風景

 「散り花」

 賑やか。賑やか。周りにいる人は皆、賑やか。
 嗚呼楽しい。
 楽しい。
 ここはとても楽しい。以後心地がよい。
 嗚呼ずっと。ずっとここにいたい。
 ずっとここを護りたい。
 護りたい、一緒にいたい。どこまでもどこまでもあなた達を笑顔にしたい。幸せにしたい。何でも望みを叶えてあげたい。
 ねえ、だから。
 火なんて、つけないで。
 ―――――――――――――――――――――――――――どうして。
 ……怖いよぅ。


 ギシギシと軋む廊下は、永遠と続いているかのような錯覚に陥りかける。
 暗く淀んだ空気の中に冷たい冷気を感じて、思わず身震いしかける。
「何かいるね、絶対」
 軽やかな、鈴の音のような声にハッとして振り返ると、いつもの愛らしい表情のひのえが立っている。
「断言なんて、珍しい」
「だって家の前に蛇の死体があったら、ね?」
 ひのえが見やった先は玄関の鍵を閉めている神崎。それを開ければ、蛇の死体が生々しく転がっているだろう。
 誰の目から見ても、いるのは間違いない。
「あ、私神崎君と一緒に行動するから。潤は一通り家の中調べてたら?」
「……そうする」
 勝手に調べる件に関して、家主の了承は既にもらっている。如月にアイコンタクトをとって、私は歩き出した。途中、ひのえとすれ違った如月がかなり驚いたような表情をしていたけど。ひのえの顔になにかついてたっけ。
 ドンッ
 廊下の角を曲がった途端、頭上から低い物音がした。太鼓の音を思わせるそれに、迷わず天井を見上げる。が、染みだらけの木目には何もない。
 まず一番気になるのは、屋根裏か。
「如月、ここには何がいると思う?」
 如月は立ち止まって、目を瞑る。ふきのとう色の瞳が隠れた。
 どうやら家の中の気配か何かを探っているらしい。暫くして返事が返ってきた。
「悪鬼、怨霊、その程度だな」
 ……は? それだけ?
「それだけだ。この家にいる連中は昔から居座ってるただの『場所取り』だな」
 『場所取り』とは。私たち人間が家を構え、そこに住むように。幽霊にだって妖怪にだって一定の留まる場所は必要だ。『人ならざる者』は必ずしも歩道を歩くわけではないし、必ずしも公園のベンチで休憩するわけでもない。
 つまり『場所取り』は、ただ居るだけに過ぎない存在。そして、どこにでもいる存在を指している訳であって。
「じゃあ『場所取り』だけの家でどうして怪奇現象が……?」
「決まってんだろ。そいつら以外に、何か居ないと説明はつかねぇんだ。この家は恐らく何かに」
 ――――憑かれてる。
 言葉を頭で理解した瞬間、頭が痛くなってきた。神崎家は、私と親縁の中にあるというのに。本気でそうだったなんて。予想していなかったわけじゃないけど。
「どうやったら神社の家の縁族が憑かれるの」
「……本当に従兄だったのか、あいつ」
「認めたくないけど、従兄。多分アレが恨まれるようなことをしたのかもしれない」
 恨まれなければ、何もされないはずだ。
「一先ず屋根裏に行こう。さっきの音といい、最初の現象もそこらしいから」
「ああ……って、おい。お前が直接行ったところで、どうすんだ?」
「もし原因の存在がいたら御祓い。見つけたら退治するまで。いなかったらまた探せばいい。頼まれたからには成し遂げる」
 たとえ理由がなんであろうが。私の領域を荒らされるのは好きじゃない。
 正直、今の私はどうにも歯止めが利きそうにない。らしくないのに。よく分からないものがこみ上げてくる。
「お前……何でそう正直じゃないんだよ」
 ――――は?
 驚いて如月を見れば、溜息をついていた。心底呆れたように。
「素直に怒るなら怒るで、勝手にそう言ってりゃいいだろ。暴走して怪我されても困るけどな。手前の本心はどこいった?」
「……………………………あ」
 怒って、たんだ。

 あ、初めまして。私は千恵といいます。この子は私の息子の良(りょう)

 はじめまして!

 気にしなくていいのよ、いつでも家にいらっしゃい

 あたし達からすれば、潤ちゃんは妹なの!

 ……そうだ。怒ってる。だってここは、私の家と違って。普通で。優しくて。暖かい家だというのを、知っているから。
 壊された事が、嫌で。堪らなく許せない。
 笑い声が聞こえないしんとした家に、かつての姿は見当たらない。
「……ありがとう、如月」
「……? どういたしまして」
 訳がわからない様子の彼は、首を傾げる。薄っすらと、私は笑んだ。
 最近は、気づかされてばかりだ。


 屋根裏部屋は、小さい頃遊びに来た時によく上げさせてもらっていた。窓なんて一つもないし、ここはいつも埃と錆の匂いがしていたのを覚えている。
 だけど今は、床に埃一つもなく。
 在るのは、一枚の掛け軸だけ。
「動くなよ」
「分かってる」
 数メートル離れた位置で、私は如月の背に隠れて掛け軸の様子を窺っていた。綺麗に床に広げられた掛け軸の中には絵が描いてある。
 涼やかな音をたてて如月が抜刀した。
「普通、屋根裏部屋に掛け軸なんて誰も置かねぇよな」
「ついでに言えば、それ一つだけ中央に置くのも意味不明。見覚えもないし」
 私も如月も同じ事を思ってる。
 アレには絶対何かある。
「どうする、切り刻んどくか?」
「それでもいいけ……ど」
 ズルリッ
 掛け軸が、一人でに動く。私たちに向かって、匍匐前進しているように見えた。掛け軸との距離が少し縮まる。
 あ、如月、冷や汗掻いてる。
「か、掻かずにはいられないだろ。さすがに」
 こんなの相手したことねぇぞ。
 最後に呟かれた言葉はできれば聞きたくなった。
 掛け軸は、また動く。
 ズルッ ズルッズルッ
「に、逃げた方がよくない?」
 もう、如月の足元まであと少しだ。
 紺色の着物の裾をそっと握ると、如月の体に力が入った。銀が煌く。
 ドンッ
 刀の刃が、床に掛け軸を縫いとめた。絵を貫いた刀は暗い部屋だと言うのに、淡い光を発している。
 そこで気がついた。掛け軸の中の絵に。
 そこで気がついた。肺を満たしている、花の香りに。
「走るぞ潤!」
 腕を捕まれ、覚束ない足取りで如月と一階に繋がる階段を駆け下りる。扉を開けて、一階の廊下に転がり込むと、直ぐに如月が扉を閉めて。
 また走る。
「まだ走るの?!」
「ったり前だろ! 仕留め損ねたんだ!」
 仕留め損ねた。廊下を走りながら振り返る。振り返ってぎょっとした。
 掛け軸の中に描かれていた子供がいる。巨大な斧を小さすぎる白い手で握り。長い髪を振り乱した女児だ。年齢で言えば五歳くらいだろうか。
 私と目があった瞬間。幼児は笑った。にぃっと、口元が裂けるように。
「ふ、振り返らない方がよかった……」
 いくら常時ホラーに耐性があったとしても、今の光景は夢に出てきそうだ。
「潤!」
 元来た廊下の角を曲がったところで、如月が急に止まる。何事かと顔を上げると、彼は思い切り私の肩を掴んだ。
「いいか、今から神崎と……ひのえだったか? あいつをひっ捕まえて一箇所に集まれ。なるべく玄関だ」
 ……何それ、急に。
 まさかあんたが囮になるとでも?
 それは冗談じゃない。ひのえの言葉を一瞬だけ忘れるような頭の緩い神に任せるなんて、以ての外だ。
「刀も無いくせに。置いてきたくせに、それでどうやって戦うの」
「お前よりかマシだ。いいか? アレは多分邪神だ。下手すると人間は食われ――っげ」
 角を覗き込んだ如月は、唸り声をあげて私を突き飛ばす。
「走れ! 来た!!」
「……ああもう」
 一人で勝手に騒いで人を勝手に突き飛ばして勝手に命令して。
 ―――面倒くさい。
 口の乾きにより声のない言葉を吐き出して、私は体制を立て直した後、体のすぐ隣にあった襖を思い切り開けた。
 中に飛び込むように入る。
 驚愕した顔で、今まさにクッキーを齧ろうとしていた見知った二人の顔に出くわした。
 人が騒いでいた中、何していたのか。安易に想像がつく。
「じゅ、潤……その、これはね?」
「煩い聞きたくない。くつろいでた何てこの際どうでもいい。それより、紙とペンを用意して」
「はぁ? 何でだよ」
「早く」
「す、すいません」
 事は一刻を争う。私の態度が尋常じゃないと悟ったのか、ひのえはベルトポーチから素早く紙とペンを取り出した。
 神崎は慌てて扉を閉めている。
「まさか廊下からする変な音が、元凶?」
 さらさらと筆ペンを動かしながら、私はひのえの質問に頷いた。
「調べてたら、鳴り始めたの。今から御払いするから」
「……なら早くしてくれよ」
 言われなくても。
 そう返そうとして、息が詰まった。
 神埼は汗を掻き、作り笑いをしながら襖を押さえている。ガタガタと揺れる音は普通じゃない。さて、ここで問題。
 開けようとしているのは、如月か、あの邪神か。答えは否。
「……間違いなく如月でしょ。何してるの」
 神埼を押しのけ、襖を開ける。にやりと、足元で女児が笑った。
 ―――――――しまった。
 てっきり斧で壊すだろうから、動かすのは如月だと思ったのに。
 考えているうちに、斧は振り上げられる。思考がそこで、やっと、停止した。ゆっくりと目を閉じる。
「っ神崎君、襖を閉めて!」
「え!?」
 もう遅い。何もかも。
 如月の、大馬鹿野郎。守るって言ったくせに。

 ―――――――――――シャ、ランッ

 目の前を、何かが過ぎる気配がした。風が流れていくのが、体で分かる。
 肺を満たしたのは、淡い椿の香り。耳を満たしたのは、柔らかな音。
 待っていた痛みは、いつまで経ってもこない。
「目をお開けください、潤様」
 穏やかで、綺麗なソプラノ。言われたとおり、ゆっくりと目を開ける。
 目に入ってきたのは、見知らぬ女性だった。紅白の着物を着た、夜色の髪と目の、艶やかな人。彼女を彩る、一輪の椿の髪飾りは、血のように赤い。
「あなた、は」
 誰?
 如月は?
 あの邪神は?
 ひのえと、神崎は?
 どうして、私は痛くない?
「ご安心ください。大丈夫です」
 ……そう。
「どうか落ち着いて。今しばらく、お眠りください」
 白くて細い指先が、そっと私の頬を撫でる。
 意識が、泥に落ちた。


 賑やか。賑やか。周りにいる人は皆、賑やか。


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