滲む暗闇(1/1)

「…様、名前様!」



蛙の声で、私ははっと目を覚ます
いつの間にかハクの布団で寝てしまったみたいだった



「ん…、ごめんね、どうしたの?」

「特大のお腐れ様です!湯婆婆様が名前様を呼んでこいと!」

「分かった、すぐに行くね。今は湯婆婆が相手をしてるの?」

「いえ、千が相手をしております!」

「千1人で?!」



あの小さな千尋に、たった1人で腐れ神の相手をさせるなんて…!
私は服を整えると急いでハクの部屋を後にした





***




「千!」

「名前!」



大湯の縁に立つ千尋の元に駆け寄る
泥が服に飛び散るけど、そんな事気にしていられなかった



「ここ、棘みたいなのが刺さってるの!」

「棘…?」

「うん、固くてなかなか抜けないの…!」



触れたものを全て腐らせてしまう腐れ神に、棘…?



「っ、湯婆婆!今すぐ下に人を集めて!千、これを使って!」



縄を出して千尋に渡す
お湯の流れに手を取られて少し手間取っていたけど、駆けつけたリンが器用に縄を結びつけた



「名前、あの方は腐れ神じゃないんだね」

「うん、腐れ神に棘が刺さるなんてありえない」

「油屋一同心を込めて!引けや、引けや!」



湯婆婆が金の扇子を両手に声を張り上げる
それに合わせて、従業員が続々と集まってきて縄を引いた



「あれは、自転車…?」



少しずつ姿を現したのは、自転車のハンドルだった
それを皮切りに次々とゴミの山が溢れ出す



「ん…、わっ!」



残った糸くずを引き抜くと、水が湧き出てくる
やがてそれも収まると、すっかり汚れを落としたお客様がにっこりと笑っていた



「大戸を開けな!お帰りだ!」



湯婆婆の声に、2階の大戸が開かれる
大きな笑い声と共にお客様がお帰りになると、油屋が一気に沸いた



「千、名前、良くやった!大儲けだ!」

「あの方は名のある川の主ね、きっと人間のせいで身体の中にゴミを溜め込んでしまったんだわ」

「お前達も千を見習いな!」



全く、何て現金な人
想定外の儲けに喜ぶ湯婆婆を尻目に、私は小さくため息をついた




***




「食う?かっぱらってきた」

「ありがとう」



夜、名前と窓枠に足をかけて座っていると、リンさんがお饅頭を私に差し出した
お礼を言って受け取ると、リンさんは私の隣に寝転ぶ



「明日は朝一で汚れた大湯の掃除だってよ」

「ふふ、大変ね。私も手伝うからみんなで頑張ろう?」

「マジかよ名前様!やりい!」



2人の会話を聞きながらさっき貰ったお団子を取り出す
一口かじってみようと口を開けると、その前に名前が私の口を手で覆った



「名前?」

「それ、ニガダンゴって言ってとっても苦いの。千の口には合わないかも」

「うえ、じゃあ食べるのやめる」

「うん、そっちの方がいいわ」



名前が私を見て笑う
でもその顔はどこか寂しげだった



「あの、名前?」

「ん?」

「えっと、何かあった…?」

「…大丈夫よ、ありがとう」



名前は一瞬目を見開いた後、いつもみたいに優しく微笑む
でもやっぱり、何かを隠しているような、悲しい顔だった



滲む暗闇
(そんな顔しないで)
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