風景

 2

「ねえ、最期なんだから質問させてもらうけど。どうして私を狙うの? 最近やたらとあなた達みたいな存在に追われているんだけど」
 最期なんだから。その一言に諦め混ぜて、哀愁のあるような瞳になるよう、目に涙を溜める。演技は得意ではないけど、頑張るしかない。
『……ふむ。では教えてやろう。最期だから、な』
 狸は私が絶望していると思ったのか、快くこの現状に満足し、口を開いた。効果はあったようだ。ざまあ化け狸。
『社の人間であるお前の心は信仰心が強く、お前の目は霊を視、体は精霊を敏感に感じ取る。普通の人間と、人ならざる者の境界線に位置しているお前は喰らえば永遠に生きられると、多くの者に謳われているのだ。血肉は極上の味がし、人間によって住処を減らされつつある弱った我々でも仕留めやすいとな』
 私を喰えば永遠に生き延びる。なるほど、理由としては納得がいく。確かに私は普通ではないからその分『人ならざる者』に近く、美味いのかもしれない。
 加えて、やはり妖怪にも寿命があるということだろうから……あるいは殺される、滅せられる心配がなくなるのか。
「わかった。じゃあ最後の質問、今まではどうして襲わなかった?」
 どちらにせよ、自分が喰われるのは嫌だ。私が自然と話を引き伸ばしているのにも関わらず、化け狸は余裕たっぷりに応えてくる。
 獲物を絶対に逃さない、自信があるんだろう。
『今の貴様は、先ほども言ったが確実にしとめ易いのだ。精霊の力に浸りすぎていた前までのお前なら、お前自身の意志で容易く邪神すら吹っ飛んだだろう。しかしどうだ。お前は鬼子(おにご)と会って大分邪気に慣れているではないか。もはやどの人ならざる者から見てもお前の力は我らの体に浸みやすく、弱い』
「……鬼子?」
 鬼の、子供?
 私は首を傾げる。そんなものに、会った覚えはないはずだ。私がここ最近密接に関わっているのは、時神や山神……もしかして山神のこと?
 でも、あれは鬼ではないはずだ。
『では頂くぞ!』
 え。ここはせめて、悠長に言葉を言った後で狩るものじゃないのか。どうして発言の前に爪が伸びてきてるんだ、この化け狸。
 いや、というか死ぬ。
「私、後何回殺されかければいいんだろう」
 呟きながら、自分でも意外と冷静にしゃがみ込む。危機一髪、頭上を掠めた爪は、土壁にめり込んだ。
 安堵の息をついて立ち上がった刹那、妙な音が聞こえる。
 メキメキッ ……ぐいぐい
 ぐいっ ぐいーっ ……ぐぐぐぐっ
『っ!? ぬけ、ない、だと!?』
「何かっこつけてるの」
 馬鹿だこの狸。神崎以上に馬鹿だ。
 奮闘する狸の脇をすり抜け、私はまた走り出した。もう目指すは空間の歪みしかないだろう。馬鹿の相手をしたって碌なことはない。
『ああ、待て! ちょ、待ってってお願いだから!! 抜けない、いやマジで抜けないのマジこれどーなってんのもう!! ちょー怖いんですけど!』
「女子高生か!」
 思わず突っ込んで、それでも足は止めない。何なのこの山。やたら現代的な妖怪とか変なのしかいないじゃない。
 ズボッ
『抜けたああああああああ! 待てええええええええええええ!』
 もう哀れになってきた。この狸、絶対崖から足踏み外して死ぬタイプだ。私じゃなくても分かる。
 段々と距離を追い詰められ、私は空間の歪みに手を伸ばした。
 その手を見慣れた手が掴む。
「っ如月!?」
 藍色の鬼面が、如月の返事の代わりをするように揺れ動いた。揺れる藍色の着物に、ふきのとう色の瞳に体の緊張が解ける。
 如月は呆れたような、困ったような顔で化け狸を見た。
「何でまた襲われてんだよ、あの女はどうした?」
「……ひのえとは逸れた、っ」
 刹那、狸の爪が颯爽と振り上げられる。真横で「げっ」と呻いた如月は私の体を持ち上げて慌てて走り出した。
 処遇、御姫様抱っこ。
「………………ねえ、もっと別の持ち方ないの?」
「んなもん知るか! 俺だってお前なんか持っていきたくねぇよ!!」
 帰ったら一発殴ろう。
 拳を固めて、チラリと如月の背後に視線をやる。狸は如月の鬼面よりも恐ろしい憤怒の形相になっている。俗に言う少女マンガの一場面的私たちの状況には、似合わない。
 視線を前に戻すと、道はどこまでも続いていた。
 どこまで走るのだろう。ふと、違和感に気づいた。明らかに今までになかったものが増えている。
 神社の前に聳え立つ、私にとっては日常的な砦が、道の先にできている。
「潤、とにかく入るぞ!」
 心を読んだのか、如月は鳥居を目指して一直線に駆ける。くぐもった濁りのある声が森を貫いた。
『待てええええええええええええええええええっ』
 足元に巨大な影ができる。はっとなって頭上を見上げると、狸が太陽を隠していた。恐らく跳んだのだろう。思い切ってセーラー服のポケットから植物の葉を取り出す。褪せた緑に躊躇わず、それを口に押し込んだ。
 異物が通った喉は、微かに熱を帯びる。深く息を吸い込み、溜まった熱を、炎を吐き出すように叫ぶ。
「木魂=I!」
 激しい音をたてて地面から巨大な幹が数十と生える。先端が鋭く針のような形状の木魂≠ヘ、落ちてくる狸を絡めとった。
 見届けると同時に、如月と私は鳥居を潜る。振り返った如月は事の有様にぽかんと口を開いた。それもそのはず。狸はもはや、タコの触手に捕らえられた獲物と化している。
「やっつけたよー、姫さん」
 異様な光景を背に、懐かしい姿が、ゆっくりと私の方へ歩いて来た。
「……ありがとう、木魂=v
 にっと彼は笑う。頬に彫られた木の紋様が微かに光る。人間の大人の姿をした木霊≠見るのは何年ぶりだろうか。こげ茶色の髪や、極限まで細くなっている糸目に懐かしさを感じる。
 如月は、木魂の表情を見るなり遠い顔をした。
「まさか手前が化けてたとはな」
「おーい、久々に会ってその反応はなかっちゃない?」
「うっせ。この化け樹が」
「鬼面被った如月には言われたくないんやけどなぁ」
 悪戯っぽく笑う彼は、元から細い目を、更に細めてみせた。
 何だか話についていけていない気がして、じっと木魂≠見上げると、そっと頭を撫でられた。
「家に帰ってから説明してあげるって」
 ね? と首を傾げた彼は、優しい笑みで。何というか本当にあまり変わっていない。
 遠くで、咆哮が途絶えた気がした。
 

 鳥居から離れ、私たちは直ぐに石段を昇った。そして目に飛び込んできた光景に、息を呑む。
 本来神が祭られていた社はあまりにも悲惨だった。
 屋根の木は腐り、風雨にさらされた扉は黒い。不思議なことに、社の周りの土も黒く、そこには草木が一切生えていないようだ。
「ここは、あの山神の居場所か」
 悲しそうに、ぽつりと如月は呟いた。直ぐに思い当たったのは、あの斧を手にした女児。ここはあの邪神がいた場所。
「じゃあ……あれは」
 あの、焼かれた草木は、扉は、社は。全部あの村人の仕打ちか。
 ――こんな所に、ずっと居たなんて。
「姫さん、手。合わせとこうな」
「……うん」
 三人で、手を合わせて、黙祷する。
 助けてほしいと祈り、手を伸ばした先では利用され、滅された。手に桑や鎌を持ち、泣きながら社に炎を灯す村人。彼らを見る山神もまた、泣いていて。
「ごめんね」
 決して自分に自惚れた訳じゃない。だけど、何も解決できずに、山神は消えてしまった。消してしまった。
 それが、私にとっては辛い。
 こんな形で見つけてしまったのは、酷く悔しい。
「潤」
 そっと目を開ければ、如月は肩を竦めた。
「気に病むなとは言わねぇけどな。お前は山神じゃねぇんだ。そこんとこ忘れんなよ」
 忘れたつもりはない。忘れるつもりもない。
 でも、素直に頷かずにはいられなかった。
「分かってる、よ」
 私が悲しんで同情したところで、意味はない。
「戻ろう。もう化け狸はいないだろうから」
 社に背を向けて、落ち葉を踏みしめる。木魂≠ェ後ろで口笛を吹いた。愉快そうな滑らかな声が耳を通り抜けた。
「つっよいわぁ。流石姫様。大きくなりんしゃったね」
「さっきから姫姫煩いんだけど」
「すいません」
 土下座しそうな勢いで頭を下げて、木魂≠ヘ笑う。
 冷めた目で如月が私の横に並んだ。
「つうかお前遠足だったんだろ。お得意の誤魔化しはどうすんだ」
「……うん、どうしよう。怒られるのは慣れてるけど」
 石段を降りながら、試行錯誤を繰り返す。今思えばここまで学校の行事をサボったのは久々だ。本当にどうしよう。
 今頃ひのえ含めて学校の先生たちは山中を探しているかもしれない。いや、その前に家に連絡か。睦月が電話に出れるのか疑問だけど。
 ふと木魂を見れば陽気に笑っている。撥ねた前髪が寝癖のようだ。
 ……いつもより、長い。
「ねえ木魂=Bそういえば今日は人の姿をとれる時間が長いね」
「あー、それはまあちょっと……色々あんのよ、うん。知人にも会えたんやしね」
「手前なんかと知人なわけあるか」
「……ふーん」
 誤魔化された。木魂≠ノ。
 むっと頬を膨らませて二人を置いて先に神社を出ようかと考える。すると、左右隣が急に立ち止まった。
「どうかしたの?」
 慌てて話しかけるが、見向きもせずに無言。何事だろうか。二人を交互に見ると、どうやら同じ所を見ている。
 ――――まさか狸?
 視線を追っていくと、私の目は神社の鳥井とその真下にいる人影を丸ごと映した。艶やかな黒と、紅白の着物が目を焼く。
 シャランッ
「探しましたよ、お二人方」
 睦月だ。
 手を腰にあて怒る様は、昔見た神崎の母親が息子を叱る状態と酷似している。ただならぬ怒気に、冷や汗が背中を伝った。
「睦月、あのな、これには」
 如月が恐る恐る手をあげた。が、睦月に鋭く睨まれて言葉が遮られる。木魂≠ヘ後ろを振り向き、必死に睦月を見ないようにしていた。
「潤様。学校より連絡がありました。如月を見送って三十分後の事でしたが。……これはどういった理由でしょうか」
 話をふられ、内心慌てそうになりながらぐっと息を吐く。
「これには事情があるの。狸に襲われたり……」
「狸?」
 睦月の露骨すぎる怪訝そうな顔は、初めて見た。初めてすぎてむしろそれだけ怒らせたのだと分かる。しかもその矛先はほぼ私に向いているようだ。
 彼女は、やがて考えるように頬に手をあて―――意を決したように石段を上がってくる。
「分かりました、何かあったのは私でも分かっています。潤様が居なくなった件についての修正は、この睦月が全力で致しましょう」
 ギュッ
「その代わり」
 睦月は如月と私の手を、微笑みながら握る。
「家に帰って、たっぷり理由を聞かせて頂きます」
 死ぬ。今度こそ死ぬ。
 ぎりぎりと音を立てる手を見つめながら、睦月を恐ろしく思った。隣からは私よりも酷い音と如月の悶絶の声が聞こえる。
 と、睦月は思い出したように私から視線を外した。
「それより――失礼ながらお聞きします。どちら様でしょうか?」
 やっと木魂≠フ存在に気づいたのか、睦月は木魂≠見やる。手は握ったままだけど、微かに会釈もした。
 対する木魂≠ヘ必死に睦月を見まいとしている。
 いや、睦月に顔を見せないようにしている。
「もしや……」
 彼女はっとした顔で、私たちの手を放した。私が胸を撫で下ろすと同時に、睦月は素早く木魂≠フ顔を掴み、自分の方へ無理やり向かせる。
 如月は驚きで、木魂≠ヘまた別の意味であろう叫び声をあげた。
 そんな二人に構わず、睦月は目を見開いて驚いた。

「っな、何故神無月(かんなづき)がここにいるのですか?!」

 ……。
 …………。
 私の時が、静かに止まった。


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