ロマノン | ナノ

09


 押し込まれた先は、薄暗い小部屋だった。俺が借りていた部屋の三分の一くらいの大きさで、壁も床も、全てがコンクリート打ちっぱなしだ。壁に等間隔に五百円玉大の穴が開いている以外の特徴はなく、家具の類が一切ないこととも相まってなんとなく寒々しい印象を受けた。

 ええー何コレ、自分の部屋の下に更に部屋があることに全く気づかないってどうなの。ウロウロと部屋の中を探り歩く俺に、店長が声をかけてきた。

「オイ、そこは駄目だ。こっちに三歩ずれろ」
「は、はい」

 慌てて言われた通りに動いた俺を確認すると、店長は壁にある穴のひとつに指を嵌める。ピッ、と甲高い音がしたと思ったらさっきまで俺が立っていた床が斜め上に開いた。つまり、あそこに立ったままだと後ろに倒れて壁に頭を打つところだったわけだ。ひっくり返る自分を想像する。自分で言うのもなんだが、凄く似合う。

 馬鹿な想像をしていると、入ってきた扉の閉まる音がした。警戒に体が強張る。

「下が開くと上が閉まるようになってんだ。降りろ」

 ホッと力を抜いて四角く穴の開いた床を見ると、人一人通れる大きさの空洞があった。奥には更に地下へと続く梯子が見える。言われた通り梯子を掴んで下って行くと、まだ部屋に残っているらしい店長の話し声が聞こえた。

「ムジナ、奴が来た。店へは来るな。潜れ……ああ、そうだ。D‐2で待ってろ」

 電話でもしているのか、店長の声しか聞こえない。奴というのは十中八九クロロのことだろう。クロロは店長たちと本当に知り合いだったのか。でも慌てて地下へと潜っている現状を考えれば、良い知り合いでないのは間違いない。急いで伝えに帰ってきてよかった、という気持ちとはじめから伝えておけば、という気持ちが交錯する。

 落ち込んだ気分のまま長い梯子を降りると、広く薄暗い空間に出た。これってもしかして……

「下水道?」

 見るのは初めてだけど、恐らくそうだ。トンネル型の天井に、少し臭いのする川のようなもの。それを挟むようにして続く道がふたつ。ところどころカンテラのようなものがあり、その周囲だけが明るくなっている。フィクションでしか知らない光景に目を丸くする。

「アカル」

 後ろから声をかけられて振り返れば、店長が梯子を降りてくるところだった。大きい体を丸めて窮屈そうに降りてきた店長を見て、現状への疑問よりも罪悪感が込み上げる。

「店長……」
「詳しい話は後だ。ムジナと合流するぞ」

 そう言うと店長は薄暗い道を迷いなく歩き出した。よく見ると下水沿いの道以外にも色んなところに分かれ道があって、かなり複雑な造りをしている。慣れた者でないと迷ってしまうだろう。というより、慣れてても迷うんじゃないか?

 自力では絶対戻れないなと思うほどの距離を歩いて、ピザを焼く石窯のような扉の前まで来た。目線より少し高い位置にあるその扉は、サイズも石窯の扉を少し大きくした感じで、え? 店長ここ入れるの? と余計な心配をせずにはいられない。

「ムジナ、俺だ」

 店長がノックしながら言うと、扉がこちら側に開いた。中から銃を抱えたムジナさんが顔を出す。銃の種類はわからないが、その物々しさに思わずたじろいだ。固い表情をしているであろう俺を見て、ムジナさんは口元だけで笑う。

「やぁ、アカル。三週間ぶりくらいかな?」
「ムジナさん……」

 店長に先に入るよう促され、中からも手を伸ばされた。恐る恐るその手を掴むと、心の準備をする間もなく強い力で引き上げられる。ムジナさん力強ぇー。続いて店長ものっそりと入ってきて、扉が閉められた。

 そこは俺が借りていた部屋によく似ていた。ベッドに机、冷蔵庫、簡易キッチンもある。恐らく奥にシャワー室も付いているだろう。

「状況は?」

 厳しい顔でムジナさんが尋ねた。

「アカルが知らせて来た」
「? どういうこと?」

 返ってきた答えに怪訝そうな顔をするムジナさんと、こちらを見る店長の会話にハッとする。

「えっと、昨日、クロロって人が店長の知り合いだってやって来て……」
「昨日……もしかして言ってた奴か」
「そうなんです、すみません。驚かせたいから内緒にしてって言われて信じちゃって……」

 情けなさに涙が出そうになるが、なんとか堪えて続きを話す。

「で、今日も会ったんです。今なら店長いますよって言ったんですけど、何故かご飯に誘われて。おかしいなーと思ったんで、店長に言われた通り目をよく見てみたら、笑顔なのに目が笑ってないことに気づいて。出会ったときの会話とか色々考えたら、もしかして情報を引き出されてるんじゃないか? って。急いで店長に確認しに帰ったんです。クロロって人と知り合いかって」

 話せば話すほど目線を上げてられなくて、顔ごと下へ向く。前を向いてはっきり聞こえるように話すべきだと思うのに、声は震えるし下げた顔が邪魔でくぐもった音になるのがわかった。それでも顔を上げることが出来なくて、膝の上で握り締めた拳を見つめ続ける。

 怖い。でも、これは言わなきゃ。

「で、……すみません。昨日、店長が店にいない時間があることを言ってしまいました」
「…………」
「他には特に情報らしい情報は渡してないと思います。たぶん、ですけど」

 緊張して、心臓の音がうるさい。他には何もない、はず。ぐるぐると考えていると、上からフーと息が漏れる音がした。音の高さ的にムジナさんのものだ。

「顔、上げて。ウィルも私も別に怒ってないから」

 言われて顔を上げる。ムジナさんの表情はさっきまでの厳しい顔とは違い、どこか気の抜けたような顔に見えた。

「ちょっと予想外だね。むしろ、素人がアイツ相手によく気づいたと思うよ」

 そう言うと、ムジナさんは少し笑って、「正直驚いてる」とこぼした。

「俺もだ。それとお前が心配してる漏らした情報だが、既に地下に潜った以上、なんの価値もない情報だ。だからそんなに暗くなるな」

 そう言ってこちらを見つめる店長の目は、やっぱり優しかった。途端に胸が熱くなって、込み上げるものに思考が乱される。

 ほんとに? 俺が気にしないように言ってるんじゃなくて? 俺は、そんな優しい目で見られてもいいの?

 不安を振り払うように、ポン、と頭に大きな手のひらが乗せられた。

「よく知らせてくれた。助かった」

 掛けられた言葉と手のひらの温かさに、じわっと涙が滲むのがわかった。

「店長ぉ……!!」
「あー、ハイハイ、そういうのは私のいないところでやってくれる?」
「グッ」

 思わず抱きつきそうになった俺を、ムジナさんの細い腕が止める。見た目からは想像も出来ないほどの力強さで、コンクリートにぶつかったかのような衝撃を受けた。そのままついムキになって押し返すがビクともしない。

 ぐ、お、おお……だめだ。やっぱりだいぶ力あるよねムジナさん。

 ムジナさんの物理的な妨害により感激ムードが一気に霧散すると、今度は今まで流していた疑問が首をもたげてきた。腕から手を離し、体勢を整えてから尋ねる。

「ところで、お二人とクロロ……さんってどういう関係なんですか?」

 俺の問いに、ムジナさんが一瞬真顔になった。一拍置いて答えが返ってくる。

「……クロロと私が追う者と追われる者」

 店長は? てか曖昧ー。知られたくないってことですね、すみません! 好感度が足りなかったか……と自分の世界に入る俺を無視して、ムジナさんは言葉を続けた。

「ちなみに、アイツはA級賞金首の幻影旅団の団長」
「えっ」

 知ってたけど驚く。何度考えてもひどい死亡フラグだよな。乗り越えられてホッとするわ、と今更ながらも己の幸運を噛み締めた。そしていくら待ってもムジナさんや店長の社会的立場の説明はなかった。好感度が(ry

「とにかく、地下に潜ってればアイツは絶対追って来ないし、私達は大丈夫」

 地下に潜ってれば追って来ないっていうのはなんとなくわかる。こんなに複雑な造りの地下道を何も見ずに歩けるってことは、かなり土地勘があるんだろう。素人目にも待ち伏せに向いた構造だったし、追いかける側にとって圧倒的に不利な場所だ。

「問題はキミ」
「へ?」

 話を締めるように言われた内容に頷いていると、続けられた予想外の台詞に思考が止まった。

「クロロがキミに接触したのは、キミの想像通り、情報を引き出しやすいと踏んだため。それなのに大した情報は得られず、まんまと逃げられた。……間違いなく目を付けられたね」

 …………え?

「私達は上でクロロと遭遇しても自力で逃げられるけど、今のキミには絶対無理。しばらく上に行かない方がいいよ」

 ええええー……何、その逆恨み的なの。俺が一週間で精孔を開いちゃったときのムジナさんに通じるものがある。何の取り柄もない馬鹿だと思って油断してたらやられたぜみたいな? プライド高い人ってみんなこうなの? 理不尽なのはよくないと思います。

「さて」

 あまりの理不尽さに言葉を失っていると、ムジナさんが改まって言った。なんだなんだ。

「予定より一週間早いけど、発の訓練を始める」
「えっ……ここで?」

 ていうか、この流れで? 突然何言い出すんだこの人、という思いが顔に書いてあったのか、ムジナさんは怒りだした。

「キミ、話聞いてた? キミはA級首に目を付けられている。上には出られない。なら、ここで強くなるしかないでしょ」

 あ、そっすね……そうか? いまいち理解できない、論理の飛躍を感じてしまう様子の俺を見て、ムジナさんがため息をついた。

「……キミにもわかりやすく言うと、もしキミが上でクロロやその仲間に捕まった場合、拷問の末私やウィルの情報を吐かされる。それを避けるために、最低限奴らと出会っても逃げられるだけの実力をつけなければならない」
「それはマズいですね、やりましょう!」

 ようやく現状のやばさを理解した俺は、声高らかに宣言した。まだ終わってなかった! はじまりだった! と恐怖にテンションがおかしくなる。

 よく考えたら蜘蛛には拷問得意な人もいるしね! それにもしパクノダがいれば、拷問するまでもなく情報を引き出されてしまうだろう。昨日の二の舞だけは嫌だった。

「キミって呑気だったりそうじゃなかったり、よくわからないな……」

 呆れたような、引いたような表情でムジナさんが呟く。平和ボケしてるんです、ハイ。

「ま、とりあえず水見式がどれだけ出来るようになったか見せてもらおうかな。随分頑張ったらしいじゃない?」
「え、っ……!」

 唇を吊り上げて言われた言葉にバッと店長を見ると、小さく頷かれた。店長、俺のことムジナさんになんて報告したんだろう……! 思わず胸が高鳴る。

「ワイングラスより分厚いけど……もう大丈夫でしょ」

 そう言ってムジナさんが食器棚から取り出したのは白いマグカップだった。出たな、前の俺では無理だと言われたマグカップ……!

「葉っぱはないけど、キミの変化には関係ないからそのままやって」
「はい!」

 水を注いだマグカップに向かって練をする。透明だった水はすぐにピンク色になった。……何度見ても嫌だな、この色。

「うん。速度、変化共に及第点」
「おおー」

 よかったー。店長にお世話してもらった甲斐があると言うものだ。そういえば、店長は俺が気づいていることに気づいてるのかな? 今度聞いてみよう、と思っていると、マグカップの中を覗いていた店長が「これなら問題ないな」と言った。

「では、次のステップに入る」

 前から思ってたんだけど、ムジナさんって修行のときだけ話し方がビミョーに固くなるよね。今の言い方なんて、教官! って呼びたくなる言い方だった。

「自分の能力について、どこまで考えてる?」

 ムジナさんの質問に、用意しておいた答えを返す。

「基本は放出系の能力。言葉に念を乗せて唱えることで、自己強化や物質の操作を行う。念を乗せた言葉は詠唱となって、この詠唱が長ければ長いほど、また、表現が多彩であればあるほど強大な力が使える……って感じです」
「うん。念能力には制約と誓約というものがあって、ようはリスクが高いものほどリターンも大きい。キミの場合、声を発しないと能力が発動しないというリスクを背負うことで、ある程度の力を使うことが出来る。喉を潰されたり、猿轡を噛まされたら使えない。普通はこういう、発動自体が出来なくなるおそれの高い条件は付けない。リスクが高いからね。特にキミの能力は詠唱することが発動条件だと一目でわかる。つまり、妨害される可能性が高い」

 俺が発について真面目に考え出した際にまず決めたのは発動条件だった。発動条件が厳しいほど強大な能力を使えるけど、厳しすぎて使い勝手が悪くなるのは困る。それを踏まえた上で付けた基本的な条件が、『言葉に念を乗せること』。声やオーラを出せないと使えないというもの。ただ、これだけでは弱い。

 だから追加条件として、『より妨害されやすい状況であればあるほど強力な技が使える』というものを付けた。つまり、詠唱が長ければ長いほどってことだ。これは魔法がそうだから。俺はまだ制約と誓約の話は教わってなかったから詳しくは言わなかったけど、ムジナさんはうまく汲み取ってくれたようだった。

「だから、詠唱が長ければ長いほど強力……って言うのは理に適ってる。それだけリスクを背負うということだから。つまり、キミはその場でリスクを抑えるかどうかを選択出来るわけだ」

 ムジナさんは「よく考えてあるね」と呟いた。

「制約と誓約の話はしてなかったと思うけど……もしかして、また魔法?」
「はい! 魔法は強力なものほど詠唱長いのは常識ですから! ノーリスクなものなんてこの世にな……いひゃいっ」

 にっこり笑って言えば、頬をつねられた。ぎりぎりぎり、と音がしそうなほど強くつねられて涙目になる。

「キミにそんなこと言われなくてもわかってるっての! それより、キミこそ本当にわかってるの? 実力者を前に長い詠唱とやらを唱えるのがどれだけ難しいか!」
「き、きひぉんはじこひょうかからはいふふもりでふ」

 基本は自己強化から入るつもりです、って言ったんだけど伝わったかな。つかマジで痛い。

「ムジナ、離してやれ」
「はいはい」

 千切れる! 千切れちゃう! と手をバンバンさせていると、鶴の一声、もとい店長のお言葉によりムジナさんの爪から解放された。めちゃくちゃ痛いんだけど……。

「自己強化ねぇ……それもどの程度出来るかが問題って感じ」
「うう……」

 胡乱げな目で見られて言葉に詰まる。ですよねーって感じだ。俺強化系じゃないし。あくまでも補助機能だ。

「まあ、ムジナはこう言うが、俺は面白いと思うぞ」
「店長ぉ……!!」
「ウィルはアカルに甘い!!」

 優しい言葉をかけてくれる店長に対し、ムジナさんがかつてないほど声を荒げた。びっくりした。え? なに、嫉妬? 嫉妬なの? もしかして:ジェラシーなの? 困惑する俺をよそに二人の会話は続く。

「いや、確かに今のアカルの実力じゃ微妙な能力だが、ある程度の実力者が使えばかなり使い勝手のいい能力になると思わねえか?」
「……まあ、ね。身の丈に合ってないとも言うけど」
「そんなもん、合うように鍛えてやりゃあいいじゃねぇか」

 ニヤリと店長が笑った。その顔やばい、めちゃくちゃカッコいいです……!

「そう……そうだね。フフッ」

 しかし鼓動が高鳴ったのも束の間、店長と同じくニヤリと笑ったムジナさんを見て血の気が引いた。あれ、これ俺の話だよね? 俺を鍛えるって話でこの二人はこんな悪い笑みを浮かべてるんだよね?

 ポン、と両肩に手を置かれ、そのまま"うっとりと"微笑まれる。

「そういうわけだから、地上に出たかったら死ぬほど頑張ろうね」

 何故かこのときのムジナさんは恍惚としていた。俺はこの顔を一生忘れないだろう。


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