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※同性同士でのキスシーンがあります。※酔っ払いゆえの行動であり同性愛者は一人もいませんが、そういう描写が嫌いな方はご注意ください。
傾けた缶から流れる液体を、喉を鳴らして一気に飲み干す。焼けるような熱さが食道を通って胃に落ちていくのがわかった。カンッと高い音が重なる。
「かーっ、引き分けか!」
「なかなかやるじゃねえか。骨のあるヤツだ」
頭が、靄がかったように鈍い。全身の気だるさも相まって、ソファに沈み込むように体を預けた。緩めていたネクタイを完全に解いて捨てる。ウボォーギンが呵々と笑って、よく通る声で話しかけてきた。
「おっ、目が据わってきたな。やっと回ってきたってところか?」
「……うん、きた、かも」
重心を頭に取られる感覚にふらつきながら立ち上がる。一瞬、腹の中の熱がひときわ自己主張するように燃えた。
「なんだ、リタイアか?」
「トイレ」
「ならちゃんと帰ってこいよ。帰ってきたら勝負再開だ」
「おっけー」
軽い調子で言ってソファを避ける。そのままラウンジを出ると、暖房であたためられた生温い空気が頬を撫でた。廊下の標識の通りに歩いてトイレへと向かう。すると、ちょうどトイレから出てきたらしいシャルと遭遇した。
「あー。シャル」
「アカル強すぎ。まだ一回も吐いてなくない?」
「あはは」
込み上げる笑いを口からそのまま出しながら、シャルの手を掴む。手のひらを親指で擦ると、シャルの手が痙攣するように動いた。ひんやりしてて気持ちいい。
「な、なに?」
「冷たい」
「手洗ったからね。てか、アカルさ、もしかして結構酔っ……」
柔らかいものが唇に当たる。すると、すぐ近くで間の抜けた声がした。
「え」
落ちた言葉の形に動くのを構わず追う。触れる弾力を味わうのが楽しくて、つい吐息とともに笑みが零れた。
「ふふふ」
「ちょっ……ま、酔ってるだろ!」
「シャルの唇やわらかい」
「これかー、最悪の酔い方ってこれかー。見境なしなのはダメだね確か、にっ……しかもしつこい!」
掴まれた肩のシャツ越しに伝わる冷たさに一瞬意識をとられるが、すぐに口寂しさが胸の奥から湧いてくる。
「だめ?」
「ダメダメ! ほら、トイレ行くんだろ!」
あーそうだった。忘れてた。
「水持って来てあげるからここで待っててよ。動かないでよね!」
「はーい」
もたつきながら用を足して手を洗う。自分の吐く息の熱さに余計に酔いが回りそうだ。洗面台に手をついて、しばし呆然と思考を停止させる。
ふと、ウボォーギン達が待っていたことを思い出した。帰らなきゃ、とトイレを出てラウンジへと戻る。すると、ウボォーギンとフィンクスが脱いでいるところだった。盛り上がってるな。
「あっ! 待っててって言ったのに!」
横から抑えた声が聞こえたと思ったら、グイッと声のした方向に引っ張られた。そのままカウンターの中に隠れるような体勢にさせられる。
「もう! ほら、水飲んで」
声の主、シャルに冷たいグラスを渡されたので一気にあおった。その味に首を傾げる。……水?
「……酒の味がする」
「口の中に味が残ってるんだよ。それはちゃんと……ぶっ」
「ね?」
「ね? じゃないよ……あーもう、酔わそうとしたのはオレだけど、今すっごい後悔してる」
「どうしたんだ?」
頭を抱えてしまったシャルを眺めていると、上から突然クロロの声がした。クロロはカウンターに乗り上げているのか、覗きこむようにしてこちらを見ている。
「随分面白いことになってるな」
「クロロー」
「団長助けて」
クロロが手を伸ばしてきたので、掴んで立ち上がった。手のひらに付いていた結露した水滴がお互いの体温でぬるく拡がるのを感じながら、手を握ったまま横にふらつく。
「だいぶ酔ってるな」
「んー」
少しだけ上にある目を見つめる。その瞳はしっとりと濡れていて美しい。いつ見ても綺麗な顔だなあ、とつい吸い寄せられるように動いた。
「わっ……」
「ちょっと!」
「あらあら」
あれ、女の子の声がする。聞こえた声に辺りを見渡せば、クロロの隣に座っていたらしいマチとパクノダを見つけた。
「マチとパクノダだーやっほー」
クロロの手を握っているので口だけでそう言うと、パクノダが笑って手を振り返してくれる。マチはこちらを見ながら何故かすごく驚いたような、唖然とした表情をしていた。後ろに何かあるのかと振り返るが、特に目を引くものは見当たらない。
「後で記憶がどうなっているか楽しみだな。残るなら面白い」
「なに冷静に言ってるのさ」
「本当に見境なしだし……信じられない」
「なんだ、シャルもされたのか」
「キス魔なのかしら?」
首を傾げつつ前に向き直ると、横を向いたクロロの無防備な唇が目に入ったので顔を寄せる。触れる寸前、こちらを見た瞳と目が合った。
「って、また! 団長も抵抗しなよ!」
「別に減るものでもないし構わない。それより正気に戻ったときにどんな反応を示すか気になるんでな」
「悪趣味……」
「もし忘れてたらお手伝いします」
「頼む」
「パクまで!」
目の前で繰り広げられる会話が全く頭に入らずしばらくボーッとする。ふと、よく響く声が耳に入ってきた。
「おうお前らなにしてんだ? アカル! 帰ってきたんなら勝負再開しようぜ!」
「ウボォーさん」
「ウボォーでいいって言ってんだろ! 団長、コイツ借りるぜ」
「ああ」
「ちょっ……まだ飲ますの?」
「まだ自分の足で立ってんじゃねえか! だろ?」
「だよー。飲もー!」
ウボォーギンと肩を組むようにして(実際は腕が届かないので背中だけど)元いたテーブル席に戻る。席にはフィンクスとフェイタンがいた。
「あれ、フェイタンもこっち来たの」
「文句あるか」
「んーん、うれしー」
「コイツだいぶイカレてんな」
「条件はぶっ倒れるまでなんだからセーフだろ?」
「ま、しゃあねえ」
ウボォーがカウンター下の冷蔵庫から取ってきたビールの缶を机の上に広げていく。その内の四缶だけ、プルタブを開けてそれぞれに渡してきた。
「ビリがペナルティでもう一缶な」
「ああ」
「おっけー」
「わかたよ」
「レディ……ゴッ!」
宣言と共に一気に飲んでいき、飲み干すと同時に缶を握り潰す。
「っし!」
「お、気合い入ってるな」
順位はウボォーギン、フェイタン、俺、フィンクスだった。ビリになったフィンクスが驚きに声を上げる。
「マジかよ!? お前しぶてえな」
「フィンクスなまたね」
「こっちは昼から飲んでんだっつの」
「それ言たらウボォーも同じ」
「チッ」
フェイタンの言葉に舌打ちすると、フィンクスは自分でプルタブを開けて飲み始めた。それを横目につい思考が口から漏れてしまう。
「あーくらくらする」
「せかくワタシ来たのに逃げる許さないよ」
「フェイターン」
悪い笑みを浮かべて歓迎するようなことを言うフェイタンに嬉しくなって顔を近づけたら、間にビールの缶を入れられた。缶に唇が当たって冷たい。缶ごしに目があって、あまりいいとは言えない目付きで尋ねられる。
「何するか」
「キスしよーよ」
「ぶぼっ」
「フィンクスペナルティ追加な」
「ばっ、オレよりソイツどうにかしろよきめえな!」
「するならフィンクスとするね」
「ざけんなやめろ!!」
「ねえねえ」
「寄るな、暑い」
「フィンクス早く飲めよ」
「あー飲む飲む、飲むからソイツにも何か飲ませとけ。喋らすとロクなことねー」
フェイタンが持っていた缶をそのまま渡してきた。ずっしりとした缶もフェイタンの手も冷たくて気持ちいい。
「それ飲め」
「飲んだらキスしてくれる?」
「考えてやる」
唇の端だけを持ち上げるような笑みに、言われるまま手の中のものを飲み干した。
***「申し訳ございませんでした」
目が覚めて一番に放った言葉はそれだった。新年早々、凄惨たる発言だと思う。
やってしまった……あれだけもうお酒は飲まないと誓ったのに。そもそも、一度飲み始めたら途中でやめられないに決まってたんだよな。途中でやめられるような人間ならあんな酔い方しないだろうし。
ちなみに、今俺は飲んだホテルの客室で土下座している。相手はシャルだ。
「覚えてるんだ?」
「俺記憶飛ばないタイプだから……」
俺の場合、記憶が飛んでいたらそれは意識が飛んだということだ。さすがに意識が飛ぶ直前のことは朧気になるけど、それまではハッキリ覚えている。
クロロとパクノダの悪ノリ発言も覚えてるよ! それを責める権利が俺にはないけどね! フェイタンのあれは……たぶんしてない、てか出来ないように潰されたんだと思う。
しかし俺、フェイタンに何て恐ろしいことを頼んだのか……ぼんやりとしか覚えてないけど、うまくあしらわれていた気がする。相手がフェイタンでさえなければ、ある意味対応としては一番ありがたいような。
土下座しながら昨夜の記憶をたぐっていると、シャルがため息をついた。
「まあ、誘ったのはこっちだから強く言えないけどさ……マチとフィンクス以外はあんまり気にしてなかったし」
マチーーー!! 引かれた! ですよね!! フィンクスは正直そんなだけど、マチに引かれたとなるとショックだ。いや、まあ、引くよね……。
「とりあえず、起きたなら朝ごはん食べに行こうよ。一応もう各自解散だけど、チェックアウトまでは時間あるし」
「わかった」
幸いだったのはシャルがあまり気にしてなさそうなことか……呆れてはいるみたいだけど。これが原因で友情ブレイクしたことあったからね、俺。
廊下に出て並んで歩く。そもそもここ何階? 誰が運んでくれたんだろ。シャルかな。シャルに尋ねようとすると、逆にそのシャルから別のことを尋ねられる。
「ていうか、なんで女子にはしなかったの?」
「……なんででしょうね」
俺もわからないよ。完全に衝動で動いてたからね。
「キス魔ってそのとき一番近くにいる人にするものよ」
「!?」
「そうなの?」
突然の声に驚いた俺とは違って、シャルは初めからそこにいるのがわかっていたように返事をする。声の主、パクノダは廊下の曲がり角から現れた。
びっくりした……全然気配なかったぞ。パクノダはヒール履いてるけど絨毯に足音が吸収されてるし、俺自身が気配に敏感な方でもないから完全に不意打ちだった。驚きで高鳴る鼓動を抑えていると、パクノダが微笑んできた。
「おはよう。昨日は楽しめたみたいね? アカル」
「はい、その節は誠に申し訳なく……」
「あらいいのよ、お酒の席のことなんだから。キスされた人で、そのことを気にしてる人もいないでしょう?」
「みたいですね」
完全に面白がってた人もいたしね。引いてた人がいることも事実だけど。
「女の子に無理やりするのは問題だと思うけど、今回は同性だけだったし、大したことじゃないと思うわ」
むしろ同性だからこそのダメージがあると思うんだけど……被害者じゃないから別にって感じなんだろうな。確かに、女の子に無理やりって完全に犯罪だし、まだマシだったと思うべきなのかもしれない。
「まあでも、お酒はほどほどにね」
ですよね。
***「起きたか」
シャルとバイキングスペースへ行くと、クロロがコーヒーブレイク中だった。相変わらずイケメン。少しは浮腫んだりしろよ。
「昨日は楽しめたようだな」
パクノダと同じこと言ってる! でもクロロが言うとものすごく嫌味に聞こえる、不思議!
「申し訳ないです……」
「記憶はあるのか?」
「残念ながら」
「今の気分はどうだ」
何この質問。意地悪にもほどがあるだろ。語尾に「ん?」とでも付いていそうな雰囲気のクロロにちょっとムカつく。しかし、加害者である俺には答えるしかない。
「申し訳ない気持ちでいっぱいです」
「あれが本質ではないのか?」
「ちがっ……違うよ!」
「はいはいそこまで、とりあえず食事しようよ。他のメンバーは?」
「ウボォー達は帰ったようだな。残ってる者でまだ見ていないのはシズク、マチ、フェイタンか」
ウボォーギン達もう帰っちゃったのか。すごく楽しかった(そのせいで飲みすぎたとも言える)からまだ話したかったんだけどな。ノブナガとフランクリンは俺が悪酔いする前に引き上げてたから、昨日のこと知らないと思うんだけどどうだろう。誰かが教えちゃってるのかな。
とりあえずバイキングコーナーで好きなものを探す。飲んだ次の日と言えばみそ汁なんだけど、なかった。さみしい。仕方ないのでコメソメスープを飲んでいると、フェイタン達が揃ってやって来た。すると、フェイタンが俺を指差して言う。
「ホモがいるね」
「あれ、シャルの友達ってホモだったの?」
「違うから! あれはそういうんじゃないから!」
「…………」
「あっ、マ、マチ……」
完全に引いてる、この顔は完全に引きまくっている。
「あれって何?」
「昨日コイツワタシに……」
「わーっわーっわーっ!」
笑顔と言うには禍々しすぎる、サドっ気全開の笑顔でシズクに教えようとするフェイタンを全力で阻止した。完全に俺の反応を見て楽しんでるよ……。
ドッと疲れた俺の横で、マチがフェイタンに硬い声で尋ねる。
「……フェイタンにもしたのかい?」
「させるわけないね。潰したよ」
あっよかった……予想通り未遂で終わっていたようだ。だけど、尋ねたマチの顔が盛大に引きつっている。マチ的には実際にしたかどうかよりも、しようとしたことが問題なんだろう。マチの中の俺への評価が一晩で大暴落してる気がするんだけど。泣きたい。
何やら考えごとをしていたシズクが、閃いたように言った。
「ホモと友達ってことは、シャルもホモだったの?」
シズクさんそれ大いなる誤解かつ偏見!
*** その後いくら説明してもシズクの誤解が解けることはなく、完全にシズクの中で俺=ホモと定義づけられてしまった。自業自得とは言え心に傷を負った俺は、朝ごはんを食べたらすぐに退却することにした。
シャルに別れを告げて飛行船に乗り、行きと同じく半日かけて天空闘技場へと戻ってくる。
着慣れないスーツからスウェットに着替え、即ネトゲにインした。いつもの面子でインしていたのはミルキだけだった。二人ともホテルから自宅が遠いのか、もしかしたら残ってたメンバーで仕事してるのかもしれない。
そういえばシャル達に新年の挨拶し忘れてたな。それどころじゃなかったし。
『いーん。ミルキあけおめー』
『あけおめ。アカルが二日もインしないなんて珍しいな』
『飲み会してたー』
『マジか。あ、もしかしてシャルとフェイも?』
『ご明察!というか、俺はシャル達の職場の飲み会になぜか参加させられてたww』
『イミフww場違いww』
『wwww俺帰ってきたばっかだからシャワー浴びてくるね』
『五分な』
『おkww』
『嘘だよゆっくりしろww』
『ミルキやさしい』
『だろ?』
『wwww』
『wwww』
あー、このノリすごくホッとする。久しぶりに飲み会ノリを味わったから疲れた。あれはあれですごく楽しいんだけどね。またしばらくは引きこもろう、そう決意した正月だった。
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