風景

 2

 嗚呼楽しい。
 楽しい。
 ここはとても楽しい。以後心地がよい。
 嗚呼ずっと。ずっとここにいたい。
 ずっとここを護りたい。
 護りたい、一緒にいたい。どこまでもどこまでもあなた達を笑顔にしたい。幸せにしたい。何でも望みを叶えてあげたい。
 ねえ、だから。
 火なんて、つけないで。
 ―――――――――――――――――――――――――――どうして。
 ……怖いよぅ。
 助けて、ほしいよぅ。
「っ!?」
「おわっ」
 意識が混濁する。どうして、どうしてどうしてどうしてどうしてどうして。
 何故。裏切ったの?
 何故。私はここにいる?
 私はわたしは私はわたしはどこにいればいい?
「な、んで……」
「落ち着け潤、山神に飲まれるな」
 山、神?
「山神――邪神は浄化されたから、落ち着いてくれ。頼むから」
 私は、ぱたりと伸ばしていた手を降ろす。降ろして、漠然とした疑問が浮かんだ。
 どうして伸ばしてたの? ――ああ、助けたかったのか。いや、助けてほしかったんだ。
 ああ……確かに。飲まれていた。
「落ち着いたか?」
「……うん」
 顔を動かして、如月の方を向く。ほっとしたような表情に、笑みが零れた。
「死にそうだった」
「冗談でも止めてくれ」
 そんな、心底疲れたような声を出さなくても。
 ふと天井を見やり、布団の感触を確かめてここが自分の家だと気づく。嘆息して、私は起き上がろうと体を起こす。が、ポテンと後ろに戻った。まるでおきあがりこぼしだ。
「邪気にあてられたんだと。暫くは安静にしろって言ってた」
「……誰が?」
「そいつが」
 如月は振り返って、障子から恐る恐る顔を出している彼女を指差す。紅白の着物と、艶やかな黒髪が目を焼いた。
「おはようございます、潤様」
 女性は私と視線を絡めると、柔らかく笑って部屋に入ってきた。静々とした歩き方や、凛とした背筋は大和撫子を連想させる。
「お前の方はもう良いのか?」
「ええ、おかげ様で。仮にですが、存在は保たせてもらいました」
 如月の問いに、嬉しそうに返す女性は、そっと私の傍に腰を降ろす。
 シャランッ
 椿の髪飾りが音を立てた。
「体調が優れない中、失礼をお許しください。改めてご挨拶に参りました」
 深々と礼をされ、何となく居心地が悪くなる。別にそんなの気にしないのに。背筋がむず痒くなる。
 とゆうか、誰?
「私の名は睦月と申します。時神としては一月を任されておりますので、以後よろしくお願いいたします」
 睦月、一月。時神。
 はっとすると同時に、ああと脳が勝手に理解していく。睦月から香る甘い花の匂いはあの時のものだ。陶磁器のように白い肌は、図書室で見た足と同じ色。
 目覚めたんだ……。
「相変わらず堅苦しいな」
「御静かに。今言わずともよいでしょう」
「そういうわけじゃねぇよ」
 黒い瞳を極限まで細くして睨む睦月という女性は、どうやら礼儀正しいようで厳しいらしい。おかげで、如月がぐっと口を噤んでしまうのが面白い。
 私は、睦月へと手を伸ばした。
「よろしく」
 驚いたように目を見張る二人に噴出しつつ、手をぐっと限界まで伸ばす。
 慌てて睦月が握ってきた。
 彼女の手は、驚くほど冷たい。
「あまり体を動かさないでください。邪気の毒がまわりますよ」
「平気。その時は如月がどうにかしてくれるから」
「だから俺は万能人間……万能な神じゃねぇって」
 諦めたのか面倒くさくなったのか。不機嫌そうに、けど強調する事もなく如月は言う。
「潤ちゃーん! おはよう?」
 穏やかな部屋を、ひのえの明るい声が横断した。きっとひのえが来たんだろう。素早く振り向いた如月は、鋭い怒気を帯びた視線を部屋の入り口に向ける。
 怒って、る?
 続いて睦月が立ち上がり、腕を広げてまるで私を護るように、立ちはだかった。
 ……なんで?
「あらら? 私、威嚇されてる?」
「警戒の間違いだろ。よくぬけぬけと出てこれたな」
 どうしてひのえがここまで言われてるんだろう。今までの如月とひのえのやり取りとはまた違った真剣さが、逆に怖い。
「怪しいとは思ってたの? 何時から?」
「最初からだ。潤に影響されてるのかと思ってたけどな……確信したのは、神崎家の廊下ですれ違った時だ」
 ひのえの姿は、睦月の背に隠れて見る事はできない。
「原井ひのえ、どうして俺達が視えてるんだ?」

 じゃ、頑張ってね!

 私が聞きたいのは、アレが何かだよ
 
 何かいるね、絶対

「ふふ、ふふふっ」
 走馬灯が、脳内を侵していく。
 ひのえは、小さく笑い始めた。そして、耳を疑う言葉が放たれる。聞きなれていたはずの声が、クリアに脳内を刺激した。
「気づくの、遅すぎじゃない?」
 もしかして。
 私はずっと、ずっと―――――――――――騙されてた?
「そうだよ。私はあなた達が視えるし、潤の能力だって昔から知ってた。知ってたから、近づいた」
 指先が震える。胎児を護る母親のように、睦月が心配げな瞳で私の髪を撫でた。ひのえは構わず口を開く。
「でも勘違いしないで。私は、潤を裏切ることはしても、友達を止めるつもりはないから」
 きっぱりとした言葉に、嘘のように震えが止まる。ひのえが、猫のように笑って。私を見下ろしていた。暖かい手が、私の頬を滑る。
 刀に手をかけている如月はそっと呟いた。
「……最初、妖怪に襲われたのもわざとか」
「うん」
「……邪神化した山神へ俺達をわざと誘導したのも、お前だよな」
「うん」
「あの邪神を神崎の家に仕掛けたのも、お前か?」
 空白があった。爽やかな、冷たい風が部屋に入ってくる。
 視界が切り替わり、湖畔に浮かぶ落ち葉のような。静かな雰囲気を纏ったひのえが、大きく首を振る。
「それは違う」
 私は、潤を裏切ることはしても、友達を止めるつもりはないから。先ほどと同じ言葉を反芻して、桜色の唇はまた動く。
「原井家は祓いの言代(ことしろ)。元来、人々に宿る穢れや悪を祓うのが私の家だった」
「まさか、陰陽師の家元……ですか?」
 睦月が目を見開き、ひのえが頷く。
 頭がいっぱいになりそうだ。ひのえが、陰陽師の家系の人で。だから、『人ならざる者』が自然と視えていた。そして、私も視えていたから近づいて。
 でも、友達は止めてない。
 それって、どういう。
「神崎君の家のアレ(邪神)は、私にもよく分からない。でも一ついえるのは、誰かが意図的にアレを仕掛けてあの家を崩壊させようとしていた。そして、同じような現象がこの町ではいくつも起きているんだよね。数年前から、一般の人間の家に穢れきった存在が突然現れ、悪事を働いている」
「数年前から?」
「そう。だから私がそれを解決するために、この町にやってきたんだよ。潤に接触していたのは、あまりにも強い可視能力が原因で、私達にとっての敵――事件を起こしている存在と接触する可能性があったからなの。原井家は前面衝突するつもりでいるからね」
 つまり『人ならざる者』が、それだけの被害を出している。それが何を意味をするか、私にも分かった。
 多くの人が死ぬ。そして既に、恐らくは死んでいるかもしれない状況だ。
「潤には、協力してほしかった。潤の力は強力だから、目の届く範囲で、何か証拠を掴んでくれたら……でも、殺されかけちゃったよね……ごめん」
 謝らなくていいよ。
 そう口を動かそうにも、喉が渇いていて、上手く声は出ない。
「――一つお聞きします、ひのえ様」
「? はい?」
「ならば、友達として潤様に協力してさしあげる事はできませんか?」
 ぱちぱちぱち
 瞬きを繰り返して、ひのえは私を見やり。私もひのえを見つめ返す。睦月に何を言い出すのかと聞く前に、名案だと思えた自分はなんなのか。
「ええっと、どゆこと? つまり、私が『ティロリロリーン♪ 仲間になっちゃいましたぁ、チャハッ☆』って言えばいいの? 私が潤に協力をするの?」
「……多分、そうなる」
「へー……まず如月君と睦月さんと潤ちゃんって、どーゆー関係?」
 こてんと首を無邪気に傾げるひのえに、如月と私は、同時に溜息を吐いたのだった。
 まずそこからか。


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