、やばい?」
「う、うーん? やばいって言うかぁ……えっとね」
 彼女は手を顎にやって、暫く考え込むとポケットから紙とペンを取り出した。山神の時もそうだったけど、毎回常備しているのかな。
 ペンはくるくると持ち主の望む通り、動きまわる。
「っとね、まず妖怪は色々と階級と種類があるの」
 ひのえ曰く、妖怪はまず古くからいる化け物、人が語りだした嘘≠フ実体化、情念による妖怪化、などで成り立つらしい。
「階級は雑魚、初級、中級、上級ね? あ、階級別けできない特殊なものもあるけどさ? 強さによって分けられる感じかな?」
 丸で囲まれた四つの階級。雑魚、というのがかなり可哀想に映る。しかしひのえは気にする素振りもなくあどけない純粋な笑顔でさらに話した。
「さっき言った鬼子っていうのは、文字通り鬼の子。その鬼によって階級も種類もばらばらだけど一つ言えるのは―――危険」
 子供の鬼は、何をするか分からない。陰陽師としてそれなりに名をもつ原井家でも、雑魚の鬼には手こずるのよ。
 過去の経験らしく、淡々とした目には、いつもの純真無垢な色はなかった。
「でも、急に何で鬼の話?」
「実は……狸が」
 言われた言葉をそのままに、ひのえに伝える。彼女は真剣な顔で聞き、後半では目を鋭く細めた。

「なるほど? ようは、潤の力が『人ならざる者』に接触されやすくなったのは、狸ちゃんのいう鬼子に接触したせいなんだ?」
「うん……」
 知らないうちに接触した、誰か。それはもしかしたら人間の振りでもしているのか。或いは、もっと別の何か、か。
「その鬼子さえも私を食べようと思った時、私はどうすればいいのかな」
「そうだねぇ――私が一番気になるのは、その鬼子が誰って言うより潤が食べられやすくなった事なんだけど」
 縛った茶髪を揺らすひのえは、どこか淋しそうな笑み。そして、腰を浮かせて後部座席を振り返った。
「ねー神崎君、明後日潤の家泊まらない?」
「お、いいじゃん。泊まろーぜ!」
 直ぐに帰ってきた返事に、噴出しそうになる。初めて気がついたと勘付いたのか、ひのえは神崎を哀れと目で語る。そんな私達に気がつかず神崎は声を張り上げた。
「オレ、今日親に聞いとく!」
 聞かなくていいのに。大体神崎の両親は今忙しいだろう。
 祟りのおかげであの家の女性は全て倒れたのだから。しかも突然泊まりたいなんて言い出したひのえの気が知れない。この歳で女の子ならまだしも、男の子を泊まらせるのは誰だって抵抗があるのに。大体なんで話を逸らしたのか。
 ………女性、だけ?
「あれ、神崎の家って……何で女性ばっかり倒れたんだっけ」
「さー。祟った奴とかが女に恨みがあるんじゃねえの? それこそなんだっけ……邪神とかが?」
「竜神っていう可能性もあるよねー」
 深く考えていないような気軽な返事に、胸の中がざわざと揺れる。
 ――分からない。何だか、今日のことも、この間の事も、全部一連の事が繋がってる気がする。
「……嫌な予感」
 胸騒ぎが、止まらない。


 とんとん、とんとん
 小刻みに響く音に、耳を澄ましながら、白髪の少年は視線を虚空へ投げている。ふきのとう色の黄色い瞳は、何も映していない。
 不意に、如月の隣に神無月が腰かけた。
「おうおう兄ちゃん、酒のみゃあせん?」
 神無月の手には日本酒の瓶が握られている。独特な訛り言葉に合わせて、ちゃぽんと酒が音をたてた。呆れたように、如月は視線を彼へとやる。
「お前なぁ、いい加減方言を一定に絞れよ」
「全国一周旅行者は舐めたらあかんぜよ。生チョコならぬ生伊能忠敬!」
 あーはいはい。
 諦めた如月は、日本酒がグラスに注がれる様をじっと眺める。ふと脳裏を過ぎったのは、睦月の流水のような怒りの声だ。
「明るいうちから飲むと怒られっぞ」
 時計に目をやれば今は午後四時。もうすぐで潤も帰ってくる頃合だ。まだ酒を飲むにしては早すぎるというのに、神無月は笑っている。
「久々に会ったんやけ、いいやろ」
「……それもそうか」
 あえて今の自分の姿が未成年だということを忘れて、如月はグラスに手を伸ばした。確かに久し振りに会った仲間と、酒で戯れるのも悪くはない。しかし。
 ドクンッ


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