いずれ辿り着居られたら

金曜の夜の歌舞伎町はいつも通り人で溢れかえっていて、見回り中のパトカーの方がまるで邪魔者みたいな視線を向けられる。俺はその腹いせのようにタバコの煙を次々と街に向かって吐き出していた。

「あ、丁度あのへんじゃないですかィ?ナマエさんと旦那がいる店」
助手席の総悟が前方の角に見える洒落た飲み屋を指し示してきて、思わず目をやってしまう。
認めたくないが間違いない、屯所を出る前に山崎から無理矢理渡されたメモにあった店と同じ名前がでかでかと掲げられていた。

「天下の真選組総出で嗅ぎ付けたんだから土方さんも素直に甘えりゃいーのに」
「…誰がんなこと頼んだっつーんだよ」
この二週間ずっと遠ざかっていた名前が今日はやたらと耳に入ってきて、情けないことにこんな物言いしかできなかった。思い返せば今日一日の俺はまるで駄駄を捏ねる子供みたいで、自分への苛立ちで思わず舌打ちが漏れる。

「いいんですかィ?通り過ぎちゃって」
「いいっつってんだろ、いいからお前はちょっと黙ってろ」
タバコの灰を落としてから前に向き直ると、思いの外近い位置に酔っているらしい男がいて慌ててブレーキを踏んだ。馬鹿野郎、殺す気か!なんて舌足らずに叫ぶ男に腹も立ったが、危うく民間人を轢くところだったという事実に心臓が大きく跳ねて。クソ、何やってんだ俺は。思うようにいかない不甲斐なさに伸びっぱなしの髪を掻きむしった。

お前が他の男と二人で飲んでるって聞いただけで俺がこんなふうになってるのを見たら、ナマエ、お前は笑うか?
一層のこと「馬っ鹿じゃないの?」と笑い飛ばしてくれたら楽かもしれない、なんて柄にもないことを考える。気がつけば俺はいつの間にか無意識でハンドルを操っていて、懐かしい店へと向かっていた。


「今度は現実逃避って…土方さん、いい加減にして下せェよ」
「っるせーな、今日はこういうコースなんだよ、近藤さんがぶっ倒れてるかもしれねーだろうが」
スナックすまいるはどうやら今日は繁盛しているらしく、よく客引きで店前に出ている店長の姿はそこにはなかった。最初は近藤さんに付き添って無理矢理連れられた店、そして段々とナマエのために通うようになっていた店。付き合い始めて少ししてからナマエが「彼女がキャバで働いてるのって嫌じゃない?」なんて唐突に言ってきて、俺は嫉妬しているのがばれたくない一心で「別に」なんて心にもないことを言ったのだが、アイツにはやっぱりお見通しだったらしくて。次に会った時にはナマエの職業はキャバ嬢からカフェ店員になっていたもんだから、それからは滅多にこの店にくることはなかった。

「近藤さん…はいねェな」
わざとらしくそう呟くきながら見回していると、総悟が心底嫌そうな視線を向けながら盛大に溜め息をついてみせる。いつもならそれに言い返したりなんなりするものだが、今日ばかりはそれをする余裕もなくそっと目を逸らした。
するとその行動もまた総悟は気に食わなかったようで、普段より幾分低い声でオイ、と声をかけられる。さすがに無視するのもどうかと思ったので、なるべく無関心を装った顔で振り向くと。

「人を未練がましい行動に付き合わせてねーで、今すぐナマエさんとこ行けっつってんでィ。迷惑この上ねェや」
「そりゃあ悪かったな」
「ああ本当アンタは極悪人だ、ナマエさんにとっても姉上にとっても。女の敵ってやつですねィ」
まさかここで出るとは思っていなかった名前に心臓がどくりと脈打つ。思わず目を見開くと、総悟は怒っているような、今にも泣き出しそうな、よくわからない表情をしていて。それでも俺への憎悪を隠すこともなく、じっと俺だけを見据えていた。

「アンタ武州を出るとき姉上になんて言った?どういう気持ちで姉上を置いて行った?…なんで、ナマエさんと付き合った?」
「っ、俺は、」
「アンタがナマエさんと付き合い始めたとき、俺がどんな気持ちだったかわかるか?姉上の墓前で姉上の代わりに何度も恨み言吐き連ねて、それでもっ…姉上にはないものをナマエさんは持ってるんだって、だから今度こそ姉上の分も、って」
「…もう止めろ」
「止めてたまるかってんでィ!最初っから一緒になる気もねーくせに、何人女を弄んだら気が済むんだアンタ。女一人も幸せにしてやれねェくせに、今のアンタを見たら姉上はなんて」
「止めろっつってんのが聞こえねェのか!?」
俺の怒声に総悟が唇を噛んで睨みつけてくるが、その顔をまともに見ることができなかった。薄ら涙を浮かべながら見据える様が、一瞬だけアイツを思い出させる。一層のこと、アイツもこんなふうに俺を罵倒してくれたら良かったのかもしれない。

未練なんて生易しいものではない、もうこの世にいないミツバに対しての罪悪感や悔恨、そして後ろ暗さは確かに俺に今でも付き纏っていた。だがそんなことはナマエに関係のないことだし、アイツとアイツの死を乗り越えた上で、俺はナマエを愛していたはずなのに。幸せにしてやりたいと初めて思った女だった。今度こそ俺自身の手で幸せにしてやりたい、そんなふうにいつの間にか思っていたんだ。それなのに。

「俺ァ…情けねー男だよ、自分でもわかってる。ナマエと出会ってからも、何回かアイツが夢にでてきたことがあった」
生きてるときと変わらない穏やかな微笑みで、眠りの中で何度も会話を交わした。そういえばここ最近夢に出てこないな、なんてことに今更気がついて。
アイツが俺に愛想を尽かしたのか、俺がアイツを忘れちまってたのか…そんな馬鹿なことを考えた。

「アイツ、夢の中でもやっぱり笑ってやがんだよ。十四郎さん、ナマエさんは素敵な方ですね、やら、幸せにしてあげなくちゃダメですよ、なんて言いながら。テメェの頭ん中で作り出した幻影に過ぎないのに、そんな夢を見るたび俺ァ安心したんだ」
「そりゃあ確かに、情けない話でさァ」
冷笑と呼ぶのにぴったりな、皮肉な笑みを総悟が浮かべる。なぜこいつにこんな話をしているんだろうかと、ついつられて俺も笑った。
春にしてはひんやりと冷たい風が、土に転がる空き缶を遠くへ飛ばすのが見えた。思いの外ガラガラと大きく響いたその音に被せるように、総悟が「でも」と声を張り上げる。

「うちの姉上ならきっとそう言いやす、出来た人でしたから」
「そう、思うか」
「あんた姉上の何を見てきたんでィ。あの人が『十四郎さん、私は置いて行ったくせに!』って化けてでると思いやす?」
「ふっ、確かにそりゃあ」
あり得ねえ、と呟いた声は総悟には届いていないようで、奴は遠くの夜空をじっと見つめていた。曇りがちな江戸の空には星なんざ光ってないが、もしかしたらこいつには何か見えているのかもしれない。
少しの期待で俺もそれを真似てみたが、見上げた先は真っ黒な空が延々と続いてるだけだった。

「もしかして土方さん、今『アイツが空で笑ってやがる』なんて寒いこと考えてやせんか?」
「考えてねーよっ!お前本当台無しだなッ!?」
ちょうど通りがかった若い女二人組が俺の突然の怒号に肩を竦めて。やばい、と思いつつちらりと横目で確認したら、パシャパシャ写メを撮りながら悲鳴をあげていて頭が痛い。やがて俺の視線に気がついたのかまたギャーギャー喚きながら夜の闇に紛れて行った。
思わず追いかけようかと身を乗り出すと、総悟が満面の笑みを隠そうともせずにそれを諌めてくる。

「まあまあ土方さん、その前に捕まえなきゃならねェ女が一人いるでしょう?それにどうせもう拡散されてまさァ、あいつらの指の速度は異常なんで」
チンピラ警察発見なうでさァ、とかなんとかよくわからないことを言いながら総悟は楽しそうに喉を鳴らす。俺はそれが面白くなくて、さっきのお返しのように溜め息をつくくらいしか出来なかった。

一通り笑い終わったのか、総悟は肩で息をしながらパトカーの後ろあたりを首で示してくる。不審に思いながらも後部座席のドアを開けると、思いもよらないものがそこにあった。

「気が効くのは姉上譲りですかねィ」
「、そうかもな」
「でも勘違いしねーで下さいね、別にアンタのためでも無けりゃナマエさんのためでもない」
文字通り呆然と立ち尽くす俺の肩を、何を勘違いしてんのかぽんぽんと奴が叩いてきて。総悟の野郎にまで励まされちまうなんて、俺も落ちたもんだと思わず自嘲の笑みが零れた。

「証明して下せェよ、もちろん俺も癪に障るし、姉上だって…もしかしたらちょいとばかし拗ねちまってるかもしれねェ。それでも」
総悟の声が少しだけ、何かを押し殺すのうに震えてしまっているのに気づいてしまった。そのせいで俺の目頭もじわりと熱くなって、それを誤魔化したくて大きく何度か瞬きをする。

「侍だとか、いつ死んでもおかしくないとか。確かにそうかもしれやせん。それでも俺らも、ナマエさんも、今だけは紛れもなく生きてるんでさァ」
生きていればなんでも出来る、とは言わない。でも、生きてる俺たちにしか出来ないことというのは絶対にある。そんな当たり前のことにやっと今更気がついた。

「総悟、…サンキュな」
「おうぇぇえ、気持ち悪ィ、土方さんついにマヨとニコで頭やられたんですかィ」
今日くらいはと口にした感謝の言葉も、こいつにかかれば相変わらずの憎まれ口で返ってきて。それでも反射的に握った拳は、今日はどうにも振り下ろせそうになかった。



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