「全く…赤也はまた遅刻か」 「たるんどる、一度厳しく叱らねば」 椅子に座りながら時計を眺め、遅刻魔の二年生レギュラーに呆れかえったため息をつく参謀、その隣には腕を組みただでさえ威厳に満ちた顔を更に強張らせている真田の姿があった。仁王はそんな副部長の様子を見ていつも思いっきり叱っとるがのうと思ったが、俺まで怒られるのは勘弁だと心の中へとしまった。 「まあ赤也はいいとして、竜崎さんは?」 穏やかな顔をした部長は、机に肘を置いて冷静にそう言う。いつも時間までには必ず居合わせている、大切なマネージャーの心配をするときだけ心底心配そうな表情をした。あまりにぞんざいな扱いをされた切原赤也に全員が思わず憐みの感情を持つが、しかしそれも一瞬で切原のことなんて知るかというように桜乃の話題になる。 「珍しくね?竜崎が遅刻なんて」 「そうだな…なんかあったんじゃないか?」 ガムを膨らませながら言う相方とは逆に、ジャッカルは思わず不安になる。あまりに過保護なのではないかと思われるかもしれないが、この部活のレギュラー全員は竜崎桜乃という少女に首ったけであるため、些細なことでも被害妄想の域に達するほどの心配っぷりだ。それを煽るようなジャッカルの言葉のせいで、全員の顔に冷や汗が伝う。 「竜崎さんが変な輩に襲われていたりしたらどうしよう」 「ちょ、俺探してくる」 「皆さん落ちついてください」 幸村がとんでもない言葉を発した途端、丸井は割れて口元にべったりとついたガムを取る事も忘れて外へと走っていこうとする。そんな彼らの様子を見て、唯一この中ではまだ冷静だった柳生は必死に止めた。 「すみません、遅くなりましたっ!」 そこに部室のドアが開く、今この時誰もが待っていた桜乃が謝罪の言葉と共に入ってきた。走ってきたのであろう息が切れている。そんな彼女を見て部員達ははぁぁっと安堵のため息をついた。よかった〜っと思わず丸井は抱きつくが、仁王にべりっと剥がされた。何故遅刻したのに喜んでくれてるんだろう、と桜乃の頭にはたくさんの?が浮かんぶ。 「お前さんが俺らに内緒で恋人に会いに行ってるんじゃないかって心配しとったんじゃよ」 「ええ!?そっそんなんじゃないですよ!先生に呼ばれていたんです!…あっ、遅刻してすみません!」 動揺してわたわたと喋る桜乃の様子に、くつくつと笑いながら仁王は彼女の頭をぽんぽんと撫でる。 「あ、それ!」 丸井が気付いたように桜乃の手を指差した。そこに握られていたのは長方形の紙パックのジュース。確か自販機に今日から入荷したものだ。ストローが刺さっているため少し飲みかけであるようだ。 「あ、これは…新しいのにどうしても弱くて…あ、ここでは飲まないので!すみませんっ」 先輩の前で堂々とジュースを飲むのは失礼だと思っての発言だろう。真田がうむ、と関心したように頷く。赤也に見習わせなければと呟く柳は、一年のマネージャーにさえ劣るレギュラーがいるという事実に情けなさすら感じた。 「俺も飲んでみたかったんだけど売り切れてたんだよなぁ…というわけで、一口ちょーだいっ」 その瞬間、どがっ!と聞いているだけで頭を擦りたくなるような真田の鉄拳が丸井の頭に響いた。 「いっっっってぇ!何すんだよぃ!」 「せっかくの竜崎の気遣いを何だと思っているんだお前は!」 まず飲みかけの物を欲しがるという時点でたるんどる!と部室に真田の怒声が響く。突然の大騒ぎにあわわわと訳がわからなくなっている桜乃の様子を見て、幸村は彼女の腕を引っ張り二人から引き離す。 「ご、ごめんなさい!なんだか私のせいで丸井さんが…」 「少なくともお前のせいではないから安心してくれ」 「ふふ、そうそう。それより竜崎さん、君は今日は謝ってばかりだね」 「それは、遅刻しちゃいましたし…」 「お前さんには理由があるじゃろうに、赤也なんて未だに来ないしのぅ」 その言葉に幸村は「あ、そういえば忘れてたけど赤也は?」と仁王に尋ねる。俺は知らんと適当に返すが、内心存在すら忘れられていた後輩にかける言葉も見つからなかった。柳生は窓の外を眺める。 眼鏡を上げた。 「いらしたようですよ」 「すんませんっ!遅くなりましたー!」 紳士の言うとおり、すぐに後輩は現れた。しかし謝罪の言葉こそあるものの、へらへらと笑いながら部室に入ってきた切原に怒りが止まらない。しかしそんな先輩たちの様子に気づくことなく、いつも通り鞄を辺に投げるように置いた。 「あ!竜崎!」 「え、あ、はいっ!」 「喉渇いて死にそうだったんだ、もーらいっ」 桜乃の手に握られていた紙パックを奪い、刺されたストローからジュースを飲みほした。もちろん本人に悪気はない。が、悪気があってもなくても彼のやった事の重大さは対して変わらない。 「赤也…」 幸村の地を這うような声に切原はへっ?と間抜けな声を出す。そして嫌な予感を悟り、顔を青くして部室から逃げ出そうとしたが、柳に肩を爪が食い込むほどにぐっと掴まれ動けなかった。目はうっすらと開かれている。 「お前は一度叱られるべきだ」 「な、なんすか!?いつも叱られてますって!というか今日は叱られる理由が…」 「あるだろぃ!くっそこのバカ也!竜崎の間接キス奪いやがって!」 「…いやお前が偉そうに言えた話じゃねぇけどな、てかお前ら遅刻のことはいいのかよ」 ジャッカルの冷静なツッコミも今の丸井の耳には入らない。 「今日は俺が叱るよ、弦一郎」 「精市…ああ、頼む」 にこにこ笑いながらも相変わらず声は恐ろしいほどトーンの低い幸村に、真田は自分の役割を部長に渡さざるをえなかった。 「さあ赤也…せっかくだし、今日はお前の喉を通っていったもの全部吐き出すぐらい、練習しようか」 とんでもないことを言ってくれる幸村に、思わず仁王は桜乃の耳を塞ぐ。部室中にコートへと連れ去られていく切原の断末魔の叫びが響き渡った。ジャッカルは自業自得とわかっていながらも、少し同情した。 「お前さんは好きに恋人も作れんの」 「え、え、どういうことですかっ?というか切原さんは…」 「あ、俺も許さんからの、とゆーか早く俺のもんになっちまえばええ」 「え、それどういう…じゃなくて!切原さん…」 柳生はちゃっかり告白しているパートナーを見て、再び眼鏡を押し上げる。今は冷静でいますが私も彼女に恋人ができたら自分も気が気じゃないでしょう。悔しくもそう思った。 こんな先輩に囲まれた彼女に恋人ができる日は来るのか、もしかしたらこの中の誰かが手に入れるかもしれないが、そんなことはまだ誰も知らないだろう。とりあえず今はコート中に響く切原の叫びが、答えだ。 idiot |