27
ペチペチ、パシパシ、バシバシと頬を叩かれる感触で沈んでいた意識が戻ってくる。何だよ、誰だよ、痛いよ、と顔をしかめて目を開けると、シャルがいた。最後の方だいぶ痛かったんだけど。
「あ、やっと起きた」
……ん? どういう状況? あれ、ここどこ? なんで寝てたんだっけ?
「いてっ」
軽く混乱しながら体を起こすと、左肩に痛みが走った。思わず漏れた声にシャルが反応する。
「ん? どっか傷あった?」
「えーと」
状況を整理しよう。確か、そう、ビリー貴様! な展開だった。うん。毒のせいで体もオーラも頭も思うように使えなくて、さよなら今世するところだったんだ。
「無理な体勢とったから痛めただけ……それより、何でここに?」
ここはどこなのかと辺りを見渡せば、掃除機をかけているシズクが目に入った。物がかなり減っているのでわかりにくいが、おそらく気を失った部屋だろう。
「それよりはこっちの台詞だよ。アカルこそ何死にそうになってるの?」
あっやっぱり死にかけてたんですよね。その割には嘘のように体が軽いんだけど。そしてシャルさんがかつてないほど怒っていらっしゃる。
「たまたまシズクがいたからよかったけど、そうじゃなきゃ死んでたよ」
「えっシズク?」
何でシズク? と彼女を見れば、床にかけていた掃除機を持ち上げて首を傾けた。ギョギョ、と奇妙な声を出す掃除機には鋭い牙と長い舌が。シズクはかわいいけど掃除機がグロい。こっちに向けないで欲しい。
「デメちゃんで毒を吸い出したの」
「え、あ、ありがとう……」
「どういたしまして」
そういえば、そんな機能あったなあの掃除機。もといデメちゃん。見た目はグロテスクだけど、命の恩人(?)になるわけだ。
デメちゃんの見た目はともかく、シズクがそうしてくれたことがすごく意外だった。なんとなく、めちゃくちゃ淡白なイメージだったから。ヒソカと闘ったときのマチみたいに、シャルが頼んでくれたのかな。
「聞いてる!?」
「うえっ、は、はい」
聞いてなかった。ぼうっとシズクの方に向けていた顔をシャルに戻す。ヒソカのときは呆れが強い感じだったのに、今回はめちゃくちゃ怒ってる気がする。
強い視線にたじろぎながらも、元の話がなんだったかを思い出した。何死にそうになってるの、だったな。
「仕事だよ。屋敷の警備。同僚だと思ってた人に毒盛られちゃって」
改めて考えると悲惨だな……俺もう人から飲み物貰えないわ。
「アカルさあ、その毒って飲んだでしょ」
「えっ、う、うん」
なんでわかるんだ。エスパーか。と思っていると、掃除機をかけ終わったシズクが「デメちゃんで吸ったときほとんど口から出てきたから」と言った。あ、なるほどね……ナイフに毒が塗ってあったとかだったら傷口から出てくるんだろうな。
「信じらんない。ムジナに何教えられてるわけ?」
で、出たー、シャルのムジナさん批判と見せかけた俺への嫌味! 今回もムジナさんは関係なくて、単に俺のミスだ。ムジナさんごめん。ちゃんと利き腕庇ったのにな。
己の戦い方について思い返していると、気を失う前に見た人物のことも思い出した。
「そういえば、フェイタン見た気がするんだけど」
というか助けられたような……。本人にその意思があったかどうかは別として。夢じゃないよな? と思いながら尋ねれば、シャルから返ってきたのは肯定の言葉だった。
「そりゃそうだよ。フェイタンがここにアカルがいるって教えてくれたんだもん」
やっぱり夢じゃなかったー! ええー何それデレ!? デレなのフェイタン!
これってあれだよね、死ぬよりは死なない方がいい人間って認識されてるんだよね、たぶん。やっぱり何だかんだ言って認めてくれてるんだなあ……ネトゲで繋ぐ命! これで何度目だろう。ネトゲってすごい!
そんな場合じゃないのについ感動してしまうが、最初の疑問がまだ解消していないことに気づいた。
「そういえば、何でここに?」
「蜘蛛としての活動だよ。レアな拷問道具とかがあるから」
マクレラン氏ェ……えげつない趣味って拷問か。拷問するような人には見えなかったんだけどなあ……本気で人間不信になりそうだ。
「あれ? じゃあビリーって蜘蛛の人なの?」
「誰それ」
間髪入れずに聞き返される。あれれ。
「あ、もしかしてここで死んでた奴のこと? あれは別の盗賊で、表で暴れてた奴らの仲間」
「おお……ん?」
別の盗賊って……獲物が被ったってことだよな?
「ダブルブッキングなんかするものなの?」
「というか、今回はわざと被せたんだよ。あいつらに目が向いてる内にお宝だけ貰っていこうって感じだったわけ。そのつもりでメンバーも選んであるし」
なるほど……体のいい隠れ蓑だったわけね。しかし俺と蜘蛛の仕事と被る率異常だな。お祓い……いや、まあ今回はそのおかげで助かったんだけど。
やっぱりあれ、冗談抜きで死にかけてたんだよな? すでに体はなんともないのでなかなか実感が湧かなかったが、今になってようやく背筋が冷えてきた。意識を手放す前の感覚がフラッシュバックする。
死にそう! とか死ぬかも! って思ったことは何度もあるけど、体の機能的な意味で本当に死にかけたのは初めてだ。意味もなく左腕をさする。
「とにかく、団長達と合流したいから行こうよ」
シャルの言葉に従い立ち上がった。その横顔は険しい。シャルの様子からしても、随分まずい状況にあったことは間違いなかった。
「ごめん」
「……何が?」
「心配かけて。……助けてくれてありがとう」
シャルはため息をつくと、「もういいよ」と言った。
「反省はしてよね」
「うん」
俺、シャルに助けられてばっかだな。
「終わった?」
沈みかけた思考は、シズクから発せられた退屈そうな声で霧散する。そのあまりの空気ブレイカーっぷりに、思わず口元だけで笑っていた。
*** すっごいナチュラルについて来ちゃったけど、俺これからどうすればいいんだ? と気がついたのは、団長ルックのクロロを見てからだった。やっぱり雰囲気全然違うなー。好青年風の時とは別人に見える。
いつもの三割増しの威圧感を放つクロロは、俺とシャルを見ると薄く微笑んだ。
「終わったか」
「オッケー」
シャルと会話を始めたクロロの横には、フェイタンと小さい人がいた。小さい人のところへシズクが寄って行く。
あれってまさか……
「誰?」
「シャルの友達だって」
「ふーん」
小さい人の問いにシズクが答える。前髪の隙間から覗く瞳と目が合ったので会釈した。
「アカルです……よろしくお願いします」
「ボクはコルトピ。よろしくね」
やっぱりコルトピだー! うおお小さい! コロポックルみたい!
俺の中で、コルトピは極悪集団に突如として舞い降りた癒し系というイメージだ。性別不明な感じもたまらん! と思ってたけど、こうして実際に会ってみてもわかんないな。男気溢れる一面もあるし男だとは思うんだけど。
つか来てるのこれだけなんだ。騒がしい系の人が一人もいないじゃんか。ガチで潜入からの脱出って感じだったんだろうな。
コルトピとの出会いに感動していると、クロロがこちらを向いて言った。
「よく会うな」
「本当にね」
別に狙ってやってるわけじゃないから! 偶然だから!
そんな俺の心の叫びを知ってか知らずか、クロロは笑みを深くして言う。
「危ないところを助けたんだから、少しくらい手伝ってくれるだろ?」
「う、う……うん」
そういえばこの前会ったときにそんな話したな。あの時はお断りします状態だったけど、そう言われたら断るわけにはいかない。何をさせられるのかと身構えたが、盗んだ物を車に運ぶのを手伝うだけだった。
昔の俺なら「だけじゃないだろ」と思うところだろうけど、この世界に来てから順調にいかれてきた倫理観によって承諾した。「それくらいなら」と思ってしまったのである。
ふと、興味なさ気に横を歩いていこうとするフェイタンが視界に入り、反射的に声をかける。
「フェイタン」
俺の声に、フェイタンは視線だけをこちらに寄越した。喜怒哀楽の薄い、ニュートラルなその表情に、返ってくるであろう答えの想像がついたが、そのまま気持ちを伝える。
「助けてくれてありがとう」
「別に助けたわけ違うよ」
予想通りの言葉に、やはりと笑ってしまう。笑い出した俺を見て、フェイタンは怪訝そうに眉を顰めた。
「でも助かったから」
「……ならしかり働け」
「うん」
そう言ってさっさと車に向かうフェイタンの背中を見送る。
運ぶ荷物を見ると、「ぶっちゃけ手伝いいらなくね?」という感じの量だった。謎だ。手伝ったって実績を作らせたいのかな。
お宝をスペルでまとめて浮かせていると、コルトピに「何で手で運ばないの?」と尋ねられた。
「魔法使いだから」
「ふーん」
コルトピって話しやすいなあ! 全体的に妖精っぽいよね! などと考えながら運んだ荷物を車のトランクに詰めていると、後ろからクロロが声をかけてくる。
「アカル、これを開けてくれないか?」
そう言って渡されたのは、一見何の変哲もない、金属で出来た箱だった。反射的に凝で確認すると、何やら念がかけられている。
「見ての通り、念で開かないようにされているんだ」
「へー」
あまり深く考えずに、かけられた念を打ち消すように箱へオーラを込めた。そこそこ強い念だ。ほとんど周に近い状態になったところでスペルを唱える。三文字でいいかな。
「『開け』」
カチャ、と音を立てて箱が開いた。いつの間にか隣に来ていたシャルが目を見開いている。その表情を怪訝に思いながらもクロロに箱を手渡すと、受け取ったクロロはニヤリと笑って呟いた。
「やはり、便利な能力だな」
その言葉と表情に、サッと血の気が引く。
あ、もしかして普通開けられない感じ……ですよね。
俺が既に別の人物によって念をかけられた物質を操作する場合、かけられた念の持つ強制力に俺のスペルの強制力が勝てば発動する。つまり、場合によっては除念に近い効果を果たすこともあるんだ。
本物の除念と違って、かけられたオーラに直接干渉出来るわけじゃないから出来ることは限られるし、元々複雑な操作は出来ない。だけど、今回のように「開くな」というごく単純な命令であれば、こちらの「開け」という命令で上書きすることは可能だ。打ち消すだけのオーラを込めさえすれば出来る。理論上、俺の全身全霊をかけたオーラより物質一つに込められたオーラの量が勝らない限り可能なので、まずこちらが勝つ。
戦闘中のように時間やオーラに余裕のない状況では使えない手だが、条件が整ってさえいれば比較的容易に出来ることだった。
「どうも操作系とは能力の発動条件が異なるようだったからな。お前なら出来るかと思ったんだ」
やっちゃったー! 俺の馬鹿! 目をつけられそうなことはしないって決めてたのに! 油断してた。シャルが複雑な表情で見つめてくる。呆れ、驚愕、心配――その他諸々と言ったところか。
「今回だけでなく、今後も是非手伝ってもらいたいものだな」
これってあれじゃない? 手伝わなかったら能力盗まれるフラグじゃない? つか絶対こっちが本命だったろ。わざと作業中に声かけたな。
*** 結局、今後も念で施錠された物の開錠を行うためという名目でクロロと連絡先を交換するはめになった。その都度シャルに頼んだらいいじゃんとも一瞬思ったが、シャルが面倒だし必ず集合メンバーの中にいる保証もないので仕方がない。
そして俺は今、何故か蜘蛛のメンバーと一緒に車に乗りながらこれからのことについて考えていた。ワゴン車なので定員は問題ない。問題なのは何故俺が乗っているのかということだ。
今日の俺すっげー流されまくってる。やっぱり一度意識を失うほど弱ったから頭が働かないのだろうか。
なんか、ずるずると蜘蛛側へ引き摺り込まれているような気がするんだよなあ。少しずつ慣らされていっているような。ほとんど本能に近い理性はそれを良しとしない。だけど、感情的には嫌じゃなかった。それが逆に怖くもある。
でもそんな回りくどいことをしてまで引き込まないといけないような価値は俺にないよな、といつもの結論に戻る。考えすぎだろう、たぶん。自意識過剰とも言う。
そういえば俺の上司はどうなったんだろう。外出するって話は特に聞いてなかったけど。やっぱ殺されちゃったのかな。あ、護衛の人が避難させてるかも。
どっちにしろ、ほとんど意味ないとはいえ盗みに加担しちゃったわけだし、何食わぬ顔で帰るのは無理だよな。
前の仕事も書類上はバックレになってるし、今回もバックレ……ひどいな。しかもこれムジナさんの実績に反映されるんだよね? ムジナさんがバックレ常習犯としてブラックリストに載っちゃうんじゃ……そんな物があるのかどうかは知らないけど。あんまりひどいとムジナさんからまたお怒りの電話が来そうだ。
言い訳メールを送ろうかと携帯を取り出して、やめた。死にかけたという話はしたくなかったし、適当な嘘をついて誤魔化す気にもなれなかったからだ。
次から難易度下げればいいや。早く店長の元へ帰りたいけど、死んだら元も子もない。
今回のことで、俺は実力不足を痛感していた。正直、ちょっと調子に乗ってたと思う。いろいろと反省しながら、ワゴンとは思えないスピードで走る車に揺られること一時間半。車が止まったので辺りを見渡したら、なんとコンビニの駐車場だった。
「はー休憩ー。誰か運転代わってよ」
今まで運転していたシャルが首を鳴らしながら言う。
そんな、普通の若者みたいな主張をするとは……それにしてはかなり速度出てたけどね。
誰か、とは言ったものの、周りを見渡せば何故かシズクとフェイタンはシカトモードだし、コルトピは身長的に無理なのが明らかだ。
シャルも今いるメンバーの中では頼める相手が限られていることに気づいたらしく、俺に向き直って言った。
「アカル運転出来ないの?」
「いや俺免許持ってないし」
「そんなの、ここにいる誰も持ってないよ」
なん、だと……?
一瞬唖然としたが、よく考えたら当然のことだった。皆戸籍ないから免許取れないもんな。俺も例に漏れずだし。
「運転したことない」
「やってみたら?」
うーん。ゲームでもカーレース系にはそそられないから数えるほどしかやってないしなあ。車の運転に関しては全くの素人だ。
「事故を起こさない自信がない」
「それは困るな」
正直にそう答えると、今まで黙っていたクロロが口を挟んできた。フェイタンも睨むようにこちらを見ている。確かに、盗んだ物が壊れる可能性が高いもんね。で、拷問道具があるからフェイタンは壊したら殺すって目をしてるのね。怖いよ!
「仕方ない。オレが運転しよう」
クロロがそう主張したが、シャルは途端に拗ねたような顔になった。
「えーっ、それじゃあ結局オレがするしかないじゃん」
もー、と怒りながらシャルが運転席に戻る。それじゃあ結局ってどういう意味だろう。団長に運転なんかさせられない! ってことなのかな。
なんか申し訳なかったので、コンビニで飴やガムを買い、それを渡す係として助手席についた。
「なんかごめんね」
「いいよ別に。言ってみただけだから。あ、飴頂戴」
「ん」
シャルに渡した後、自分の口にも入れながら話を続ける。
「さっきさあ」
「んー?」
「買い物してたら周りの人にめちゃくちゃ見られたんだけど」
何でだろ? と聞くと、シャルは前を向いたまま笑って言った。
「アカル血まみれだもん」
「えっ!?」
「背中。返り血で」
??? 心当たりがな……あっ! あれだ、ビリーのだ! フェイタンが助けてくれたときに降ってきたのって血か! 通りで血生臭いと思った……てっきり周りの皆とか拷問道具に染みついた臭いかと。
慌てて羽織っていたパーカーを脱いで確かめると、かなりの部分が赤黒くなっていた。うへあ……この服捨てよう……。つか気づけよって感じだな。
デメちゃんに吸われたのか、気がついたときにはもう死体は無かったからいまいち実感湧かなかったけど、やっぱりあの人死んだんだな。
――あの人は俺を殺す気だった。俺の実力が足りなくて出来なかっただけで、本来殺されないためには殺すしか方法は無かっただろう。
たまたま、フェイタンが代わりにやってくれただけだ。嘆くことはない。
そう思うのに、顔の造形は微妙な割にどこか愛嬌のある笑顔が脳裏をチラついて離れなかった。
prev /
next