いずれ辿り着居られたら

真昼間から近所迷惑も顧みずアパートの玄関で押し問答する男女。しかし近隣住民はというと意外なことに、やれやれまたかというような視線を向けるだけで咎める者はいなかった。
終いにはミョウジさんまた彼氏と喧嘩?なんて笑顔で話し掛けてくる主婦までいる始末で、そのときだけは一旦喧嘩を止めて「あ、こんにちは」と礼を返す似た者同士の二人なのだけれど。

「だから、急な仕事が入っちまったんだ仕方ねェだろッ!?」
「トシこそ私の話ちゃんと聞いてる?出来ない約束なら最初からすんなっつってんのよ!」
いくら気もタイミングも合う二人だとしても、喧嘩の方は一向に収まらない。しかも女のこの言葉は男にとってどうやら耳の痛い一言だったようで、彼はうっと声を詰まらせた。

「どうせこうなるんだったら最初から期待させないでよ、もううんざり」
「…わかったナマエ、俺が悪かったよ。なぁだから、」
「でしょでしょ?んで私はそんなトシにもう付き合ってらんないの、ということでさよーならっ」
男が油断している間に女は思い切りノブを引いた。ガチャン、と思わず耳を覆いたくなるようなけたたましい開閉音に、驚いた野良猫がふぎゃあっと喚く。
呆気にとられた様子の男は咥えていた煙草をぽろりと落とし、野良猫とドアを交互に見渡していた。十数秒後力なく二、三度ドアを叩いたかと思うと、段々怒りが湧いてきたのかノブをがちゃがちゃと揺する。しかし女の反応はない。

「あっそ、わかったっつーのッ!帰るよ、けーりゃいいんだろッ」
捨て台詞もまた女には届かなかったのか、まるで反応がなく場は静寂を取り戻す。男は結局舌打ち一つしか残せずに、なにやら小ぶりな紙袋をドアノブに引っさげてからその場を去って行った。
遠ざかるごとに何度か名残惜しそうに振り向くが、諦めてしまったのかやがてその姿は雑踏に溶け込んでいって。

それが今から二週間前の出来事で、それ以降女の部屋を男が訪ねることはなかった。そしてドアノブに掛けられた最後のプレゼントはその日のうちに女の手によってゴミ箱へ。受け取り手のいないそれは、いまだひっそりとゴミ箱の中で佇んでいる。



「ぎゃっ副長!」
「おいこら山崎、今何隠しやがった?」
事件当日分の報告書をやっと書き終え安堵していると、突然副長が自室を訪ねてきて。慌てて目に触れないよう隠そうとしたのだが、まさかこの鬼がそれを許してくれるはずもなく。なんとか取り返そうとしたがそれも叶わず、まんまと全て読まれてしまった、というわけだった。
読んでいくにつれ眉間の皺が深く刻まれ、額には青筋が目立つ。やばいこれ俺死ぬかも、今回はさすがに死ぬかもしんない。

「いつ俺とナマエの尾行をしろっつった?そんなに切腹してェのか」
「ち、違うんです。これはその…」
「しかも『いまだひっそりとゴミ箱の中』…ってテメェまさか」
ぎらぎらと殺意満載の視線を向けながら副長がゆっくりと刀を抜くが、あまりの恐ろしさに後ずさりしかできない。そりゃそうだよね、勝手に自分の女の部屋に他の男が入ったら嫌だよね、すみませんでしたあああ!
しかしどうやら神はまだ俺を見放していなかったようで、今回の件の黒幕が万を辞しまさかのタイミングで登場する。

「おうザキ、どうだナマエちゃんの様子は」
なにか進展は、とまで言いかけたところでやっと局長も状況に気づいたらしい。さっきまでの快活な笑顔はどこへやら、副長の姿を見つけた瞬間顔色は一転して真っ青だ。

「…近藤さん、今の話ゆっくり聞かせてもらおうか」
「え、やだなあトシぃ、勲わかんない、ぜんっぜぇんわかんない。ザキってばなんか知ってる?」
「ちょ、局長それはないですよ!なに人に全部なすりつけようとしてんですか」
開きっぱなしの瞳孔が俺たち二人をまるで品定めするような目付きで見据えている。局長と二人揃ってじりじり後ずさったが、その先はもうそろそろ背中が壁につくというところで、俺たちにもう逃げ場はないことを示していた。

もうだめだ、人生終わった。この世の未練と念仏を心の中で交互に唱えながら瞼を閉じる。しかしいくら待てども痛みや衝撃は襲ってこない。どれだけ耳を澄ませても近づいてくる音すらせず、室内はただ静寂を保っていた。…もしかして既に死んでたりしなよねこれ…?
しかし恐る恐る首筋に手をやってみるとやはりきちんと胴にくっついている。何もされないのが逆に不気味で、そっと薄目で盗み見ると副長は面倒そうな顔つきで溜め息をついていた。

「…おい、山崎」
「はっ、ははひゃい!」
タバコの煙を吐き出しながら落ち着いた声色で俺の名を呼んだ副長だったが、どうやら目を合わせる気ははなからないようだ。俺たちには横顔だけ見せる形で、もう一口、二口と煙を次々に吸い込む。そんなのが何度か続いた後で、まるでなんでもないことのような口調で言うものだから。

「アイツ…ナマエは、元気にやってんのか」
「えっ」
唐突な質問にすんなり言葉が出て来なくて、副長はそれに苛立ったのか顔を歪め、舌打ちを一つ落とす。…本当はめちゃくちゃ気になってるくせに、どうしてこの人はこう素直じゃないのかなあ。思わず苦笑いを零すと、また刺すような視線で諌められた。その眼差しに促され、俺は慌てて報告書の続きになるはずだった情報を口にする。

「ナマエさんは、例の一件の後は仕事以外すっかり家に篭りがちになってしまっています。以前のように飲みに出たり、買い物などで外出することも滅多にありません。またゴミから推測するに自炊も全くしていないみたいで…周囲の心配の言葉にも、全く耳を貸さない状態というか」
「そうか」
「で、そんな彼女を見兼ねてか…旦那が先日、ナマエさんと接触しました」
「万事屋が?」
それまで全くといっていいほど動じなかった副長も、さすがにこの単語にはいち早く反応する。局長も同じく引っ掛かったのか眉を寄せ、何やら考え込んでいる様子だった。

「あの二人が以前から飲み仲間なのは副長もご存知のところかと思いますが、その、今夜は二人で飲みに行くそうです。初めて」
「…そうか」
俺としては一番言いにくいところだったのに、副長から返ってきたのはやけにあっさりとしたリアクション。それが他人事ながらなんだかヤキモキしてしまって、俺はつい抗議するように勢いよく立ち上がった。

「そうか、って気にならないんですか?第一ちゃんと別れ話したわけじゃいんでしょう、まだ二人は別れてないじゃないですか」
「んな話し合いなんてしてもしなくても一緒だろ、アイツは俺のことなんざもうなんとも思ってねーんだ」
「そんな、」
「まあ待てトシ、二人のことに首突っ込むなっつーのはわかる。わかるが、今回の一件は俺にも責任があるだろう」
今日初めてまともに発言した局長が俺と副長の間に割って入ってくる。それを受けて俺もなんとか落ち着きを取り戻し一呼吸つくことができて。でも、副長はそんなことを素直に聞ける性格ではないってこともやっぱりわかっていたのだけど。

「別に誰のせいでもねーし、アイツが嫌だっつってんだからもうどうしようもねぇんだよ」
「トシが何週間も前からスケジュール調整して、ナマエちゃんの誕生日のために時間を作ってたのは知ってる。なのに結局俺がどうにも手が回らなくて」
「もういいっつってんだろ?とにかく俺は、」
副長がそこまで言いかけたところで、勢いよく襖が開く。何者かとつい全員がそこに目をやると…今一番ここに来て欲しくなかった人がそこにはいた。

「何ギャーギャーギャーギャー騒いでんですかィ。土方さんまで発情期ですかってやべ、土方さんとこの雌は逃げたんでしたっけ」
「やべって言ったな?お前今わかってて言ったな?」
ヒートアップした会話に更に沖田隊長まで加わってしまうだなんて、納豆のタレも驚くほどの絶妙な調味料だ。そう、勘のいい人ならもう気がついているだろうが沖田隊長もまた局長の命によりナマエさんを探っていた言わば同士なのだ。
恐らくはこの人もナマエさんの動向について何か報告があってここに来た筈なのだが、さすがに副長を前にしては言い出せないようで眉を寄せながら俺と局長をちらちら見比べていた。そんな表情に、この人でもこういうときくらいは気配りできるものなのだな、と半ば感動しながら沖田隊長を見上げていたら、段々その顔が歪んでいくのに気がついて。

「実はさっき角のドラッグストアで万事屋の旦那と会いまして、いやああの人も隅に置けないもんだ。まさかあのコーナーで出くわすとは」
真っ黒な笑みがまるでこの世の全てを支配したような感覚に陥り、声がでない。目の前に佇む邪神が次に口にする言葉は簡単に予想できたのに、俺の「ぬののふく」と「どうのつるぎ」なんてか弱い装備では止めることなんて出来る筈がなかった。

「これが一番薄いな、とかナマエなら光るやつとか喜ぶんじゃね?とかなんとか、一人でぶつぶつ言ってやした」

ちゃららららーらー、ちゃららららーらー…
さがるたちは しんでしまった!

当時嵌まりに嵌まったRPGゲームのデッドエンド画面が脳裏に蘇ってくる。そういえば、副長は?そう思って彼に目を向けると。

まるで二週間前の出来事を再現するかのごとく、口から落ちたタバコが畳を焦がすのをぼんやりと見つめていた。



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