世界の呼吸は優しい
(景様へ愛を込めて!)
「ああ名前様、そんなお顔をなさらないで!」
「ほら、笑って下さいまし、ね?」
数日前、千という人間の女の子がこの世界に迷い込んできた
人間とは言え、同世代の女の子が油屋で働いてくれるというのは私にとってとても嬉しい事で、最初は喜んでいたんだけど…
「ハクったらずーっと千に付きっきりで、私の事なんてちっとも考えてくれないのよ!」
「ハク様はお優しいからきっとあの人間の小娘を放ってはおけないのでしょう」
「ううん、そんな事ない。きっとハクは千の事好きになっちゃったんだわ」
「そんな訳ありませんわ、だってハク様はあんなに名前様の事を…」
ふ、と会話が途切れる
みんなの視線を追って外を見ると、ハクが千の手を引いて家畜舎に向かって行くのが見えた
「…っ!」
「あの、名前様…?」
「ほら、あの娘の両親が醜い豚に変えられたから、きっとそれを見せに行っただけですわ、ねえ!」
「あ、ええ、そうです、そうに決まってますわ!」
あたふたと湯女達が私を慰め始める
でもそれさえも惨めな気がして、私は部屋を飛び出した
***
「で、お前は何をそんなにむくれておるんじゃ」
「釜爺、私油屋辞めたい」
「寝言は寝て言え、お前さんがいなくなったらみんな悲しむぞ」
「うん、そうね、みんな優しいから。でもハクはきっと気にしないわ」
「ハク?」
「私達、ずーっと一緒だったのに」
「千の事か」
「千は大好きよ、お友達だもん。でもハクは嫌い」
「それは心外だな」
「ハク!」
いつの間にかボイラー室にハクが立っていた
突然の出来事に驚いていると、ハクは私を抱き上げて出口へと向かう
グッドラック、と釜爺の声が遠くから聞こえた
***
「どこにも姿が見えないと思ったら、釜爺の所にいたんだね」
「…そうよ、悪い?」
「…名前、頼むからどうして怒っているのか教えておくれ」
そう言って、ハクは私を抱き寄せて子供をあやすように背中をゆっくりと叩く
その優しい声に、仕草に、涙が溢れた
「ハク、私、ハクの事大好きだよ…」
「うん」
「どこにも行っちゃやだよ、一緒にいてよ…っ!」
「私はいつも、名前だけを想っているよ」
「嘘だよ、ハクはいっつも千ばっかり!私なんて二の次じゃない!」
悔しくて、悲しくて、思わず声を荒げてしまう
ぎゅう、とハクの腕の力が強くなった
「すまない、少し意地悪をし過ぎたようだ」
「…意地悪?」
「私も、名前が毎夜客の相手をするのが気に食わなかったんだ」
「相手って…お酌したりお料理を運んだりしてるだけよ?」
「うん、それでも名前が私以外の男と過ごしていると思うだけで嫌だったんだ
名前が悪い訳ではないのにね、でもこんなに傷つけるとは思わなかった」
それはつまり、私がお客様のお相手をするのが嫌で、
だから千と一緒にいて私にやきもちを焼かせようとしたってこと…?
そう気付いた時、一気に恥ずかしくなってハクの胸に顔を埋めた
「私はいつでも名前だけを想っているよ。今も昔も、そしてこれからも」
「うん、私もハクだけが好き」
手を取り合って、触れるだけのキスをして、
今までの時間を取り戻すように、私達はいつまでも抱き合っていた
世界の呼吸は優しい
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