Immortal
Immortal #5
俺達は騙し合い
だからこそ縺れ
それは誰にもほどくことが出来ないほどに
縺れ からみ合い
誰も作ったことがない繋がりになっていった
それが意味のない事のようで
一番意味のある
俺達のすべてだったということ
3
1日が終わったあとの静かで、密かな楽しみを不謹慎だと思う。仕事が終わり、一日中纏めていた髪をほどき鏡を見た時の、もったりと具合の悪そうなうねりにさえ、ヘンにイライラしていた日常が、見知らぬ男との電話でそのたぐいではなくなった。
というのを自覚してしまった。
見事に返してくる、電話越しの"彼"とのやり取りが、面白い。
「エヴァネッセンス、覚えてる?」
『──ああ。ハローが好きだと』
「マイ・ラスト・ブレスも。エイミーの歌声は、宇宙でも響くよ」
──宇宙で融けるのはお前の声だけだと、サウンドウェーブは思う。お前が好きな、この世のすべての歌を聞いた。
──外していない。
一体どこからそんな情報を調べるのだろう。
しかも、思いつきで言ったことにも、彼は外さない。
「今日職場の子とゴハンに行ったんだけど、いいお店があるからと言われて、でも全然好みじゃなかった。悪いから食べたけど」
『──お前は好き嫌いが多い』
「それ、いつも言うよね」
くすくす、と笑う僅かな声が、サウンドウェーブに届く。そうされたら、言い当てたことに不思議な高揚感がわく。どんな風に、笑う?
「ねえ」
『?』
「会いたいね、近いうちに」
『……』
───どうやって会うというのだ、俺が降り立つ意味がない星に。
「……まだ…」
会いたいというのは本気だった。どんな人なのか、本当に知りたい。こんなに興味を持った人は、初めて。困ることを言いたくなった。
「…まだ、髪の毛は青いの?」
───髪が青い奴だったのか。どのくらいの…
『……ああ。お前の記憶ではどの青だ?』
あ、本当に信じちゃった?思わず笑いそうになるのを抑える。
瞳を閉じて、瞼の裏で想像した、まだ見ぬ彼をまた呼び出す。夜みたいな人だと思う。
「…月夜の空みたいな、黒に近い青」
『…じゃあ、それだな』
変な会話。本当に。だけど、楽しい。
「会いたいね」
『…しばらくは無理だと言った』
───サウンドウェーブがそう言うと沈黙して、彼女に繋がれた通信先から曲が漏れてくる。音楽を聞き出したようだった。
「分かってるけど、会いたいね」
『………、』
「会いたくない、かな」
知ってる。会えないんだ。多分、私とは会えない人なのだ。理由が何にせよ、会えない、のだ。だから困ることを言いたくなる。よけいに。
『…会いに行く、近いうちに』
微笑んで、電話を耳に押し当てた。嘘でも嬉しかった。彼が心地いいのは、何を言っても否定をせずに受け止めてくれるからだと、思う。
「うん。待ってるね」
だから待ってる、と嘘を返せる。私も彼を否定しない。本当は怖いのだ。怖くて、それから、でも会いたい。
そんな矛盾に、押しつぶされそうになる。対象は死んでいるのだ。不謹慎にも程がありすぎる。
「できるだけ、」
『?』
「できるだけ、早くきて、」
──俺を勘違いしている対象を想っていたのだ、彼女は。
切羽詰まった、かすれた声は儚く、今にも消えてしまいそうだった。だが、俺はその対象ではない。俺は───
『必ず、行く。必ずだ。約束する。然るべき時がきたら』
この人間は、対象を待っている。だが俺が偽りだと分かったとき、彼女の思いはどこへ行くんだ。
俺達の、今のこの繋がりはどこへ行く?
「私を覚えていてね。どこにいても、何をしていても」
なぜ、泣く?
『ああ。忘れはしない』
記憶装置と記録装置は違う箇所にあるのだ。記憶装置はほとんど使ったことがない。遠い昔、主に忠誠を誓ったときと、今このときだけ、だ。
「私も、忘れない」
あなたも、死んでしまった人も。
『──……、』
自身にヒューマノイドモードはない。斥候や偵察兵に向けられた機能は、サウンドウェーブにはない。必要がなかった。
ただ、人間である必要がある。彼女に会う"俺"は。
どうしてこう突き動かされるのだ、とコントロール出来なくなった自身を不思議に思いながら、サウンドウェーブはヒューマノイドの機能を取り込む準備を始めた。
いつからだったか、通信先である彼女の小型の通信機器に気づかれないようデータを送り込んだ。そうすれば今どこにいるのか、分かる。拡大さえすれば、どんな風に歩くかまで見える。だがそれを見ることはしなかった。それをしたからと言って、彼女が衛星に向かって手を振ってくれるわけでもない。初めて彼女に会った日の事は、意識して記録に入れずとも鮮明に記憶していた。
仕事が遅くまで食い込んでしまった。今日のような日は稀で、明るいうちから帰宅する事に慣れきっていたので、夜遅くに歩く事にも、抵抗はなかった。…のだけど。
家の近くの駅から歩く途中、こんな日に限って、ひたひたと何かがついてくる気がした。
何度も振り返ろうと考えたものの、振り返ったあと何かいたらそれはそれで怖いのでやめた。
しかしそれは突然背後を取った。
ぱし、と手首を掴まれる。肩をたたかれるのではなく、手首を掴まれたのだ。
「!!」
男の、赤茶けた髪の色だけが見えた。怖くて声は出なかった。走って逃げようとしたが、掴まれる力が強く、足がもつれた。なんとか振りほどいて、よろけながら走り出した時、携帯と繋いでいたイヤフォンの音楽が止まり、ジ…ジジ、と音がした。
『──その先の三叉路を右だ』
──え?
戸惑いながらも、その声に従った。この声は、夜遅くに聞く、あの声だ。訳が分からないまま、振り向く勇気もなく、背後の男に捕まるまいと逃げた。
『──左奥に路地がある。そこを進め。…俺を信じるか?』
───やっぱり彼だ。
「し、信じる…!!」
いつもの通りに話す彼は淡々と導いた。その淡々さでなぜか安心して、その声を頼る。
路地はまっすぐ続いていた。走っている途中で、小雨が降り出し、顔に冷たい粒が当たった。
けれど、路地の先は行き止まりだった。
「──うそ…」
そんな、
迫ってきた男に叫び声をあげ、肩を乱暴に掴まれた時、男の携帯が鳴った。この状況では取らないであろうと思っていたが、不幸中の幸いとでも言うべきか男は急いで携帯を握り直し、一瞬そちらに気を取られた。連絡してくる相手がいるような態度だった。そのすきに逃げようと思ったが、その腕を振り払う事ができなかった。
「大人しくしろ」
ただそう言われ、するわけがない、と思い暴れた。
携帯に耳を押し当てる男は、片手だけで押さえつけるのは無理があると思ったのか、携帯を肩と耳に挟め、両腕で拘束してきた。とても強い力だ。
「もしもし?ちょっと待ってろ今連れてくから…ってぐああぁあ!!」
携帯が繋がっていたほうの耳を、男は抑えた。腕が外れた。
自由になり立ち上がろうとしたところで、ふわりと抱き止められた。背後の男とは違う、静かな空気をまとっている別の男に。
さっきまでナビをしてくれた"彼"だと、思った。夜に反射した髪の色がダークブルーだ。
「あ…わ…!」
『少し待ってろ…』
ダークブルーの彼は耳を抑えて泣いている男を無慈悲に蹴り上げた。その威力が凄まじく、背筋が凍った。ぐはあ、と血を吐き吹き飛ばされた男は、ビルの壁に叩きつけられ、叩きつけられたときに何かがぱっきりと折れた音がして、そのままぐしゃりと倒れた。…死んでない、よね…
ゆらりと振り向いたダークブルーの髪の男に視線を戻すと、腰を抜かしたこちらに近づいてくるのがわかった。
そして体をするりと抱き上げたかと思うと、無表情で歩き出した。
『こっちだ』
近くのスクラップ置場になった空き地で、ダークブルーの髪の男は、抱き上げていた体を静かに下ろした。小雨はまだ降っている。
ゆっくりと、その姿を見上げる。
『……………』
「……………」
どう言えばいいかわからず、とにかく、お礼を言おうと思った。
「…あ、ありがとうございました…」
『………』
ふたたび見上げると、背の高い彼の髪は、夜に溶ける色だと思った。
『…俺が、わかるか』
見つめてくる瞳の色は、綺麗なルビー色だった。こくん、と頷く。
「髪、ブルーなんだね…、やっぱり」
小雨の音が、微かに聞こえる。
『…もう、気づいているはずだ』
「…………」
『俺の顔は、お前の知人とはかけ離れているだろう?』
「…でも、私はあなたに電話をかけた」
『──……、』
サウンドウェーブは仮面の裏で愕然とした。まさか、まさかだ。
「最初から知ってた」
なんという愚かなミスだったんだと思う。自分が信じられない。騙しているつもりが、この俺が、欺かれていたというのか。言葉が出なかった。空っぽだった。
「友達、だった」
『──………、』
「上海で亡くなって、遺体も戻ってきた」
ではなぜ、宛先のない通信を?
「私、最初から"あなた"が"あなた"だって、わかってた」
『貴様…』
何者なんだ。
なぜかき乱せる?この俺を…
「あなたが拾ってくれて良かったと思ってた。理由はわからないけど」
だからどんな人なのか会ってみたかった、と続けて、彼女が微笑んだ顔を、初めて見た。こんな風に笑うのか。
『──今まで生きてきて、こんなに簡単に欺されたのは初めてだ』
彼女は目を見開き、一瞬声をあげて笑った。
「あなた何?他の人の電話も、盗み聞きするの?それ趣味?」
覗き込んできた虹彩はブラウン。
『…趣味ではない。任務だ』
ふうん、と頷いたノアを見返す。目線が泳ぎ、それから何かを思いついたような口を開いた。小雨ですっかり髪が濡れてしまっていて、束になっている。
「じゃあ私は任務遂行中に見つかってしまった、ってことよね。あなたに」
『……』
彼女が笑うと、記憶装置が稼働する。
『違う』
「え?」
『俺がお前を見つけたのではない』
俺に向けて声を発したのは、後にも先にも、宇宙でお前が初めてだ、ノア。
『お前が俺を見つけたんだ』
そう言うと、なぜか嬉しそうに微笑んだノアはゆっくり近づいてきて、今さらなのに、首に巻いていたストールを広げ、双方の頭に乗せた。
「雨、しのげるかな」
ストールに包まれ、至近距離で、彼女が微笑む。ただ黙ってそれを見た。
「…どんな人なのか会ってみたかった」
『………』
「あ、わすれてた」
弾かれたように呟く。
『…?』
「名前。聞いてなかったよね」
俺たちの宇宙は───
『サウンドウェーブだ』
雨の夜、静かに始まりを告げた。
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