歓声というものに悪い気になる人物というのはそういないだろう。自分だってそうだ。応援されれば勿論嬉しいし有難い。しかし物には限度というものがあって、女子生徒のむやみやたらと繰り出される声というのは砂糖の分量を間違えたチョコレートのように甘ったるく、重たいものであった。少なくとも自分はモテている自信があったし、まあ部長には敵わないが、敵いたくもないが。少なくとも忍足先輩よりは多いであろう。嫌だといいつつ、そこだけは正直譲れないところがあった。

少し前からそんな事をもやもやと考えていたが、彼女に出会ってからというもの、その感情はまるで別物になり、強くなってしまっていた。彼女、竜崎桜乃は東京から引っ越してきた一年であった。部長と知り合いであったらしく、やたらとフレンドリーに接しているのが気にかかったがそれも仕方ない。あまりにドジというか、何もない所で転んだり、あまりに方向音痴であったり、あまりの酷さに病院で調べた方がいいのではとつい口出してしまった。しかしいつの間にか目が離せなくなっている自分がいる事に気がついて、なんだか気持ちが悪くなった。他の女子とどう違うのだろうか。声に関してはもうチョコレートどころか砂糖そのもののような甘さで、話していると胸やけがしそうになるというのに。

しかし俺は女子というものをなめてかかっていたようだ。"お前の後輩の…なんやったっけ?あの三つ編みの娘が、他のクラスの女子に連れられてるのを見たで。"同じクラスの友人の言葉を聞いた途端、頭の中の全ての機能が障害をきたしたかのように停止していくのを感じた。頭の中で酷くチアノーゼが起きているかのようだ。

考えより先に足が動いていた。何処へ連れ去られたのか、肝心な事を聞かずに出てきたがこういうとき人というのは強く勘が働くものだ。校舎の裏、教員用の駐車場がある場所にて、本人たちは見えなかったが、パァン、水面へと強く叩きつけているような音がここまで聞こえた。竜崎、名前を叫びながら角を曲がると、頬を押さえながらざらついた地面へと腰を抜かす竜崎と、そんな竜崎の腕を掴む女子生徒の姿があった。やたらと尖って目に痛い配色を施された爪が竜崎の腕へと食いこんでいる。俺の姿を見た女子生徒は、注射器を向けられ枠から逃れられず惑うモルモットのようだ。焦って引っ張る手を離すと、竜崎は強い反動でアスファルトへと尻もちをついた。走って彼女の元へと駆け寄り、大丈夫かと声をかけると、震える手を再び頬へ持って行きながら小さく頷いた。手の平では蔽いきれていないところから限りなく白に近い竜崎の肌が異様に赤く腫れていて、俺は空いている彼女の片手を引き立たせてやる。保健室行ってこい。それだけ囁いた。本当ならついていきたいところだが、生憎そうもいかない。竜崎は俯いたまま走っていった。見えなくなると、真後ろに立っている女子生徒へと振り返る。逃げなかっただけ偉いのではないかと笑ったが、どうやら足が竦んで動けないだけだったようだ。

「ざ、財前くん、ごめんな、さい」
「俺に謝ってどうすんねん」
「ウチ、あの娘が羨ましくて、それで…」
「それで妬ましくて殴ったと」

びくびくと震えながら喋る女子生徒の顔は見覚えがあった。それこそまさに先程までの話に出ていた金切り声の応援団の一人であったと、記憶を探る。女性には優しくせな、なんて部長が言っていたのを思い出した。それと同時に遠山がやられたらやり返したらええ、と叫んでいたことも。どちらを優先するべきか、正直悩んだが。

「あんま調子のんなや」
「っ」
「次あいつに近付いたら、二度と人前に出れん顔にしたるから」

そう言うと、泣き喚きながらごめんなさいごめんなさいと繰り返す。その声は黒板を爪で引っ掻いたときのあの音によく似ていた。

「あと俺の応援もせんでええから。自分結構うるさいよ?浮いとるって知っとる?」

その問いかけに女子生徒は何も答えなかった。ただひたすらに湧き上がる涙を拭う事もせず、ひたすらしゃっくりを繰り返している。俺はそんな様子を見て、その場を後にした。出来る事ならもうボコボコに、事故によって拉げて潰れたガードレールみたいになるまで思い切り殴りたかったが、殴ったところで竜崎が悲しむだけだし、自分も損をする。


急いで保健室へと向かうと、白衣を纏った先生は氷を渡したら白石君が来て一緒に出てったわと言い、廊下を指さした。テニス部へと方向を変える。こういう時やたらと遠く感じるのはどうしてなのか。部室のドアノブを握ると中から遠山の叫び声が聞こえた。許さへんと言っているようだ。普段はどんな目にあっても屈しないお気楽な精神を持っているやつだったが、今回はどうやら強い怒りを感じているらしい。それが露わになっていた。

「…」
「あっ財前!」

無言で扉を開くと部員達の視線が一斉にこちらへと向いた。遠山の声はよく耳に刺さる。椅子に座った竜崎の元へと寄る。ピンクのハンドタオルで包まれた保冷剤を腫れた頬へと当てていた。暫く俺を見つめた後、申し訳なさそうに眉を歪め視線を逸らし、再び俯いた。

「…すみません」
「別にお前のせいやないやろ」
「皆さん財前さんのこと好きなのに、私だけ」

私だけ、もう一度呟く。そのあとは言葉に出来なかったのか苦しそに後を追う咽び泣きによって潰れてしまった。竜崎の前にしゃがんでちらりと横目でほかの部員達を見る。ガン見している。出てけ!とテレパシーを送りながら睨みつける。他の奴らはニヤニヤと下品に笑っているだけだ。感情は致し方がないとして空気も読めないのかこいつらは。部長だけは悟ったかのようにやれやれと手を挙げ、ブーイングを起こす全員を連れ去り部室から出て行った。気を切り替え彼女の方へと振り返る。泣き声は減ったものの表情にまるで力がない。

「…俺が悪いんや」
「え…?」
「気抜いとったんや、お前は何も言わんでも側にいてくれるから」
「…」
「だから伝えるのはもっと後でもええ、そんな風に考えとった」

そうだ。俺は肝心な事を言わずに済まそうとしていたのだ。その結果がこれだ。閉じ込めてしまうように抱き締める。彼女は細かった。制服が湿っていくのがわかった。ああまた泣いている。泣かせてばかりだ。しかしこんなことは今日限りだ、もう二度と彼女を悲しませはしない。これはかっこつけではなく、そんな事自分のプライドが許さないのだ。まあもちろんかっこつけでもあるが。


好きや、耳許にて静かに言う。彼女は相変わらず啜るように泣きながら、戸惑ったように背中へと腕を回してきた。服越しに背へ伝う水鳥のような体温、永遠にそれを感じていたい。俺は擦りよるように瞼を閉じた。
Une plume transparente



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