安いボロアパートの扉がガチャリと音を立てて開いた。いつもは竜崎の方が家に帰ってくるのが早いはずなのに、今日は珍しい。読んでた雑誌から視線をそちらへ異動させる。少しばかりぎょっとした。彼女、桜乃の目が真っ赤に染まっていて、着ていたワンピースがくしゃくしゃになって汚れていたからだ。

「どうしたの」

リョーマは思わず心配になって雑誌を放り投げて駆け寄った。冷静に言ったつもりの声にも微かな焦りが含まれている。桜乃の目にみるみるうちに涙が涙が溜まっていき、ぎゅうっと抱き付かれた。ひっく、ひっく、としゃっくりをしながら力ない声でリョーマの声を呼ぶ。しかし自分の服が汚れている事を思い出しぱっと離れる。リョーマはそんな忙しい彼女の様子に一体なんなんだと顔を顰めた。

「ごめんなさい、リョーマくん。私、貰ったネックレス失くしちゃって…ちゃんとつけてたのに、探しても見つからなくて」

ネックレス、その言葉に脳内をくまなく散策する。ああ思いついた。昔あげたやつか。もう5年以上前だ。そんな物を探すためにこんなぐちゃぐちゃになるまで探してたなんて。

「バカじゃないの?」

思わず口に出た言葉は考えていたものと正反対の言葉だった。こういうときは可愛いだの何だのと言ってやるのが普通なんだろうか。ああヤバいまた泣いちゃったよ。

「ごめんなさいい」
「冗談だって!ごめん!」

さっきより激しくぼろぼろと零れ落ちる涙に、リョーマは思わず慌てて謝罪する。私やっぱり探してくると再び外に出て行こうとする桜乃の出を引っ張って腕の中へと納めてやった。服が汚れちゃう、とさっきみたいに離れようとするが、別にいいよの一言で力を強くする。しかしこんなことで泣くなんてまるで子供みたいだ。今でもどこでも転ぶし大して成長してないし、髪を三つ編みにしたら中学の頃のまんまなんじゃないだろうか。

「新しいの買ってあげるから」
「あれじゃなきゃダメなの」
「なんで」
「リョーマくん女心わかってない」
「わかりたくないよそんなの」

なくしたのは自分の癖に偉そうに、なんて冗談でも言ったら大騒ぎになるから、口から出そうになったのを必死に堪えた。とりあえずいい大人がこんな玄関で何をやっているのか、リョーマは桜乃の靴を脱がせてリビングへと移動させた。桜乃をソファに座らせ、ちょっと待っててと言い残し自室へと入る。これを渡すのはまだ先のつもりだったけど、この際もういいか。そんな事を思い小さな箱を握りしめる。

「竜崎」
「は、はい」

まだ落ち込んでいる桜乃の隣へと座る。深呼吸をひとつして彼女と視線を合わせるとなんだか照れくさくなってきた。しかしいつまでも恥ずかしがっても仕方がない。意を決したようにリョーマは桜乃に握りしめていた小さな箱を渡す。桜乃の目が丸くなった。おそらく箱で中身を予想できたのだろう。だんだんと頬が林檎のように赤くなっていく。開けていい?と控えめに聞いてくる。いたたまれなさからか余所を見ながら、ぶっきらぼうかつ余裕ぶったように、どうぞと返した。

「わああ、すごい」
「それあげるから、いいでしょ」
「う、うん!…ねえリョーマくん、これって」
「なに」
「け、結婚指輪?」
「そうじゃなかったら何なの」
「あ、えと、そ、そうだよね、じゃあ、」

背は当然ながら彼女より大きくなっていたので、必然的に下から見つめられる体勢になる。桜乃は指輪を見てはリョーマを見て、頬を染めた。その視線には何かの期待が含まれていて。リョーマはそれが何かをわかっていたが、いつまで経っても肝心なところでは素直じゃない彼には上手く言葉に出来ずにいた。

「わっ」

桜乃は驚きの声を上げた。突然リョーマの片手に目を覆い隠されたからだ。いきなり何も見えないので不安になる。リョーマはいいから目閉じててと冷静に諭す。

「結婚しよう」

なんて格好のつかないプロポーズだ、顔を見られたくないからってこれはないだろう。自分の中で誰かが笑う。突然のその言葉に、覚悟をしていなかったのか桜乃は手をばたばたと動かす。

「い、今のプロポーズ?」
「そう」
「どうして私目隠しされてたの?」
「どうだっていいじゃん」
「よ、よくないよ、せっかくのリョーマくんからのプロポーズなのに、顔が見れないなんて」
「顔なんてどうでもいいでしょ」
「…もしかしてリョーマくん、恥ずかしかったの?」

図星を突かれて言葉に詰まったリョーマに桜乃は一瞬ぽかんと呆気にとられた顔をしたが、嬉しそうに笑った。思わぬところで鋭い彼女に思わず耳まで赤くなる、口元を覆ってつーんとそっぽを向くが、真意を知った桜乃に効果はなかった。それすら嬉しそうにくすくすと笑う。

「うっさい」
「ご、ごめんなさい、ふふ」
「謝る気ないでしょ」
「そ、そんなことないよ!ごめんね、本当に嬉しくて…リョーマくん、ずっと一緒にいてね」
「…うん」

いつのまにか自分は彼女に振り回されているんだ。それでいいからいつまでも子供な俺の傍にずっといてよ。口には絶対できないそんなクサイ台詞を心の中で吐き捨てて、未来を誓った彼女の小さく細い手を言葉に出来ない想いの分、強く強く握りしめた。
Marry Me



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