カチカチ、とマウスをクリックする音が響く。画面に映るのは今現在彼女の夫である手塚国光の出張先であるドイツの画像だった。ただの住宅街でさえも絵になる、ミニチュアの様な美しい景色にひとつため息をつく。彼が旅立って一週間、本日が彼の帰国の日であった。今頃飛行機に乗っている事だろう。早く帰ってこないかな、ぽそりとそう呟いて桜乃はノートパソコンを静かに閉じた。

はっ、と音がするように目を覚ました。机にうつ伏せた状態だった身体を勢いよく起き上がらせる。しまった、いつのまにか寝てしまうなんて!買い物に出かけようと思っていたのに。彼の為に今日は腕を揮ってご馳走を作ろうと意気込んでいたのに、どうしようと慌てて立ち上がる。時計の針はもう八時を指していた。しかし近所のスーパーはまだなんとか開いている。自転車で向かえばなんとか、と財布を手に取り鞄に押し込む。斜め掛けのそれを肩へやって玄関へと早歩きで向かう。が、ピンポーンと軽快な音を立てるチャイムに桜乃はまさかと目を見開いた。

「は、はい…」
そろりと扉から顔を出しを開客人を確かめる。そこに立っていた人物は予想通り、本来なら待ち望んでいて大喜びする相手だったというのに。

「ただいま」
いつものように無愛想にそう言う彼の言葉に、私は笑顔でおかえりなさいと返事をする事が出来なかった。

スーツをハンガーへと掛ける。どんよりとした気分を出来るだけ出さないように、笑顔を作って彼へと話しかけた。彼は優しい、中々表情には感情を出さないものの、言葉の一つ一つでそれは十分に伝わる。

「あっ、お腹すきましたか?すぐ作りますから、お風呂入ってきてください」
「ああ、すまない」

そう言うと彼は脱衣所の方へと向かう。はぁ、と本日二度目のため息を吐いた。私はなんて駄目な妻なんだろう、彼がようやく帰ってきたというのに上手に迎え入れることすらできないのか。そんなことを考えていると、いつの間にか目に涙が溜まっている事に気付いた。いけない、こんなことで泣いては。そう自分に言い聞かせても、涙腺は言う事を聞いてはくれなかった。うう、声を漏らすと堰を切ったように生温かい雫がぼろぼろと流れ出す。

「どうした」
止まれ、止まれと言いながら腕で拭っていると、いつのまにか目の前に不思議そうな顔をした手塚が立っていた。嗚咽がそんなところまで聞こえてしまっていたのだろうか。

「何故泣いている」
「あっ、すみません、なんでもないんです、ごめんなさい」
「なんでもないのに泣く必要はないだろう」

言い返せなくなった桜乃はしばらく口を噤み、ごちゃごちゃとした頭の中を整理をする。そしてぽつりぽつりと理由を話し出した。手塚は相変わらずの無表情で聞いていたが、彼女が話し終えると腕を伸ばし自分の胸の中へと閉じ込めた。

「…!」
「そんな理由でか」
「…すみません」
「俺はお前の作る料理なら何でも構わない」
「で、でも…」
「それに、大事なのは料理ではないだろう」
「え…?」
「お前の声が聞けて嬉しい」
「あ…」

ぼろり、再び大きな涙が頬を伝って零れ落ちるのを感じた。

「ただいま、桜乃」
「…おかえりなさい、国光さん…」
The Happiness



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