風景

 「祟り祟られ」

 私には『人ならざる者』が見える。妖怪しかり幽霊しかり精霊しかり。はてまた――神様まで。
 そして最近は、よくそれらに襲われる様になってしまった。
 多分、原因は不明。
『お命ちょーだい』
「やだ」
『お肉ちょーだい』
「もっとやだ」
『じゃあ洋服ちょーだい』
「……何で?」
 ハンカチをポケットから出し、差し出しながら私は尋ねる。
 現在進行形。そう、私は『人ならざる者』に襲われている。のだが、最終的にハンカチをあげる結末になってしまった。
 意味不明。
『わーい、お姉さんありがとぉっ』
 きゃっきゃと喜んで、子供が駆けて行く。入り組んだ獣道を走るその姿は、着物を着た中世日本の男児そのもの。
 あれは多分、妖怪の類でいいんだろうけど。……幽霊と判別がつき辛い。
 本当に何がしたかったの、あれ。
「じゅーん! どこ行ったのー?」
 口を半開きのまま子供を見送っていると、遥か頭上からひのえの声が降ってくる。意識を戻して、私は上を仰ごうとして――また暫く呆ける。
 壁のように立ちはだかる背後の土壁。鬱蒼と生い茂る樹によって辺りは暗く、じっとりとした湿った空気が肌を撫でる。僅かな木々の隙間からは曇天が覗いて見えた。
「……そういえば、落ちたんだった……」
 言うまでもなく、崖から。
 苔の生えた土壁に手をついて立ち上がり、体に異常がないか調べる。
 何故崖から落ちたのだろう。理由は極単純。典型的な足を滑らせたというパターンだ。
 今日は中学三年生の――先輩達のお別れ遠足という事で。運悪くさっきの妖怪に足を引っ掴まれ、引きずり込まれ、崖から落ちて。
 ほんっと、最悪。
 やがてひのえの声が遠ざかった。あ、考える前に呼べばよかったか。
「ま、いっか」
 ここで普通の人だったら、呆ける次は途方に暮れなければいけないかもしれない。でも私は、こんな展開は慣れっこだから。
「木魂=v
 足元の土から、這い出るように樹の枝が飛び出してくる。時間をかけて、やがてそれは私の背丈ほどの樹に成長した。
「家まで一旦帰って、如月か睦月を呼んで来て」
 ポキンッ
 枝が折れ、樹は砂へと変わり、風に流されて消えていく。見届けた私は、歩き出した。さすがにナメクジだらけの場所にずっと居るのはごめんだ。
 ふと妖怪が走り去った獣道を見やる。少なくとも妖怪が通るほど道だから、この先は絶対に何かあるだろう。そう考えたときには、足は勝手に動いていた。
 好奇心に釣られるのは、私の悪い癖だ。


 神崎家の一件の犯人は、ひのえや時神二人が調べておくという事で話は纏まっている。次期に事件の情報を掴み次第、私が協力すればいいらしい。
 神崎も、幼少期から私の家で怪奇現象(私からすれば精霊の悪戯)に遭遇したりしてるから、やはり慣れている。あの出来事はまだ誰にも言っていないらしい。まあ、言ったところで誰も信じてくれないはずだ。よくて生温かい顔をされるか、中二病だと笑われるか。
 落ち葉を踏みしめ、様々な事を考えながら黙々と歩いていく。すると、聞き覚えのある声が耳を打った。
『わぁいわぁい、わーい!!』
 さっきの妖怪の声だ。歩くスピードを速め、声の聞こえた方を一心に見つめる。
『わーい!!』
 嬉々とした声は、今度は耳元で聞こえるほど大きく聞こえた。傍にいる感覚がする。
 けれど、見えない。
 立ち止まり、もう一度耳を澄ますと微かに雑音も聞こえた。
『やあやあ我こそは!!』
『きゃはははっ』
『いいぞぉもっとやれぇ』
『せーの、せーのっ』
『あはははっ』
 きゃははっ、あははは、がははは!
 一度にたくさんの笑い声が聞こえる。耳が痛くなりそうだ。
 そして、私は声の聞こえる原因を見つけた。
「……面白い」
 空間が、捩れている。
 どろりと溶けたハチミツを、スプーンでかき混ぜたように。視界に移る光景そのものが、空間そのものが歪んでいた。空間の捩れはねっとりとした水の、波紋にも近いかもしれない。波紋のような円はぐるぐると回っている。
「さて」
 戻ろう。
 空間の歪みに踵を返し、私は来た道を戻る。
 大抵、空間の歪みの先には別の空間が存在している。歪みは門の様なもので、それが目に見えてしまうということは、あちらの空間に干渉できるということ。
 あの空間の中に入れば、間違いなく『人ならざる者』に会うだろう。如月がいない中で襲われれば確実に死ぬ。
「……そういえば、睦月って私と約束した事になるっけ?」
 あの人なら、性格上無条件で助けはしてくれそうだけど。如月と結んだ契約をしていなかった気がする。
 如月だけを呼べって、木魂に言うべきだったかな。

 サクッ

 足音だ。大分来た道を戻ってきた私は、振り返る。
「……神崎?」
「……おっ、おう」
 ビクビクと肩を揺らし、樹の陰からこっちを凝視している神崎。
 紛れもない、従兄だ。
 そして、これで神崎に化けてる妖怪だったらかなり面白いかもしれない。
「どうしてここに?」
「あー、えっと。当ててみろ!」
「……神崎も私同様に落ちたのか、それかひのえに落とされたのか、悩ましい」
「ねえ、オレが探しに来たっていう選択肢は? おーい矢代?」
 探しに来た、ねえ。
 ぶつぶつと言葉を繰り返すと、相手は顔が真っ青。真っ青になってくれたせいでこっちは確信できた。
 ――嗚呼、こいつ神崎じゃないな。
 認識するや否や。全速力で走る。このときだけはセーラー服を憎もう。
「なっ、何で逃げるんだよ!」
「普通、探しに来たならそっちから来る人間はいない。神崎が現れたのは私の背後。その向こうには空間の歪みがある。あれは普通の人間にも見えるから、最初から人間自体の目に付かない場所に必ずできる。神崎――人間が易々これる道に歪みはできない!」
 走りながら、説明をし、あの崖という名の壁に追い込まれる。息が切れかけ、足がもつれそうになるけど、堪えるしかない。
「はっ……はっ……」
 振り返れば、神崎の姿はどこにもなかった。
 否、神崎だったものなら、見つけたけれど。
『ッチ、惜しいなぁ。記憶を漁れば化けれると踏んだが……甘かったか』
 巨大な化け狸だ。大きさは五メートルほど。
 黒いつぶらな瞳に反して、獰猛な牙が覗いている。
「残念。神崎に化けるならあなたより更に馬鹿じゃないとできないっていうのに」
『嗚呼本当に残念だな。化ける相手を間違えたようだ』
 そう言う割には、笑っているように見えるけど。
 震える足を抑え、私はスカートのポケットに手を突っ込む。狸は目を細めた。焦げ茶色の体毛と、太い尾が風に揺れている。
『さあ小娘、貴様の心の臓を頂こうか』
 鋭利な爪が光っている。
 私は、あえて顔に笑みを貼り付けた。


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