ロマノン | ナノ

29


 現実ネトゲ共に効果時間の決まっているスペルを利用する関係上、秒単位や分単位でカウントすることには慣れているが、何時間単位ともなるとその気も失せる。ひたすら無心で走っていると、横から声がした。

「あれ」
「……、ヒソカ。何?」

 走りながら談笑出来るほどの余裕はないため端的に尋ねる。目線だけで相手を確認する俺とは対照的に、ヒソカは顔ごとこちらを向いていた。その口は三日月型に裂けている。

「箒で飛ばないんだと思って」
「そういう魔法使いじゃないから」

 いいんだよネトゲでは皆地面に足つけて移動してんだから! と言いたいところを大幅に省略する。当たり前だけど、コイツ余裕あるなー。つか俺が追いついたのかヒソカが下がってきたのかどっちだろ。完全に無心だったからわかんないな。

 一度集中が解けると汗が頬を伝って落ちる感覚や、マラソン時特有の喉の痛みが不快になり、走り続けることが苦痛になってくる。

 再び集中するのにヒソカといたらまた話しかけられそうだからペース上げよ、と思った矢先、前方から階段が現れた。階段を視界に入れた者から順にどよめく。

「さて、ちょっとペースを上げますよ」

 ここに来てサトツさんの無慈悲な宣言! ハンターってサディストばっかじゃねーかどうなってんだ!

 あまりのことに脳内で叫びまくるが、口からは荒い息しか出てこなかった。ともかく、これを上りきったら一段落出来る。そう自分に慰めの言葉をかけていると、眼前に黒いものが飛んできた。反射で掴み取れば、それはスーツのジャケットで。この試験でスーツを着ている受験生は俺が知る限り一人しかいない。レオリオだ。

 突然訪れた会話のきっかけにハッとする。これはチャンスでは!? 落し物を届けて好感度アップ! それにレオリオは打算抜きにしても仲良くなりたいタイプだし、応援しているキャラだ。ついでにヒソカとも距離をとれるし行こう今すぐ行こう、とペースを上げる。

 レオリオとは予想外に距離があって疲れた。たぶん向こうもペースアップしたんだろう。息も絶え絶えで「落としましたよ」ではかっこつかないため、少し息を整えてから近寄る。

 上半身裸なのはいいけど、なんでネクタイしてるんだレオリオ。剥き出しの首からネクタイが後ろにはためいているのを見て微妙な気分になる。

「確かにお前は態度は軽薄で頭も悪い」

 レオリオと、その後ろを走るクラピカの会話が聞こえる位置まで来た。クラピカひどすぎワロタ。しかしお話中か、声かけるのはもうちょい待った方がいいよな。再びペースを落とし、話の邪魔にならない位置を保つ。

「だが決して底が浅いとは思わない。金儲けだけが生きがいの人間は何人も見てきたが、お前はそいつらとは違うよ」
「ケッ、理屈っぽいヤローだぜ」

 二人の会話につい懐かしさから笑みが漏れる。そうそう、初期のレオリオは金の亡者みたいな描写が多かったんだよな。でもそれには理由があって――

「緋の眼。クルタ族が狙われた理由だ」

 不意に耳朶を打った言葉に、階段を踏み外しかけた。寸でのところで持ち直し、意思とは関係なく過敏になった聴覚で続きを拾う。

「緋の眼とは、クルタ種族固有の特質を示す。感情が激しく昂ぶると瞳が燃えるような深い緋色になるんだ。その状態で死ぬと緋色は褪せることなく瞳に刻まれたままになる。この緋の輝きは世界七大美色の一つに数えられているほどだ」
「それで幻影旅団に襲われたわけか」
「……うち捨てられた同胞の亡骸からは一つ残らず目が奪い去られていた。今でも彼らの暗い瞳が語りかけてくる。"無念だ"と」

 バクバクと鳴る血流に耳の付け根と心臓、それに頭が痛んだ。クラピカの言葉の節々に込められた怒り、憎しみが肌を刺し、足が重くなる。

「幻影旅団を必ず捕らえてみせる!! 仲間達の目も全て取り返す!!」

 血を吐くような決意の言葉を聞いて、完全に足が止まった。そうだった。クラピカは――

「道の真ん中で立ってると危ないよ」

 降ってきた声に我に返る。背中を軽く押され、走ることを再開しろと促される。あ、ヒソカ、いまの聞いてた? じゃなくて、えっと。

「そんな顔をするなんて、君って思ってたより蜘蛛寄りなんだねえ」

 通り際に耳に吹き込まれた言葉に、横から頭を殴られたような衝撃を受けた。チェシャ猫めいた笑みで過ぎ去っていく背中を放心状態で見つめながら、今までの会話がグルグルと頭を回っていた。

***

 呆然としたまま足だけは動かし、なんとか地上に辿り着いた。眼下に広がる湿原に意識をとられている受験生達とは対照的に、目に映るものへの感想は全く出てこない。荒い息を整えながら、鈍く澱んだ頭で考える。

 クラピカの目的は仇討ちだ。その標的は蜘蛛。登場してから俺が読んでいた30巻まで、それは徹頭徹尾一貫している。実際、クラピカは後に修得する念能力でウボォーギンやパクノダを殺した。ゴンやレオリオはクラピカの復讐に否定的だったが、そのゴン達でさえ止められなかったものを、俺が止められるわけがない。

 そもそも俺にそんな権利はないし、クラピカの抱く気持ちは至極真っ当なものだ。家族を、友達を皆殺しにされて、しかもそれは普通の殺し方じゃなかった。シャル達の顔が頭をちらつく。彼らが、クラピカの仲間を殺した。たぶん、腕相撲をするときのようなノリと表情で。

 ベニグノの顎下を真っ直ぐに狙ってナイフを突き出したクロロ、ビリーを殺したフェイタン。直接見てないだけで、彼らが人の命を奪おうとする機会はたくさんあった。

「ウソだ! そいつはウソをついている!!」

 突然響いた大声に、意識が現実に引き戻される。

 あ、ああ、これか。ニセ試験官騒動ね。ボロボロの体で猿の死体を引きずった男は、サトツさんは偽者の試験官で、これから入るヌメーレ湿原に生息する人面猿が人に擬態した姿だと主張する。受験生を湿原に連れ込んで生け捕りにするつもりだと。

「そいつはハンター試験に集まった受験生を一網打尽にする気だぞ!!」

 男がそう叫んだ瞬間、三枚のトランプが男の顔に刺さった。男はトランプの持つ勢いに押されて仰向けに倒れる。それに対し、サトツさんは自分を狙って飛んできた四枚のトランプ全てをしっかりと受け止め、その場に立っていた。

 トランプを投げた張本人であるヒソカは、死んだふりをやめて逃げ出した猿をついでのように殺し、「これで決定。そっちが本物だね」と呟いた。

「試験官というのは審査委員会から依頼されたハンターが無償で任務につくもの。我々が目指すハンターの端くれともあろう者が、あの程度の攻撃を防げないわけがないからね」

 なるほど理屈としては妥当だが、だからといって殺す理由にはならないであろう理論を当然のように語るヒソカに、俺は恐怖や不満を感じることはあっても本質的な嫌悪感を抱けない。

 いつからだろう。いつから、人が死んでも動揺しなくなったんだろ。人殺しだと改めて実感しても人格の評価には影響しなくなっている自分に気づき、愕然とする。

「ほめ言葉と受け取っておきましょう。しかし、次からはいかなる理由でも私への攻撃は試験官への反逆行為とみなして即失格とします。よろしいですね」
「はいはい」

 受験生がヒソカとサトツさんの会話の軽さに唖然としていると、辺りが羽音で騒がしくなった。どこからともなく飛んできた鳥達が、ヒソカに殺された男の体を貪るようにして啄む。

「あれが敗者の姿です」

 ここが、弱肉強食の世界だからなんだろうか。クロロ達を嫌いになれないのは。

***

 マラソンが再開して、俺は前の方へ行くことにした。ここヌメーレ湿原では、ヒソカが試験官ごっこと称して受験生狩りをすることがわかっていたからだ。それに円もろくに使えない俺では一度はぐれたら合流する手段がなくなるので、霧が濃くなる前にサトツさんの背後へと移動する。すると、すぐ後ろから大声が聞こえた。

「レオリオ――!! クラピカ――!! キルアが前に来た方がいいってさ――!!」

 ゴンだ。遠くから「どアホ――! いけるならとっくにいっとるわい!!」と返す声が聞こえる。

 憧憬、罪悪感、シンパシーと、様々な感情がない交ぜになって後ろを振り返れば、銀髪の少年――キルアと目が合った。ぱっちりとした猫目は、俺を捉えると何故か興味の色を示す。それが意外で、かち合った視線が外せなくなる。

「ねえ、あんたさ、試験前にヒソカと揉めてただろ。なんで?」

 隣りにいるキルアの声に、後ろを見ていたゴンもこちらへ向き直った。興味の理由には納得出来たものの、子どもの目四つに真っ直ぐ見据えられて動揺する。

「揉めてたっていうか……うん、なんだろ。アイツの考えることよくわかんないから」
「その後普通に話してたよな。仲いいわけ?」
「うえっ、いや、肯定はしづらい」

 いまだになんで攻撃されたのかもよくわかってないし。あれが殴り愛によるものなら仲いいと言えるかもしれないけど、その場合俺が嫌だ。

「お兄さんもヒソカと同類なの?」
「ファッ!?」

 ヒソカとの関係をなんと説明すべきか悩んでいるとゴンから発せられた言葉の持つ響きにショックを受ける。慌てて全力で否定した。

「違う違う! 俺は戦闘狂でも快楽殺人鬼でもないよ! あれは巻き込まれただけっていうか!!」
「そっかあ、そうだよね。そんな風には見えないもんね」

 誤解かーみたいな言い方をするゴンを見て、トンパあの野郎俺のことなんて吹き込んだんだよと憤ったとき、あきらかに受験生集団とは離れたところから悲鳴が聞こえた。ゴン達の興味は俺から離れ、そちらへ向く。

 特にゴンはレオリオ達のことを気にしているらしく、しきりに後ろを振り返っていた。キルアがそれをたしなめる。

「ボヤッとすんなよ。人の心配してる場合じゃないだろ」
「うん……」
「見ろよこの霧、前を走る奴がかすんでるぜ。一度はぐれたらもうアウトさ。せいぜい友達の悲鳴が聞こえないように祈るんだな」

 しかしそんなキルアの忠告もむなしく、レオリオの悲鳴が聞こえたらしいゴンは後ろへと走り去ってしまった。俺全然聞こえなかったんだけど。流石すぎるなあの子。

 キルアはチッと舌打ちを一つこぼすと前を向いた。自然、二人の様子を窺っていた俺と目が合う。あれこれデジャヴ。

「……馬鹿だと思わねー? 他人のために自分の合格を棒に振るなんてさ」

 ペースを上げて俺の横まで来ると、キルアはそう言った。馬鹿と言うわりにはキルアの表情には悔しさのようなものが滲んでいて、本心ではないことを悟る。

 気持ちはわからないこともないけど行動に移せないことを悔しがっているのか、それとも理解すら出来ないことを悔しがっているのか。"友達"をというものを渇望しているはずのキルアを今の自分と比べ、複雑な気持ちで見つめる。

「誰にでも出来ることじゃないよね。すごいと思う」
「すごいって……あんた何歳だよ? あいつまだ11歳だぜ?」

 あきらかに年上の者が子どもを尊敬するような発言をしたのが意外だったのか、キルアが片眉を上げて尋ねてきた。自分の精神年齢が決して高くはないことを自覚しているだけに、一瞬答えに詰まる。

「に、24」
「はあ!? あのオッサンより上!?」

 あのオッサンってレオリオのことだろうな、可哀想に。つか言っとくけど俺は日本人としては平均の顔だからな! 特別童顔ってわけじゃないから! 国籍の話は出来ないので心の中だけで反論する。

「……なあ、あんたほんとにヒソカとはどういう関係なの」

 お互い前を向いたまま走っていると、少ししてキルアがそう言った。質問の意図が読めなくてその横顔に視線を送る。キルアの表情は少し硬かった。

「あんたさ、ほんとに違うじゃん。血の臭いがしない。それでヒソカみたいなのと付き合えるもんなの?」
「――うん。付き合えるよ」

 ヒソカとは微妙だけど。キルアの言う人種と付き合えるかどうか、という意味なら可能だ。そう思って肯定した。それと同時に、今まで考えないようにしていたことが灰汁のように湧き出てくる。

 どうしよう。友人のために俺はどうすべきなんだろう。ウエストポーチにしまった携帯が、ずんと重みを増したような気がした。


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